第2話 切られた人々の日常
朝は、普通に来た。
太陽が昇る――
というより、
空が少しだけ明るくなる。
灰層の朝は、
はっきりとした境目がない。
少年は、
薄明るくなった天井を見つめながら、
静かに目を開けた。
夜の間、
何も起きなかった。
それが、
少しだけ残念で、
同時に、ひどく安堵でもあった。
外に出ると、
集落はすでに動いていた。
誰かが鍋に火を入れ、
誰かが水を汲み、
誰かが子どもを起こしている。
――あまりにも、日常だ。
少年は、
昨日話した畑の男――エルグを見つけた。
彼は黙々と作業を続けている。
「……手伝います」
そう言うと、
エルグは一瞬だけこちらを見て、
無言で鍬を渡した。
拒絶でも、歓迎でもない。
それが、
この場所の流儀らしい。
土は、軽かった。
掘ると、
すぐに崩れる。
「……作物は、
ちゃんと育つんですね」
「育たないものもある」
エルグは、淡々と言った。
「だが、
ここで育たないなら、
上でも無理だ」
その言葉は、
妙に説得力があった。
「……皆さんは」
鍬を動かしながら、
少年は尋ねる。
「この生活で……
満足しているんですか」
エルグは、しばらく考えた。
「満足、という言葉は使わない」
「……では」
「納得している」
少年の手が、
一瞬止まる。
納得。
それは、
受け入れることとは違う。
諦めとも、違う。
選んだ結果に、
自分で責任を持つ、
という響きがあった。
作業の合間、
子どもたちが集まってきた。
「その人、上から来たんだって」
「ほんと?」
「ねえ、上って、
まだ空は青いの?」
無邪気な声。
少年は、
少し言葉に詰まった。
「……青い、と思う」
「ふーん」
子どもたちは、
それ以上、興味を示さなかった。
彼らにとって、
上の世界は――
過去の話なのだ。
昼になると、
簡素な食事が配られた。
味は薄い。
だが、不思議と不満は出ない。
空腹を満たすことだけが、
目的ではない。
皆で食べる、
という行為そのものが、
生活の芯になっている。
「……帰りたいと、
思う人はいないんですか」
食事の席で、
少年は再び聞いてしまった。
周囲の手が、
一瞬だけ止まる。
誰も怒らない。
誰も声を荒げない。
だが、
空気が変わった。
「帰る、とは?」
年配の女が、静かに尋ねる。
「……上の世界に」
女は、
小さく息を吐いた。
「帰る場所は、
もうないよ」
責める口調ではない。
「上に残ったのは、
私たちより
強い人たちだ」
別の男が、
ぽつりと言った。
「切る選択を、
引き受けられる人たちだ」
少年は、
胸が締め付けられるのを感じた。
彼は、
その選択を拒んだ。
だが、
彼らは――
引き受けなかった。
「……あんたは、
正しいよ」
エルグが、
静かに言った。
「切らない、
というのは」
少年は、顔を上げる。
「でもな」
エルグは、
少年をまっすぐ見た。
「正しさは、
全員を救わない」
その言葉は、
怒りでも、
皮肉でもなかった。
事実だった。
「ここでは、
切らない代わりに、
諦めた」
「……何を」
「上を」
少年は、
何も言えなかった。
午後、
集落の端まで歩くと、
小さな墓標の列があった。
石に刻まれた名前は、
少ない。
「……亡くなった人たちですか」
「違う」
エルグは、首を振った。
「残らなかった人たちだ」
少年の喉が、鳴る。
「戻ろうとした者」
「拒否を、
怖がった者」
「降りきれなかった者」
灰層は、
優しいだけの場所ではない。
ここにも、
選択があり、
失敗がある。
夕方、
少年は集落の外れに座り、
灰色の空を見上げた。
ここには、
確かに暮らしがある。
だが、
自分の拒否は、
それを守るとも、
壊すとも言い切れない。
鍵を握る。
静かだ。
だが、
静かすぎる。
「……俺は」
少年は、
自分の声が震えるのを感じた。
「この人たちのために、
来たわけじゃないのか」
答えは、
まだ出ない。
灰層の夕暮れは、
音も色も、
ゆっくりと薄れていく。
まるで、
考える時間を与えるように。
少年は、
初めて理解し始めていた。
――切られた世界は、
救いを待っていない。
それが、
何より重い現実だった。
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