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人見知りなマーメイド

一作目は人魚姫です。

恋愛ものが得意な僕、柿原 凛(w3497e)が担当させていただきました。

どうぞお楽しみください。

 私は、人魚みたいだ。足がひれになった、人魚みたいだ。

 今日も私は鰭と化した自分の足を怨んで帰宅する。

 どうしてだろう。どうしてあの時、駆け寄って話しかけられなかったんだろう。この足が本当に足として機能するならば、もうとっくの昔に彼に話しかけられただろうに。そうやって自分自身を責めながら、家路をゆっくりと歩いた。

 彼と最初に出会ったのは、暑い夏のプールだった。当時大学に入ってから初めての夏休みで、私は女友達数人とプールに遊びに来ていた。その時の監視員の一人が、突然私の方に勢いよく泳いできて、すっとお姫様だっこをしてくれた。その時のカッコよさと言ったら、まるで堂々たる中世の海賊船のようなものだった。私は船長と化した監視員の彼にときめいてしまった。いわゆる一目ぼれだった。後から聞いてみると、私のあまりに下手な泳ぎが溺れたように見えたそうだ。いかにも天然って感じで、そこもあの筋肉質な体とのギャップを感じて可愛らしい。そんな彼が同じ大学にいると知ったのは、夏休み真っ只中のある日。試験の結果を確認するために来た大学内だった。

 ――中庭の真ん中に置いてある白いテーブルと白い椅子。いつも身内間の会議場として使っている、私たちの基地でもある。白い椅子に重い腰をどんと乗せ、テーブルに頬杖をつく。

「あぁあ、やっぱ落ちてたかぁ」

「有紗、元気だしなよ。仕方ないって。あの先生、厳しいことで有名じゃん」

「でもさつきは受かってんじゃん」

 皐とは、向かいに座っている美少女のことだ。私がこの大学に入ってから初めての友人で、親友でもある。彼に出会ったあのプールにも一緒に行っていた、仲良しグループの一人だ。いかにも真面目そうな外見なのに、人懐っこくて愛らしくて仕方ない。女の子にモテそうな女性とは、まさに皐に用意された言葉だろう。

「まぁね。一応一夜漬けしたしね」

「はぁ……私にもそんなやる気を分けてよぉ」

 私は他人の恋の相談や遊びの計画にはよく頭が働くのだが、勉強に関してはまったく駄目で、最近は机の前にもついていない。大学って遊びに来るところっていう意識が強かったから、こんなに疲れるものだとは思ってなかった。まさに真夏の日差しにうだって干からびてしまいそうだ。

 逆に皐は勉強ができて成績優秀。ボランティアにも積極的に参加して、資格もいくつも持っている。この前なんか学長表彰を三つももらっていた。しかも絵に描いたような美女で、今この瞬間だってさらさらの髪が夏風になびいている。羨ましいを通り越してため息しか出ない。

「え、あの人、プール行った時の監視員じゃない?」

「え、嘘!」

 友人の皐が指差した先には、あの時の監視員の彼が歩いていた。広いキャンパス内で唯一の中庭にいる私たちには比較的近い位置にいるが、あまりにも突然すぎて目で追う事しかできなかった。

「ほら、話しかけてきなよ!」

「え、あ、あぁ……」

 足早に去っていく彼。一声めが出る前に、彼の姿は校舎の中へと吸い込まれていった。

「もう……チャンスだったのにぃ」

「……ごめん」

「私に謝っても仕方ないでしょ」

 チャンスはピンチと紙一重。むやみに話しかけても嫌われてしまっては仕方がない。だから私はあえて話しかけなかったのだ。そうやって自分に言い聞かせてその場を乗り切る。言い訳はもはや特技になっていた。


 それからというもの、私は毎日大学に通った。夏休み中でも図書室や食堂は開いていたから、そこを中心にただただゆっくりと歩くのが日課になった。全ては彼を見つけ、話しかけるため。それだけしか理由がないが、自分自身を動かすにはそれだけの理由で十分だった。

 ときどき、ほんのたまに彼に出くわすことがあった。食堂で彼が食べているところを横切ったり、反対に私が食べているときに彼が通りがかったり。その一瞬一瞬でほんの少しだけ目が合うのがたまらなく嬉しかった。口に入れていたオムライスの味なんて、これっぽっちもしなかった。でも、私にはそこまでが限界だった。その先には踏み出せず、ただただ目線で追うばかりだった。


――プールサイドで足を滑らせる私。炎天下の屋外プールのど真ん中で、大勢からの目線を一気に浴びる。水しぶきがどっと上がり、水中のあの独特の静けさに戸惑う。体の浮力を利用して、顎から顔を水面に出す。口の中に大量の水を含みながら、最後の力を振り絞って声を張り上げた。

「きゃー助けてー!!」

「大丈夫か!?」

「もう……無理……」

「おい! くそっ。人工呼吸だ!」

「うっ、ぷはっ、はぁ、はぁ」

「良かった。息を吹き返したか」

「どうもありがとう! あなたのおかげで助かったわ!」

「ふ、これくらいお手の物さっ。……君の唇が柔らかすぎて焦ったけどな」

「えっ?」

「俺の方が溺れそうになったぜ」

「……もう」


――目の前で手のひらが揺れている。次の瞬間、顔をのぞかせたのは皐だった。

「有紗、何ニヤニヤしながらぼーっとしてんの?」

「えっ?」

「あ、もしかしてまた妄想してたでしょ」

「し、してないよぉ」

 正直言うと、れっきとした妄想だった。他人にばれるほどの妄想だなんて、恥ずかしい。さっきとは別の意味で顔が熱くなってきた。

「ねぇ、来週の水曜日さ、空いてる?」

「水曜日って……あ、ちょうど一週間後か。うん。空いてるよ」

「じゃあさ、あと二人くらい誘ってプール行こうよ! 彼に会いにさっ」

 皐が嫌な笑顔を見せてくる。何かを企んでいるのが目に見えている。

「い、いいよぉ。また何か変な事企んでるでしょ」

「いいからいいから。私に任せときなって」

 そう言った途端に電話をかけ始める皐。相手はきっと友人だろう。さすが行動派の皐。仕事が早い。

 結局その日の晩、来週の水曜日にプールに行く事が強引に決まってしまった。


 次の日の正午、食堂で作戦会議が行われた。私はいつも通りおばちゃんにオムライスの食券を差し出し、出来上がるのを待っていると、皐と二人の友人。どちらも女子で、仲良しグループのメンバーだ。

「おまたせ。……あ、おばちゃん、これとこれね」

 皐は甘そうな菓子パンとサラダを指してカウンターに小銭を置いた。

「はい。ありがとうね」

 後の二人もお菓子やおにぎりを頼んだ。

「はい、オムライスね。ありがとう」

 やっとオムライスが完成して、四人でいつもの会議場に向かった。

 食堂から出ると、中庭まで一本道の石畳が続いている。そこを進むと中庭とその周りにテーブルが並んでいて、そのちょうどど真ん中のテーブルがいつもの会議場だ。

 夏休み中という事もあり、久しぶりの全員集合。まずは自然にこの休み中にあった様々な雑談が話題に上がった。サークルの事、実習の事、ボランティアの事、そして恋愛の事。

「ね、あ、これ今日の本題なんだけど、有紗もとうとう恋の予感がね!」

 この台詞が終わるのを待たずに私を除く三人は大きく盛り上がった。

「え、まじ?」

「誰誰?」

「プールの監視員さん! だよねっ」

「ま、まぁ……」

 友人二人が大きく顔をのぞかせて興味津々に聞いてくる。皐も便乗して顔を近づけてくる。正直、こんなに圧迫感を感じるのは久しぶりだった。

「はい、盛り上がるのはそこまでね。ここからが作戦会議よ。題して、『わざと溺れたふりをして彼の気を引こう』さくせーん!」

「わざと……溺れたふり?」

 正直、ベタすぎるだろう。いくらなんでもバレバレだ。急に頭が重たくなったような気がした。

「そう。これについて何か意見ある人!」

「はい!」

 真っ先に手を挙げたのは私だった。

「はい、有紗!」

「ちょっとベタすぎるんじゃない?」

「逆にベタなのがいいんだって! 大丈夫、協力は十二分にするからさ」

「は、はぁ、はい」

 結局丸めこまれてしまうのがいつものオチだったりする。


 大学からの帰り道。私はなんだか妙に寄り道がしたくなって、ちょっとだけ遠回りして帰ることにした。夕焼けに染まるアスファルトは、それが昼間は何の個性もないただの灰色だということを忘れさせてくれるほど淡いオレンジだ。そのオレンジをとぼとぼと辿っていくと、小学校の校舎が見えてくる。その小学校は私の母校で、夏休みになるとプール目当てによく訪れたものだ。小学校につく少し手前には、ちゃんとボロボロの柵で覆われたプールが確認できた。

 幼い頃を思い出して、懐かしさに浸る。あの頃は何もかもが楽しくて、明日のことより今日のことだった。だんだん大人になっていくにつれてその頃の感覚が失われていき、今ではもっと先のことで心配症になってしまっている。私はいつからこんな風になってしまったのだろう。

 私はあの頃の純粋な気持ちに飢えている。その気持ちを癒してほしくて柵に手をかけ、慣れた手つきでいとも簡単に乗り越えた。あの頃必死になって見つからないように素早く上るのに苦労していたのが嘘のようだ。

 プールサイドに立って、水面に目をやる。あの頃の自分や友達の姿が不意に思い起こされ、ちょっぴり哀愁を感じる。カルキ臭いのは確かだが、思ったよりも変わらない風景が嬉しかった。


 そのままぼんやりと水面に目をやっていると、気づいた時にはもう陽は落ちていた。夜のプールサイドも悪くない。街灯と月光に照らされた水面はどこかもの寂しげで、でも時にキラキラと光りを反射しているのが綺麗でもあって。不思議な気持ちにさらされて、私はふとこんなことをつぶやいてしまった。

「私の恋も人魚姫のように、泡になってしまうのかな……」

 自分に自信がないし、告白するのが目標ってだけで、付き合える可能性なんて本当に少なくて。一度決めたことだからもう逃げられないのは分かってる。だけど、どうも前に進めない。心の中の私は、いつもいつも足が鰭と化している。水の中ではあんなに純粋だったのに、陸に上がると自分でも信じられないくらい自信がなくなる。プールではしゃいでいたあの頃の私に戻りたい。あの頃の私だったら、何も臆することなく気持ちを伝えられていただろう。多分。

 私はしばらく、真夜中のプールサイドから離れられなかった。


 後ろめたいし、気持ちが乗らない。まさに足が鰭と化しているまま、とうとう告白前日を迎えてしまった。本番が明日ってだけでも体は重く、頭は上手く回らない。考えすぎだということは自分でもよく分かっているつもりだが、どうもコントロールできないのだ。

 ちなみに今日の私はいつもとは一味違う。皐のコーディネートでいつもより少し派手めな服装だ。なんでも、前日にどれだけ彼の目に映るかが勝負らしい。彼の目に映るためにははっきりした色の服装と女の子らしい清純な白いスカートを履くことが必要だとか。ちょっぴり恥ずかしいが、彼に振り向いてもらうためだ。仕方がない。いつも通りお昼にオムライスを頼んだけど、今日ばかりはこぼさないように注意しないと。

 いつもよりスローペースに、それでいて慎重にオムライスの欠片を口に運ぶ。そんな私の横を、爽やかな潮風のようにすっと通りすぎていったのは紛れもなく彼だった。

 ほのかに香るマリンブルーな香りが鼻を誘ってくる。何の香水をつけてるんだろう。気になって仕方がない。そんな彼は今日はどうしたのだろう、チョコやスナック菓子を数個だけ買ってどこかに行ってしまった。今日のお昼は外食でもするのだろうか。せっかくのこの服も台無しだ。アピールするチャンスだったのに。私は一つため息をついた。

 席を立ち、帰る準備をする。まぁいい。明日が本番だ。無理やりに自分を納得させ、食堂のおばちゃんの立っているカウンターの前を通り抜けようとした、その時だった。

「ちょっと、あんた」

「はい?」

 急に食堂のおばちゃんに声をかけられた。何かしでかしただろうか?

「さっきのイケメンな子、お弁当忘れて行っちゃったみたいなんだけど、あんたいっつも見てるから知り合いかなんかでしょ? 私、まだこの通り仕事があるからさぁ、届けてあげたら?」

「ぇえ??」

 なんというチャンスなんだろう。ここで私が持っていけば――


「あの、これ忘れてましたよね?」

「あ、これ! ありがと! お礼にパスタでも食べに行かない? お洒落で美味しいシーフードパスタの店、知ってるからさ」

「本当ですか?」

「うん。行こっか」


 ――なんてことになるかも!

 妄想は膨らむばかり。それと比例して期待も膨らんでいく。こうしてはいられない。私は彼の後を追うことだけを考えて、大学の門を通り抜けた。


 だいたいの予想はついている。今日も水着が入っていると思われるビニール袋を持っていた。ということは目的地はただ一つ。この先にある小学校のプールだ。皐の情報によると、彼は市民プールの監視員と小学校のプールの監視員を掛け持ちしているらしい。そういえば、水着が入っていると思われるビニール袋には真空パック状態の浮輪がはみ出していた。きっと小学生に貸すためだろう。私はとにかく、小学校までの道のりを全力で駆け抜けた。


 小学校を見つけると、俄然足が動いた。もうすぐで彼に会える。そう考えただけで疲れも汗も感じることはなかった。徐々に子供たちのはしゃぎ声が聞こえ始めている。この路地を曲がればプールだ。錆びた柵が見え、その先には昔の私と同じように柵を上ってプールに入る児童が何人も見えた。そうだ、私も柵を乗り越えて一気に彼に会いに行こう! もはや大学生には必ず備わっているはずの理性は働かなくなっていた。こんなに前向きになったのはいつぶりだろうか。今の私は、本当に空でさえも飛べそうな気がしている。体が軽くて仕方がない。そのままの勢いで柵に向かって飛びつき、勢いだけで飛び越える。まるでヒーローが登場する時みたいに綺麗に着地すると、ホースでプールサイドに水をまく彼を見つけた。

 彼は本当に何をしていても似合う。日差しを浴びた小麦色の肌が眩しい。彼のことしか見ずに、そのまま弁当を差し出すように突進していく。

「あ、あの、これぇぇーー!」

「あ、危ない!」

 爽やかな彼に弁当を渡そうとしたその瞬間、先ほど彼がまいていた水に滑ってしまい、そのままプールの中に勢いよく飛びこんでしまった。

 水中は思ったよりも静かだった。泡が水面に向かって吹きあがっていく以外は何も見えない。それどころか、目が早くも痛痒くなってきて、犬かきをくずしたような泳ぎ方で、水面に向かって必死に顔を出す。

「ちょ、たす、たすけ、ちょっ」

 助けを呼んでも口の中に水が入ってきて上手く喋ることができない。必死に足で水をたたいても、体は浮き上がっていかない。スカートが足に張り付いて、重くて上手く泳ぐこともできない。私は完璧に溺れてしまった。

「わ、ちょ、たすけて、たすけ、て」

 こんな時ばっかり鰭にならずに足に変わる。この瞬間ばかりは、鰭になってほしかった。人魚姫みたいに、綺麗に泳げたら溺れなくて済むのに。本当に溺れるなんて、思ってもみなかった。

 すると思いが届いたのだろうか、彼がプールサイドに立って私の方を覗きこむように仁王立ちしているのが見えた。これで助かる。そう安心することができた。本当は明日が本番だけど、ある意味、作戦通りよね。私の頭の中に妄想が広がろうとしていた、その時だった。

「お前、何してんの?」

「ちょ、いい、から、たすけ、て」

「いや、そこお前なら足、届くだろ」

 ……えっ? ここ、届く……の?

 必死でばたつかせていた足を止め、ゆっくりと底に足をつけてみる。首どころか、腰のところまでしか高さがない。私は何がなんだか分からなくなって、その場で固まってしまった。

 その瞬間にプール中が子供たちの大爆笑に包まれた。私もまねして苦笑いをしてみる。彼は私をずっと見ながら、『早くあがれ』と目で合図を送っている。苦笑いのままゆっくりとプールサイドまで上がり、彼のそばまで行って弁当を渡す。

「こ、これ、届けたくて……ははっ」

「あぁ、ありがと……まぁ風邪ひくといけないから早く着替えなよ。俺のジャージ貸してやるから」

「は……はい」


 女子更衣室までとぼとぼと歩いて行き、彼から渡されたジャージに着替える。彼の匂いがしてとても幸せだった。

「入るぞー」

「あ、はい」

 私服に着替えた彼が更衣室のドアのところで仁王立ちしながら私を見ている。二人きりで見つめあうなんて、こんな状況が来るなんて想像してもみなかった。だがそれ以上に、恥ずかしさと、お弁当をぐちゃぐちゃにしてしまった後悔が後を絶たなかった。

「ったく、弁当濡れちゃったじゃんか」

「ご、ごめんなさい……」

 終わった。私の恋は、予想通り泡と化してしまった。まさに、すべてが水の泡だ。

 絶望感にひたる私に、彼は予想外の言葉で慰めてくれた。

「なんか奢れよ」

「えっ?」

「だから、これから何にもないんなら、なんか食い物奢ってくれよ。お前も、あったかいもの食べないと風邪ひくぞ?」

「え、あ……うん!」

 これってもしかして、デートのお誘い? 妄想じゃなく、現実の出来事として起こっている。その事実が嬉しくて、飛び上がってしまいそうで、幸せだった。

 鰭になってなくてよかった。心からそう思った。人魚は今日で卒業。やっと私はある意味、人間になれたのだ。

「さ、俺も着替えてきたから。行くぞ」

 そう言う彼の隣からは、ほのかにカルキの匂いがしていた。

いかがでしたでしょうか?

この後も続々と投稿される予定なので、どうぞこの後も御伽っ子企画をよろしくお願いします。

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