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恩返しなの?

 頭が真っ白になり、トボトボと歩いているうちに気がついたら中庭にいた。

 中庭といってもそこは植栽の中に石造りのベンチが一つあるだけの小さな空間だ。

 王宮の中でも目立たない場所なので利用する人はめったにおらず、ダイナードとよく来ていたところだった。二人きりになれると喜んで。

 つい足が勝手にここに向かっていたらしい。

 今日も誰もいなくて、ほっとする。

 一人になりたかったから。

 そこのベンチに崩れ落ちるように座り、両手で顔を覆った。

 石のベンチは硬く冷たい。

 ダイナードと一緒にいるときはそんなことを気にしたこともなかったのに。

 

「ダイナード……。好きだったのに。そんなに邪魔になってるなんて知らなかった……」


 考えてみればわかることだ。

 今までずっと好意をあらわにしていたのに、はぐらかされてばかりだった。

 あれは私の気持ちに応える気がないという彼の意思表示なのだ。

 それなのに、いつかは受け入れてもらえると期待して、仕事の邪魔までしていたなんて。


(なんてバカな私……)

 

 ダイナードは優しいから、私が自然と気づくまで待っていてくれたのだろう。

 ボロボロと手のひらに水滴が落ちてきて、伝い落ちていくのがわかった。

 こんなに悲しいのはお兄様が亡くなって以来だ。

 まるで暗闇の中、一人ぼっちになってしまったような孤独を感じる。

 深く沈み込んで身動きさえできなかった。

 どれくらいそうしていただろう。


「……にゃ〜」


 誰もいないと思っていた空間に、ネコのか細い鳴き声が響いた。

 それは助けを求めるような憐れを誘うような響きで、私は思わず顔を上げる。


「ネコ……?」

 

 怪我でもしているのかと周囲を見渡して、その声のもとを探した。

 私の声に応えるように、ネコがまた鳴いた。


「にゃ……」


 ここだと言うように鳴く声は近くから聞こえて、私はベンチの影に黒いネコの姿を発見した。

 動けない様子の小さなネコを抱き上げる。

 怪我はなさそうだけど、ぐったりしている。でも、その身体の温かさにほっとした。


「どうしたの? 誰かにいじめられた?」


 なんとなく呼びかけてみたら、ネコは私の手のひらをペロリと舐めた。

 涙でしょっぱかったのか、ネコがビクリと身体を震わせる。


『なにこれ! 乙女の涙じゃない!』


 突然、どこからともなく声がして、私は人影を探してキョロキョロする。

 泣いていた様子を見られていたら嫌だなと思って。

 でも、相変わらずそこにはネコと私だけしかいなくて、首をかしげた。

 その間もネコは私の手のひらを夢中でぺろぺろ舐めている。

 

「ちょっと、くすぐったいわ」


 さっきまで地の底を這うような気分だったけど、ネコに癒やされて、顔のこわばりが解けるほどには回復した。

 ネコのほうも元気になったのか、私の手の上で立ち上がり、今度は頬を舐めてきた。まるで、私の流した涙を拭い取るように。


「もしかしてなぐさめてくれてるの?」


 涙を拭きなよと言われているようで、心が温かくなる。

 でも、不可思議な声がまた聞こえてきて、私は目をまたたいた。


『いや〜、助かるわ〜! このタイミングで乙女の涙にありつけるなんて!』


 その声は私のすぐそばから聞こえてきたように思える。

 びっくりして、私はまじまじとその黒ネコを見つめた。

 艶やかな黒い毛並み、ピンと立った耳、ツリ上がった目。

 どこをどう見ても普通のネコにしか見えない。

 強いて言えば、紫の瞳がめずらしいかもしれない。

 ネコのほうも舐めるのを止めて、私を見た。


『ありがとう。魔力切れで動けなくなってたんだけど、おかげで補給できたわ』

「え、もしかしてこのネコ、しゃべってる!?」

『ネコじゃないんだな~』


 そう言ったネコは私の手の上から飛び降りて、スタンと地面に立った。と思ったら――そこにはネコの代わりに黒づくめのドレスを着た女性がいた。


「え、えぇー! なんでネコが!?」


 驚いた私は大声を出してしまった。

 その人は私と同じくらいの歳で、ネコっぽいコケティッシュな顔をした美人さんだ。

 黒髪に紫の瞳というのがネコと同じ色合いだった。

 にんまりと笑った彼女は私の手を取り、ブンブンと振った。


「本当にありがとう! 恋に泣き濡れる極上の乙女の涙だったわ!」

「こ、恋って……」


 嘆いていたのを聞かれていたのかと思って、恥ずかしくてうろたえる。

 変なことを言ってなかったか、頭の中で自分の言動を思い返してみた。

 すると、彼女は慌てて弁解してきた。


「あなたの想いをおもしろがってるんじゃないわよ? 魔女にとってはそういう深い感情のしみ込んだ涙がなにより栄養分になるのよ」

「魔女?」

「そうよ。私はマーリス。魔女協会の正式会員の魔女をやってるの」

「魔女協会? 正式会員の魔女?」


 聞いたことのない言葉がどんどん出てきて、私は混乱した。

 おとぎ話でなく魔女が本当に存在するとは思わなかった。

 それでもまだ信じられずに、彼女を凝視してしまう。

 絵本にあった魔女はおばあさんで、うさんくさい薬を作っているのがほとんどだ。

 目の前の溌溂とした若い女性とは似ても似つかない。

 だけど、マーリスは胸を張って、主張してきた。


「つまり、私は協会に認められた善い魔女ってことよ。その証拠に、あなたに恩返しをするわ」

「恩返しなんて、そんな……私は別になにも……」


 魔女の恩返しなんて、申し訳ないけど、なんかあやしい。

 そもそも私は涙を舐められただけでなにもしてないし。

 それとなく断ろうとしたのに、マーリスは掴んだままの私の手に力を込めた。


「遠慮しないで。恋が成就するように、好きな人と二人きりになると服が消える魔法をかけてあげる」

「え、ちょっと、待っ……」


 不穏な言葉が聞こえて止めようとしたのに、ピカッとマーリスの手から光が生まれ、私の全身を取り巻いた。なんだか一瞬身体の表面が温かくなった気がした。

 満足げにうなずいたマーリスは手を放し、シュルシュルと縮んで、またネコの姿に戻ってしまう。


『あなた、かわいいもの。きっと男だったらイチコロよ! 頑張ってね。じゃあね~』


 勝手なことを言って、ネコの姿のマーリスは、ぴょんぴょんと木を伝って屋根に上り、止める間もなく去っていってしまった。

 呆然とたたずむ私を残して。


「好きな人と二人きりになると、服が消える……? ウソでしょう~!?」


 我に返った私はわけがわからず叫んだ。

 

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