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世界を救うには切り捨てが必要らしいけど、俺は拒否することにした ―切り捨てない選択をしたら、誰にも歓迎されなかった  作者: 深影シオン
第5章:沈殿層Ⅰ ― 灰の世界を歩く

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第1話 灰の入口

 足を踏み出した瞬間、

 世界は一段、音を落とした。


 完全な静寂ではない。

 風もあるし、遠くで人の声もする。


 ただ――

 一拍、遅れて届く。


 少年は、自分の呼吸音が

 ほんのわずかに後追いで返ってくるのを感じ、

 無意識に歩調を緩めた。


「……ここが」


 沈殿層Ⅰ。

 灰層。


 境界研究者の老人が言っていた通り、

 そこは「壊れた世界」ではなかった。


 空はある。

 地面もある。

 建物も、人もいる。


 だが、色が薄い。


 青だったはずの空は、

 水で洗いすぎた布のように白み、

 影はくっきりと輪郭を持たない。


 まるで、

 完成する前に冷めてしまった世界だ。


 少年は、振り返った。


 来たはずの境界は、もう見えない。

 霧のようなものが立ち込め、

 どこが上で、どこが下だったのか分からない。


「……戻れる、よな」


 呟いてみる。


 返事はない。


 だが、恐怖はなかった。

 それが、逆に不安だった。


 道らしきものを進むと、

 やがて集落が見えてきた。


 石と木で組まれた家々。

 雑だが、崩れてはいない。


 畑もある。

 土は灰色がかっているが、

 作物は育っている。


 ――生活だ。


 少年の胸に、

 奇妙な安堵が広がった。


 誰も、倒れていない。

 泣き叫んでもいない。


 切られた世界にあるはずの

 悲惨な光景は、どこにもなかった。


「……よかった」


 思わず、そんな言葉が漏れる。


 そのとき、

 近くで作業をしていた男が顔を上げた。


 年の頃は三十前後。

 浅黒い肌に、無精ひげ。


 こちらを一瞥すると、

 すぐに畑に視線を戻す。


「……旅の人か」


 声音は、淡々としていた。


「ええ」


 少年は、近づきすぎない距離で答える。


「ここは……」


「灰層だ」


 男は、手を止めずに言った。


「それ以上でも、それ以下でもない」


 説明を拒むような言い方。


「……皆さん、ここで暮らしているんですか」


「他に、どこがある」


 それは、問いではなかった。


 事実の確認だ。


 少年は、胸元の鍵に触れた。


 静かだ。

 拒否の反応もない。


「……上の世界から、来ました」


 その言葉に、

 男の手が一瞬だけ止まった。


 だが、振り向かない。


「そうか」


 それだけ。


 拒絶も、歓迎もない。


「……帰りたいと、思いませんか」


 言ってから、

 少年は自分の不用意さを悔いた。


 男は、ゆっくりと立ち上がり、

 ようやくこちらを見た。


 その目には、怒りも悲しみもなかった。


「帰る、とは?」


「……元の世界に」


 男は、少し考えた。


「俺たちは、

 ここに落ちたわけじゃない」


 その言葉に、

 少年は息を呑む。


「……切られたのでは」


「切られる前に、

 降りた」


 男は、そう言った。


「上に残れば、

 もっと多くが巻き込まれた」


 淡々とした口調。


「だから、選んだ」


 降りることを。


 少年は、言葉を失った。


 切られた世界の住人は、

 一方的な被害者だと思っていた。


 だが、この男は違う。


 選択した側だ。


「……後悔は」


「ない」


 即答だった。


「上は、

 あまりにも重すぎた」


 男は、畑を見渡す。


「ここは軽い。

 不完全だが、

 まだ手で直せる」


 少年の胸に、

 小さな違和感が生まれる。


 ――軽い。


 拒否が溜まりすぎると、

 世界は重くなる。


 ノクティルで聞いた言葉が、

 脳裏をよぎる。


「……俺は」


 少年は、言葉を選びながら続けた。


「切らせないために、

 ここへ来ました」


 男は、眉をひそめた。


「切らせない?」


「ええ」


 少年は、真っ直ぐに言う。


「誰かを救うために、

 誰かを切る選択を、

 拒否しています」


 沈黙。


 集落のあちこちで、

 作業の音が止まった。


 視線が、

 ゆっくりとこちらに集まる。


 だが、その目にあるのは――

 期待ではなかった。


「……それで?」


 男が、低く言った。


「それで、

 俺たちはどうなる」


 少年は、言葉に詰まる。


「……皆さんが、

 切られずに済む」


「既に、切られていない」


 男の声は、少しだけ強くなる。


「俺たちは、

 降りた」


「……でも」


「上の世界を、

 守るために、だ」


 少年の胸が、きしむ。


 拒否は、

 誰かを救う行為だと信じていた。


 だが今、

 それは別の意味を持ち始めている。


「……あんた」


 男は、はっきりと言った。


「俺たちを、

 上のために使う気か」


「違う!」


 思わず声が出た。


「そんなつもりは……」


「同じだ」


 男は、首を振る。


「切られるのも、

 拒否の理由にされるのも」


 どちらも、

 上の世界の都合だ。


 その言葉が、

 深く突き刺さる。


「……今日は、もう休め」


 男は、背を向けた。


「この話は、

 歓迎されない」


 少年は、その背中を見つめた。


 正しいことを言ったはずだった。

 少なくとも、自分ではそう思っていた。


 だが――

 ここでは違う。


 夕暮れが訪れる。


 灰色の空が、

 さらに色を失っていく。


 集落に、

 小さな灯りが点った。


 少年は、与えられた簡素な寝床に腰を下ろし、

 鍵を見つめた。


 静かだ。


 拒否も、

 共鳴も、

 今は何も起きていない。


 それが、

 何より不安だった。


「……俺は」


 誰に向けるでもなく、呟く。


「本当に、

 正しいことをしているのか」


 答えは、

 返ってこない。


 灰層の夜は、

 静かで、軽くて、

 そして――

 どこか冷たかった。


 少年は、

 初めてこの旅で、

 眠るのを怖いと思った。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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