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SS級眷族に指定されている魔者ゼ・イル。普段は休火山のマグマの底より更に深い場所で眠っていると言われているその魔者は、一度目覚めると天空を支配し、人々を恐怖に陥れるという。一翼の羽ばたきで嵐を起こし、成長するに従って増えていく翼が八翼も合わさると、その驚異は巨大な竜巻を幾つも生み出す事により証明される。数百年に一日だけ目覚めるゼ・イルが通った空の、その下にある大地は破壊の限りを尽くされ、そこに住まう者の命をことごとく奪っていった。ゼ・イルの数だけ、それは過去何度も引き起こされたと言って良い。
だが、そのSS級眷族魔者ゼ・イルに対して、過去一度だけその驚異を退けた者達がいた。
それは、カルナス聖王国と呼ばれる騎士大国の騎士達である。カルナス聖王国王都へと向けて飛翔していたゼ・イルに対して、カルナス聖王国は<竜騎団>(ドラゴンナイツ)、<天騎団>(ウィングナイツ)と呼ばれる空を統べる二つの騎士団を投入し、防衛戦を展開した。空を覆い尽くすような数でゼ・イルに挑んだ彼等は、しかしその戦いに参戦したほとんどの騎士及び彼等を空へと運んだ竜や天馬達の命を失う事になる。だが、ゼ・イルの活動日数、つまり一日にも及ぶ戦いの中で、激しく疲労したゼ・イルは、戦場から逃れ火山の中へと帰る間際、<竜騎団>を統べる第一階位騎士《竜聖》(ドラゴンマスター)と<天騎団>を統べる第一階位騎士《天聖》(ウィングマスター)の二人の捨て身の攻撃によって、その牙の幾つかを彼等の命を代償に地上に残す事になった。
カルナス聖王国という国の名が、再び世に大きく知れ渡る事になったのその戦い『天空の戦旗』。
彼の戦いにより世界に残されたSS級眷族魔者ゼ・イルの牙は、後に一つはカルナス聖王国の地下宝物庫に収められ、そして他の牙は全て名工の手によって鍛え上げられ、武器となり世界へと散っていった。
その一つが、ブロラルドが持つゼ・イルのランスである。
長きに渡り、捕食という行為で何人もの命を噛み砕いてきたSS級眷族魔者ゼ・イルの牙より生まれた血塗られたランスを、ブロラルドはその重量に何ら重みを感じる事無く、リーヴァンスの身へと突き振るう。その鋭き尖端で更なる命を奪い食らおうと向かってきたそのランスを、リーヴァンスは当然の様にそれをさせまいと回避行動を取る。だが、血塗られたランスは、まるで意志を持っているかの様に突然に加速し、一瞬早く回避行動を取った筈のリーヴァンスの身を微かに削り、そこから流れ出た血を嘗めた。
殺した息が漏れ出るのを堪えると同時に、削り取られた傷口からリーヴァンスの脳へとショックが伝えられる。
構わず、リーヴァンスは瞳に映したブロラルドへと攻撃を仕掛ける。己の身を削ったランスの一撃の力を利用して、ひねりの回転速へと変えたリーヴァンスが内回しに蹴りを放つ。ブロラルドが騎乗している愛馬、草龍飛天の正面を斜め上方向へと向かったその脚撃は、しかし咄嗟に草龍飛天が回避行動を取った為に、僅かにブロラルドへの到着が遅れた。だが恐ろしく速く、そして一直線に突き向かったリーヴァンスの脚撃の威力は計り知れない。一瞬遅れてだが、それはブロラルドへと衝突する。それをブロラルドは左拳で横へと弾き防御。重量級のランスを操っているだけあり、その腕から生み出される膂力はリーヴァンスにも劣らない。だが、リーヴァンスがそれで終わる筈もない。持ち前の恐るべき運動能力を活かし、弾かれた脚を支点にリーヴァンスは一気にブロラルドへと身体を肉薄させる。
その瞬間を狙ったのは、言うまでもなくブロラルドのランスだ。経験では遙かにブロラルドの方に分がある。幾らリーヴァンスが驚異的な速度と威力をその身から生まれさせる事が出来たとしても、それを活かす術、つまり戦闘技術が優れていなければ宝の持ち腐れになる。その戦闘技術は、経験と訓練によって向上する。だが、そのどちらもがリーヴァンスは持ち合わせていない。
飛翔旋風脚を今まさに繰り出そうとしていたリーヴァンスの左太股を襲った強烈な一撃、ブロラルドの放った払いの一撃がリーヴァンスの身を大きく吹き飛ばす。同時に草龍飛天が地を蹴り、リーヴァンスが吹き飛ばされた方向へと急加速しジャンプする。ブロラルドが命令した訳では無い。草龍飛天が戦闘状況を読みとり、今ここでそうするべきだと判断したからだ。それをブロラルドも予測している。一心一体となったブロラルドと草龍飛天は、人と馬が合体した様な魔者、AAA級眷族魔者に指定される人馬騎士ディラウロスにも匹敵するだろう。
ブロラルドの一撃を身に受け吹き飛ばされたリーヴァンスが空中でその姿勢を直す時間なく、草龍飛天の機転によりそれを追う形となったブロラルドの右腕に握られた長きランスの尖端がリーヴァンスを狙う。
だが十分に予想出来る攻撃だったので、リーヴァンスは全く慌てる事無く、その軌道と到達する瞬間を勘を頼りに迎撃する。それは奇しくも功を成し、ゼ・イルの牙そのままの形を持ったランスの身を撃った。
草龍飛天の速度に乗せブロラルドの突き出した速度が突如としてその軌道を無理矢理に変えられる。
遅れてランスを握るブロラルドの腕に衝撃が走る。
既にその時にはリーヴァンスは吹き飛ばされた空中で姿勢を得て安定していた。だが、そこから加速する術がある筈もなく、追撃を行わなかったブロラルドの視界真正面で着地を果たす。
その瞬間を狙ったのは、草龍飛天の地を介した衝撃。前足二本で強烈に地を叩いた衝撃で、草龍飛天を中心に一瞬だがその付近に地震が走る。
だが刹那、ダメージを受けたのは草龍飛天の方だった。
同じ事を考えていたリーヴァンスが、時を同じくして着地をする振りをして地を攻撃したのだ。
その二つの衝撃の勝敗は、草龍飛天がダメージを受けた事より分かるだろう。
リーヴァンスの放った地震撃の方が圧倒的に強力だった。
いななき、思わず暴れた愛馬の上で、しかしブロラルドは全く動じる事無く巧みな手綱さばきでバランスを完全に保つ。
その身を襲ったのは、やはりというべきか、リーヴァンスの恐ろしく速い拳撃だった。
咄嗟にランスで防御するも、しかし間に合わずブロラルドはその拳撃を身に受けてしまう。間に合わないと悟った瞬間に身を捌いた為に急所は外れていたが、しかし左肩を襲ったリーヴァンスの拳は易々とその部分を守っていた鎧を土塊の様に破壊し、その先へと侵入した。同時にブロラルドの左肩が吹き飛び、そこから多量の地と肉と骨を周囲にまき散らす。
覚悟をしていたとは言え、それ程までに凶悪な攻撃力を持っていたリーヴァンスの攻撃に、ブロラルドの瞳が一瞬我を忘れそうになった。
だが長年に渡り訓練され鍛え上げられたブロラルドの肉体は、しかしそのダメージにショックを受け硬直する事はなく、主より命令が下されるよりも早くに条件反射的に動き、瞬時にリーヴァンスの身にランスの取っ手ごと拳を叩き入れる。
予備動作も無く背後の死角から迫ったその攻撃に、リーヴァンスは悟るも遅くその一撃を食らい、苦痛に顔を歪めた。背骨は折れ、内臓には折れた骨が刺さり、そして口からは血の混じった液体が吐き出される。
零へと帰った後に急速に直角に加速されたリーヴァンスの身体は、そのまま地面へと衝突し、更にそのダメージを深刻なものとする。
それから一瞬遅れて、ブロラルドは今自分がした事と、今自分が負っている傷の事を認識した。
「ば、化け物が……」
肩が完全に砕け散った為にボタリと落ちた左腕、その傷口をランスを持ったまま押さえてブロラルドはようやくその一言を口から紡ぎだした。その額には多量の汗をかき、口や瞳からは血の雫が流れ出る。早く治療を始めなければ、僅かに残っている生の可能性すらも時間の流れと共に失われていくだろう。だがそれにも関わらず、ブロラルドは全く動けないでいた。
それをさせないのは、己が目の前に立ちはだかる驚異。
口元には笑みを常に伴わせ、戦いを楽しむ狂喜の色を瞳に彩らせたリーヴァンスが、自らが負ったダメージに何ら感情を持つ事無くゆっくりと立ち上がる。その右腕を隠していた服の袖は破れ千切れ、未だ完治していない焼けただれた皮膚が姿を表している。だが、その腕は肩先より空洞を作り上げ風を通していた。それまで筋肉と適当な布でつっくけていたのだが、それをしていた布は千切れ効果を失い、また無理矢理に力でつなぎ止めていた筋肉も再び先の一撃により骨から千切れてしまったからだ。だが、それよりも驚くべき事は、そんな腕で今まで攻撃を繰り出していた事だろう。
「どうした……まだ動けるんだろ? だったら俺と遊んでくれよ、じいさん。俺はまだ全然遊び足りねぇんだ。右腕はこの通りまた使えなくなっちまったが、俺の両足も、そして左腕もまだピンピンしているぜ。あんたもそうだろ? まだ片腕しか失っていないんだぜ。なぁ、早く続きをしようぜ」
狂喜に彩られたリーヴァンスの瞳がブロラルドの全てを捉えて離さなかった。
今にも飛びかかってきそうな狼の様に、そして異質な闘気を発しているリーヴァンス。その姿に、それまで二人の闘いに見入っていた者達全員が、それまでにない強大な恐怖を感じ始めていた。凶悪な迄の戦闘能力と生命力を有し、そして闘いのみに執着するリーヴァンスは、魔者と呼ばれてもおかしくないだろう。
実際に、その場にいるほとんどの者が、リーヴァンスの事を魔者だと思っていた。
相対するブロラルドでさえ、人である筈のリーヴァンスを魔者ではないのかと思い始めていた程だった。
「そっちが来ないんだったら……こっちから行くぜぇ~っ!!」
刹那、リーヴァンスの姿がブロラルドの視界から消える。
いや、消えたと思ったのはただの錯覚なのだろう。リーヴァンスは真正面から堂々とブロラルドへと急加速を開始していた。だが、その速度は十分に人の目でとらえる事が出来る程に遅い。勿論、目にとらえる事が出来るだけで、その速度は矢のごとく凄まじく速い。
だが、ブロラルドの瞳は、リーヴァンスの姿が目の前の消えた様にしか映っていなかった。
腕を失ってしまったダメージが、それほど迄にブロラルドの戦闘能力を低下させていたのだ。
次に訪れるのは、確実な死。
既にリーヴァンスと互角以上に戦えるだけの自信を失っていたブロラルドは、甘んじてその長きに及ぶ命の終わりを迎え入れる事を覚悟していた。
年を重ねるごとに自らの力が僅かにだが失われていっている事を感じていたブロラルド。故に、ブロラルドはいつの頃か、未だ恐怖という感情を知らなかった自らを恐怖させてくれるだけの存在に戦場で出逢い、そして散る事を夢見はじめていた。数多の戦場を潜り抜け、誇れる程の戦勲を上げ、そして誰よりも高き名声を得た齢50を超える人生。奪った命は数知れず、失った戦友の数もまた少なく無い。兄弟親子無く、生涯独身を通した為に、後世に残す未練もない今、彼をここまで支えてきたのは己が持っていた恐怖に対する欲望。ただそれだけだった。だが、今この時にブロラルドは若き闘士リーヴァンスよりその恐怖を得る事が出来た。
血に濡れ赤くに染まった世界に最後の別れを心の中で呟き、ブロラルドは瞳を閉じる。
そして、自らの最後の時を待った。




