第4話 それでも、歩き出すしかなかった
朝の光は、残酷なほど平等だった。
焼け落ちた村にも、昨日と同じように陽は昇る。
だが、もうそれを迎える人間はいない。
少年は、村の外れに立っていた。
背負い袋の中身は少ない。
乾いたパンが二切れと、水袋。それから、どうしても手放せなかった――鉄の鍵。
「……本当に、行くんですか」
自分の声が、やけに幼く聞こえた。
隣に立つエルディアは、煙の向こうを見つめている。
彼女は一度も、村の中へ足を踏み入れようとはしなかった。
「ここに残る理由は、もうないでしょう」
「……それでも」
言葉が続かない。
残りたいわけではない。
ただ、行き先が分からないだけだ。
少年は鍵を握りしめた。
冷たい感触が、現実を否応なく思い出させる。
「これ……どこへ持って行けばいいんですか」
「分からない」
エルディアは即答した。
少年は思わず顔を上げる。
「え?」
「正確には、“決まっていない”」
エルディアは、少年を見る。
「《閉界の鍵》は、使うためにあるものじゃない。
正しく言えば――使わせないために、運ばせるものよ」
「……そんなの」
無責任だ、と言いかけて、少年は口をつぐんだ。
責任という言葉を使えるほど、自分は何もしていない。
「だから、逃げる」
エルディアは淡々と言った。
「追われる限り、世界はまだ閉じられない」
その言葉の意味を、少年は完全には理解できなかった。
それでも一つだけ、はっきり分かることがあった。
――この人は、本気で世界の裏側を見ている。
そのときだった。
乾いた足音が、背後から近づいてきた。
「……話は終わったか」
低い男の声。
振り向いた瞬間、少年は息を呑んだ。
男は、明らかに戦う者だった。
傷だらけの鎧。手入れはされているが、古い。腰には剣が下がっている。
何より、目が違った。
恐怖を知り、それでも前に出てきた人間の目だ。
「誰ですか……」
少年が一歩下がると、男はそれ以上近づかなかった。
「名乗るほどの者じゃない」
そう言いながらも、男はエルディアを見た。
「だが、あんたは知っている。
元・大神殿の神官学者、エルディア・グラウ」
エルディアの表情が、わずかに硬くなる。
「……まだ、その名を覚えている人がいたのね」
「忘れられるわけがない」
男は視線を少年へ移す。
「そして、そいつが“持っている”」
少年は、思わず鍵を胸元に引き寄せた。
「返せ、とは言わない」
男はそう前置きしてから、続けた。
「使え」
空気が、一瞬で張り詰めた。
「それがあれば、国が救える」
少年は首を横に振る。
「無理です。僕は……」
「分かっている」
男は遮った。
「臆病者だろう」
胸が、ちくりと痛んだ。
「だがな」
男は一歩踏み出す。
「それでも、生き残ったのはお前だ」
沈黙。
少年は、何も言い返せなかった。
「俺の国は、もうすぐ滅びる」
男の声は、怒りではなく、疲労に満ちていた。
「だが、あれを使えば止められる。
だから俺は――」
「それ以上、言わないで」
エルディアが、静かに割って入った。
「彼は、使わない」
男の目が細くなる。
「決めるのは、お前じゃない」
「いいえ」
エルディアは、はっきり言った。
「決めるのは、彼よ」
視線が、少年に集まる。
喉が、ひどく乾いた。
「……僕は」
声が震える。
「僕は、誰も救えません」
それが、正直な答えだった。
「戦えないし、選べないし……」
鍵を握る手に、力が入る。
「でも……これを使って、誰かを切り捨てるのも、できません」
男は、しばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐く。
「……そうか」
剣に手をかけることは、しなかった。
「なら、俺はついて行く」
少年とエルディアが、同時に男を見る。
「使わせないために、守る役が必要だろう」
自嘲気味な笑み。
「皮肉な話だ。
世界を救うために、世界を救わせない旅か」
少年は、答えられなかった。
ただ一つ、分かっていることがある。
ここに留まる選択肢は、もうない。
臆病者は、剣を取らなかった。
勇気を持つことも、まだできなかった。
それでも――
一歩、前に出た。
世界を終わらせる鍵を、
一番それを恐れる手で握りしめたまま。
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