Side:ダイナード
カーティアは俺の妹分。
昔からかわいくてかわいくて大事な女の子だった。
親友のクラウディオが亡くなってから、心労でやつれてしまった彼女を大切に守り続けてきた。
クラウディオに頼まれたからだけじゃない。
カーティアも昔から俺に懐いてくれていて、それがまたかわいくて、手放せなかったのだ。
『ダイナード』
可憐な声に愛情深く名を呼ばれると喜びが胸を打ち、抱きついてくる小さな柔らかい身体を感じるたびに、命をかけても守ってやりたくなった。
いつからだろう?
カーティアが異性として俺に接してくるようになったのは。
俺がかわいくてつい頭をなでると『子ども扱いしないで!』と怒るようになった。
でも、ぷんぷん怒る彼女もかわいらしくて目を細めてしまう。
八歳下のカーティアは俺の中ではいつまでも幼い女の子だった。
だから、みるみる美しくなっていく彼女によこしまな感情を持つなんてできなかった。それは俺の中で禁忌のようなものだったのだ。
でも、俺は次第に気づいていった。
自分もまたカーティアを異性として求めていることに。
そして、それは彼女の兄、クラウディオにすぐばれた。
――ダイナード。僕は君がいい男だと思うし、信頼してカーティアを預けられると思っている。でも、カーティアはまだ幼い。彼女にお前以外の世界もあるのだと教えてやってくれ。
病床で死を悟った親友は、「こんなことを頼んで申し訳ないが……」と謝りつつ言ったのだ。
思い込みの激しい妹を心配して。
たしかに幼いころからカーティアは俺を中心に考えて行動する傾向があった。
『ダイナードが好きそうだからこっちのドレスにしたの』
『ダイナードと出かけるために乗馬ができるようになりたいの』
『ダイナードと踊れるならダンスの練習をがんばるわ』
かわいらしい言葉を微笑ましく感じ、ひそかに喜んでいたものの、クラウディオの心配も理解できた。
それになにより、当時、カーティアは十五歳、俺は二十三歳のただの騎士だった。
こんな中途半端な立場で想いを告げ、カーティアの未来を縛ることはできなかった。
クラウディオと相談して、カーティアが二十歳になるまで、俺の想いは伏せることにした。
(あと五年か……)
先は長いが、俺は待てると思った。
カーティアをこの腕に抱く日が来ると信じて疑わなかったから。
時が経ち、俺に会うために宮廷で勤め始めたと聞いたときには、クラウディオの懸念通りだと思い、 彼女の目をほかに向けさせるため、いろんな知り合いを紹介した。男も女も。
でも、カーティアは『私はダイナードがいればいいの!』とよくふくれていた。
それを聞いて、困ったような安堵したような気になったものだ。
結局、彼女のパートナーはいつも俺だった。
(仕方ないな。カーティアがそう望んでいるのだから)
クラウディオの言ったとおり、カーティアに広い世界を見せたいと思いながらも、逆に、囲い込んでこのかわいい姿を誰にも見せたくないと思ってしまう心もあった。
天真爛漫な彼女は自分の魅力にぜんぜん気づいておらず、危うかったから。
そして、無邪気に抱きついてくるカーティアを俺からも守らなくてはならなかった。
腕に胸を押しつけられて、男の象徴が反応しそうになるのを何度堪えたことか。
(こんな姿を彼女に見せるわけにはいかない)
どんどん女らしく魅力的になり続けるカーティアに手を出しそうになるのを、俺は必死で耐えた。
あと二年の辛抱だ。そうしたら……。
でも、そんな俺の態度がカーティアの目にどう映っていたのかを想像していなかった。
愚かな俺はクラウディオの遺言を守ることに気を取られ、カーティアの気持ちに応えることもないまま、そのくせ彼女の隣にいるのは自分だと信じ込んでいたのだ。
毎日のように遊びに来ていたカーティアが、あるときからぱったりと姿を見せなくなった。
たまに王宮の廊下で見かけても、近寄りもせずに去ってしまう。
(なにか怒らせることをしただろうか?)
最後に彼女に会ったときのことを思い出す。
いつものようにカーティアがお昼を誘いに来て、中庭で一緒にサンドイッチを食べた。
彼女はほがらかに職場のこと、美味しかったお菓子のことなどしゃべっていた。
俺はカーティアの話に相槌を打ちつつ楽しく聞いていただけで、怒らせる要素などなかった……はずだ。
(もっとなにかリアクションがほしかったのか? でも、今さらだな)
俺は口下手だからユリスのように気の利いたことが言えない。
それでも、カーティアは俺のそばにいるのが好きだと言ってくれていたのだ。
カーティアが会いに来てくれなくなって、いつも一緒にいたのは彼女の努力だったのだと気づいた。
いくら同じ王宮で勤めていても、偶然出くわすことは稀だった。
そんな状態が続き、俺は昼休みに彼女のために買った菓子を片手に、カーティアを探しに行くことにした。
甘いものは自分では好んで食べないが、カーティアが喜びそうなものの情報を収集する習慣はついていた。
きっとこの街で評判だというクッキーも喜んでくれるだろう。
そのときはまだ気軽に考えていた。
だけど、ようやく見つけたカーティアに逃げられた。
「とにかく急いでるから、ついてこないで!」
いつも俺のことを慕ってくれていたカーティアに拒否されるなんてと想像もしてなくて衝撃を受けた。
ウソだろう、そんなはずはないと現実を否定する気持ちが湧き上がる。
「待てって!」
思わず、その細い手首を掴んでしまう。
そして、こんなにも俺を避ける理由を問いただそうとした。
「大人になったのよ!」
そう返したカーティアの言葉に心臓が止まりそうになる。
決して目を合わせようとしない彼女の様子に、男の影を感じて、目の前が赤く染まった。
(まさか!)
感じているのは怒りか嫉妬か……?
資料室に駆け込んだ彼女を逃すまいと、身体を滑り込ませる。
パタンとドアが閉まったとたん、目の前のカーティアが裸になった――
「…………っ!」
頭の中が真っ白になった。
真っ白い滑らかな肌に、豊かな乳房。その先端にはかわいらしく色づいた突起が見える。
細くくびれた腰の下には、髪の毛と同じミルクティー色の繁みがあり、すんなりとした脚が続いていた。
身体の芯が熱を持ち、むくりと起き上がる気配を感じる。
「きゃああああ!」
カーティアの悲鳴で我に返った。
裸のままうずくまった彼女は涙声で叫んだ。
「いやあああ、だから、来ないでって言ったのに! ダイナードのバカッ! バカッ! 嫌いッ!」
不可解な状況に唖然としていた俺の胸に、その言葉は深く鋭く突き刺さった。
カーティアの口から『嫌い』という言葉など聞いたことがなかった俺は、ショックを受けたのだ。
しかも、猛烈な情欲を彼女に対して抱いてしまい、うしろめたく思った。
不純な自分を責められたような気がした。
それでも、とっさに上着を脱いで、彼女に着せかけた。「……悪い」とつぶやいて。
しかし、俺の上着まで消えてしまった。
「なんでだ!?」
驚く俺に追い打ちをかけるように、カーティアが答えた。
「もう、出てって! す……嫌いな人と二人きりになると服が消える呪いにかかっちゃったのよ!」
(呪い? 嫌いな人と……?)
彼女は妙な呪いにかかってしまったと言う。
しかも、俺は本気で彼女に嫌われてしまったらしい。
いつもケンカをしているユリスよりも嫌っているようだ。
呆然としたまま、俺に冷たく背を向けて去っていくカーティアを見送った。
(どうしてだ?)
疑問とともにカーティアの裸が頭から離れなくなった。
あの美しい裸体が頭の中でちらついては俺を悩ませ、思考を鈍らせる。
それはまぎれもなく成熟した女性の身体だった。
衝撃とともに、今まで頑なに思い描いていたカーティアの印象がパリンと粉々に砕けた。
幼い女の子というのは俺の幻想だったのだと思い知らされる。
とうにカーティアは大人の女性に成長していたというのに、俺の曇った目はそれを見ようとしていなかったのだ。
(なにが広い世界を見せるだ! 二十歳になるまで待つ? そんな余裕がどこにあるんだ!)
俺は急激に焦りだした。
想いを告げられないにしても、もう少しやり方があっただろう。
今さらながらに自分のしでかしに気づいた。
(彼女がほかの男の手に触れられる? そんなの許せるか!)
考えただけで頭に血がのぼる。
しかし、カーティアの気持ちに胡坐をかいていた俺は、いつのまにか愛想を尽かされてしまったようだ。
煮え切らない俺にうんざりしたのかもしれない。
(俺のものだったはずなのに……)
未練がましく思う。
でも、よく考えたら、俺は一度も本当には彼女を手に入れたことはなかった。愚かな俺は心地よい状況に甘んじて、なにもしないままだったから。
カーティアが二十歳になったら、プロポーズしようと考えていた。
しかし、それは俺の勝手な考えで、彼女に言質を与えることなく未来を語ったこともなかった。
今となっては、俺はカーティアにとって幼なじみというだけの存在だ。
俺のことが好きだったはずの彼女が去ろうとしていても、なんの立場もない。
「くそっ!、バカだ、俺は……」
手を痛いくらいに握りしめ、膝を叩く。
怒りを感じる。不甲斐ない自分自身に対して。
関係を改善しようにも、呪いのせいで二人きりになれない。
魔女協会に手紙を書いて、マーリスからの連絡を待っているが、未だに音沙汰はない。
そうこうしているうちに、次の舞踏会のパートナー役まで降ろされてしまった。
パートナーに立候補しているユリスを目撃して、思わずそれを阻んだ。
「カーティアのパートナーは俺だ」
言ってから、どの口がそれを言うのだと自嘲する。
俺にはなんの権利もないのに。
カーティアに見つめられて、言い訳を口にした。
「俺はクラウディオにカーティアのことを頼まれたんだ。悪いが、彼女のことに責任があるのは俺だ」
口実にされたクラウディオが聞いたら、あの穏やかな笑みを浮かべながらも咎めるだろう。
それは違うだろうと。
自分でもそう思う。
俺がすべきなのは言い訳じゃない。
そう思い直して、ふたたび口を開こうとしたとき、カーティアがきっぱりと言った。
「ダイナード、もうそういうのはいいから! あなたを解放するわ。今までありがとう」
カーティアの答えは柔らかな表現だったが、明確な拒否だった。
愕然としたまま、彼女の去っていく背中を見つめる。
「形勢逆転だな。今までお前がいかに恵まれていたかを思い知れ! カーティアにどれだけ甘えてたかを自覚しろよ」
ユリスが口の端を上げて、挑発的に言ってくる。
それに対して、俺はなにも反論できなかった。
すべて彼の言う通りだったからだ。
(俺はカーティアを守ってきたつもりでいたが、彼女の気持ちをないがしろにしていただけだった。だから、カーティアはユリスを選ぼうとしているのか?)
ユリスは軟派に見えて、ちゃんと筋の通ったいい男だ。
カーティアが彼を選んでも不思議ではない。
ただ、これだけは言っておかなくてはならないと低い声で告げる。
「カーティアを泣かせたら許さない」
「泣かせるもんか! ようやく巡ってきたチャンスなんだ。逃すわけがない」
その目を見て、いつも飄々としていた幼なじみが本気だということに今さらながら気づいた。
もしかして、浮名を流している彼が一人に決めないのは、カーティアを一途に想っていたからかもしれない。
俺はなんて鈍いのだと自分に失望した。
(カーティアは一人で前へ進もうとしている……。受け身で情けない俺がそれを邪魔していいのか? ユリスのほうが彼女にふさわしいのではないか?)
これまでなにも行動に起こしてこなかった俺がするべきは、彼女の意志を尊重して見守ることではないだろうかと考えた。クラウディオもそれを望んでいる気がする。
胸が焼けつくような想いを見ないふりして、グッと拳を握りしめる。
「……カーティアを頼む」
かすれた声で、言葉を絞り出した。
去り際の彼女の美しい笑みが頭の中によみがえる。
その顔は今までで一番大人びていた。
カーティアが笑っているなら、それでいい。
それでいいんだと自分を無理やり納得させた。
――それでも……。
俺は未練がましくカーティアを想うのだった。




