第3話 逃げても、鍵は離れなかった
夜明けは、驚くほど静かに訪れた。
煙の匂いだけが、村の終わりを主張している。
少年は、焼け落ちた家々の間に立ち尽くしていた。
生きている者の声は、ほとんどない。
泣き声も、叫び声も、もう聞こえなかった。
あるのは、燃え尽きた木が崩れる乾いた音と、風が瓦礫を撫でる音だけだ。
「……夢じゃ、ないよな」
自分の声が、やけに遠く感じられる。
祠は完全に崩れ落ちていた。
石像の残骸は黒く焦げ、もはや人の形を保っていない。
そして――少年の手の中には、鉄の鍵があった。
夜の出来事のすべてが、この小さな塊に収束しているような気がして、少年は思わずそれを地面に落とした。
からん、と乾いた音がする。
それだけだ。
何も起きない。
少年は数歩後ずさりし、鍵から距離を取った。
「……置いていけばいい」
そうだ。
自分が持つ必要なんて、どこにもない。
鍵はただの物だ。
祠が壊れた拍子に出てきただけの、偶然の産物に違いない。
少年は踵を返し、村の外れへ向かって歩き出した。
魔境から遠ざかる道。
昨日まで、決して近づこうとしなかった方向だ。
背後を振り返らないよう、必死に足を動かす。
胸の奥で、何かがざわついていたが、無視した。
しばらく歩いたところで、足が止まる。
違和感。
少年は、そっと懐に手を入れた。
――あった。
「……なんで」
鉄の鍵が、そこにあった。
確かに、地面に置いてきたはずなのに。
拾った覚えは、ない。
心臓が早鐘を打ち始める。
少年は、今度は走った。
鍵を掴み、川まで走った。
濁流に向かって、力いっぱい投げ捨てる。
水面に一瞬、波紋が広がり――鍵は沈んだ。
「……よし」
声が震える。
これでいい。
これで、全部終わりだ。
そう思いながら、少年はその場を離れた。
だが、どれだけ歩いても、胸のざわめきは消えなかった。
嫌な予感に耐えきれず、再び懐に手を入れる。
――そこに、鍵はあった。
「……嘘だろ」
笑おうとして、顔が引きつった。
今度は土に埋めた。
石を積み、場所を覚え、何度も確認した。
それでも、鍵は戻ってきた。
少年は、膝から崩れ落ちた。
「……逃げられない、のか」
誰に問いかけるでもなく、呟く。
そのときだった。
「当然よ」
背後から、女の声がした。
反射的に振り向く。
そこに立っていたのは、見慣れない女だった。
年の頃は四十前後。灰色の外套を羽織り、杖を手にしている。
魔物ではない。
だが、ただの旅人とも違う。
「……誰、ですか」
声が掠れる。
女は一歩も近づかず、少年の手元――鍵を見つめた。
「安心しなさい。あなたを殺しに来たわけじゃない」
「じゃあ……」
「私は、追われている側」
女はそう言って、わずかに笑った。
「そして、あなたと同じものを、探していた」
少年は、鍵を隠すように胸に抱いた。
「返しません」
「ええ。返しても意味がないわ」
女――エルディアは、静かに言った。
「それはもう、あなたを選んだ」
「……選ばれた、ってことですか」
少年の声には、怒りも、期待もなかった。
ただ、疲労だけがあった。
エルディアは首を横に振る。
「いいえ」
はっきりと、否定する。
「あなたは、選ばれたんじゃない」
そして、こう続けた。
「選ばれなかったからこそ、持ててしまったの」
少年は、言葉を失った。
エルディアは杖を地面に突き、ゆっくりと言う。
「それは《閉界の鍵》。
世界を“閉じる”ためのものよ」
少年の喉が鳴った。
「……そんなもの、いりません」
「ええ。誰も欲しがらない」
エルディアの声は、どこか哀しげだった。
「だから、あなたのところに来た」
沈黙が落ちる。
少年は、初めて理解した。
これは力ではない。
祝福でもない。
これは、逃げられない役目だ。
そして、その役目を背負う条件が――
「怖がりで、選びたがらないこと」なのだと。
少年は、鍵を強く握りしめた。
手放せない理由が、
この世界には、もう存在しないと知りながら。
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