表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

豚 改訂版

夢の中で自分は一匹の豚だった。暖かい曇り空の草原でまどろんでいると、また新たに豚が現れた。自分はあえて気にすることも無くいたのだが、ふと見やるとかっかと燃えるような豚の目に会って、無性に恐ろしくなった。一度そうした目で見ると、その豚の肥え太った体や、土にまみれた醜い鼻っ面や、奇妙に先のとがった蹄がこの世の物でない存在に思われて、自分はその豚を追い払った。

 しかし豚は後から後から現れた。広い野原いっぱいが豚どもで覆いつくされた。

 追い払えば素直に消えるのだが、それよりも多くの豚がまたやって来る。

 自分はまったくわけが分からなかった。

「何、天罰だよ」

 豚の一匹が囁いて、蹄に蹴られて逃げていった。

「違うよ、あんなに殺したりするからさ。復讐だよ」そう呟いて、ほかの一匹は頭突きを食らった。

 自分はいったい何の話なのか皆目見当も付かなかった。

「懐かしいねぇ、こんな日にあたしはあんたに殺されたんだ」

 自分には豚を殺した覚えなぞ無かった。しかし恐ろしさのあまり、自分は豚を追い払い続けた。

「千年前かい」

「いいや、千と十年さ」

「あたしは千と九年さ」

穏やかとすら思える声音で、しかし燃えるような瞳をした豚どもは自分の罪を暴いていった。

「ひどい男だった」

「あんなに刃物を光らせて」

「あんなに血まみれになって」

「あんなに笑うなんて」

 覚えは無いが豚どもの声を聞いてみると、確かに自分は千年前にこんな声の豚を殺した気がしてきた。自分の手は豚の血で汚れていたのだ。

野原を覆う千年前の罪を見ながら、自分は涙を流していたが、やはり豚を追い払い続けた。

 自分を取り囲む豚どもの鼻面が触れたと思ったとき、空に吸い込まれるように目が覚めた。

 静かな昼の縁側で、頬を濡らしながら自分は横たわっていた。人間の体であった。

 まだ寝ぼけている。ひどく喉が渇いていた。

 水を飲もうと思ったが足がもつれて立つことはできなかった。仕方なく四つんばいで台所まで這っていった。

 足の下で誰かの読みかけの本がいやな具合にめくれ上がった。

 土間の冷たさがはだしの足裏に心地良かった。水瓶に身を乗り出して、自分は豚のように水を飲んだ。自分の重みに耐えかねて、水瓶は倒れた。

 顔を上げると、水溜りに一匹の豚が映っていた。鼻面で追い払っても、その豚は消えなかった。映っているのは豚ばかりで、いったい自分はどこへいったのだろうと思った。

 女中がやってきて、金切り声を上げて自分を追い払った。自分が消えると豚も消えた。



これは、豚どもからの罰なのだろうか。

 だが豚というのは案外に心地いいものである。残飯とはいえ十分に食事にありつけるし、人のように悩む必要もない。時折、何かを感じたのかいじめられることもあるが、大抵の豚どもは愚鈍に口を動かしているばかりである。

 自分ははじめから豚だったのかもしれない。自分も愚鈍に口を動かしながら、考える。

人であった頃の記憶は、段々と遠ざかっていく。

   


 

安楽なこの生活ではあるが、ただひとつ気をつけなければならないのは、時折訪れるあの男たちである。ぴらぴら光る包丁を振りかざして、手を血で汚した彼らは豚を追いかける。お互いに何かを話し、無邪気とすら思える笑い声を立てながら彼らは豚を殺す。

 彼らはその肉を人間に売るのだという。人でなくなってから随分経つから、本当のところは分からない。

 我々豚は、その男達を心底嫌悪している。彼らが来るたびに、我々は醜く鼻を蠢かせ、憎しみに満ちた声を上げる。自分ももちろんそうする。

ただ、彼らが振り上げる刃物の輝きを、彼らが豚に向ける無機質な視線を、我が事のように感じる瞬間があるのは不思議なことだ。           (了)




改訂版です。感想などいただければ泣いて踊りまわります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 改訂する前の「豚」を読んだ時、豚自体が何かの隠喩かと思っていたのですが、実際に豚なる存在だったのですね…(笑) 不協和なムードを作り出すのがお上手で、軽く雰囲気に巻かれつつ読ませていただきま…
[一言] 初めて作品を拝読させていただきました。 豚を殺して豚になるのなら、人を殺せば人になるのでしょうか。しかしすでに豚である彼は、人に戻ることをも嫌悪するのかもしれませんね。 豚を殺す人間と、…
[一言] 短編小説とは、ショートショートとはかくあるべきだ、と提示してあるような作品でした。 ただ、千年前の応報とは少々とっつきにくい気がしました。 あくまで読者の一意見ですが、自分で手をかけずに暢気…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ