閑話 ある地図から、消えた村
その村は、地図に載っていた。
少なくとも、
三年前までは。
王都から二日の距離。
川沿いの、小さな農村。
税も、兵役も、
きちんと果たしていた。
だから――
消える理由は、なかった。
「……おかしいな」
王都評議会補佐官代理、
リュデルは地図を睨んでいた。
机の上には、
新旧二枚の地図が並んでいる。
古い方には、
確かに村の名がある。
だが、新しい地図には――
何もない。
「消した覚えは?」
背後の部下が、首を振る。
「ありません。
更新記録にも……」
言葉が、途切れた。
「……ありません」
リュデルは、深く息を吐いた。
「現地確認は?」
「三日前に、
騎士団を出しました」
「結果は」
部下は、
一拍、置いてから答えた。
「……村は、
ありました」
「……は?」
「人も、
家も、
畑も」
リュデルの眉が、僅かに動く。
「なら、なぜ地図から消えた」
「……分かりません」
部屋に、沈黙が落ちる。
リュデルは、
新しい地図の白紙部分を指でなぞった。
そこは、
例の境界線の近くだった。
「……数に入らなくなったか」
呟きは、
部下には届かなかった。
「神殿には?」
「既に連絡を」
「返答は」
「……“問題なし”と」
リュデルは、
目を閉じた。
問題がないはずがない。
だが、
問題として扱われていない。
「……記録官を呼べ」
「は」
しばらくして、
白衣の老人が現れた。
「例の村だ」
リュデルが言う。
「知っています」
老人は、即答した。
「……いつから」
「昨夜です」
「昨夜?」
「ええ」
老人は、
震える指で一冊の帳簿を開く。
「昨夜、
境界測定値が一段階、下に沈みました」
リュデルの背筋が、冷えた。
「沈んだ……」
「完全ではありません」
老人は、首を振る。
「ただ、
下と繋がり始めている」
「原因は」
老人は、
少し迷ってから答えた。
「……拒否反応です」
リュデルは、
無意識に椅子の肘掛けを掴んだ。
「……あの、臆病者か」
「可能性は、高い」
老人は、淡々と言った。
「彼は、
切らなかった」
「それで……」
「世界が、
どちらに落ちるか迷っている」
それは、
王権にとって最悪の状態だった。
切れるなら、切る。
沈むなら、沈ませる。
だが、
迷っている世界は、
制御できない。
「……その村は」
リュデルは、声を低くした。
「今も、
そこにあるのか」
老人は、
静かに頷いた。
「あります」
「だが……」
「ええ」
老人は、目を伏せる。
「もう、
上の世界の住人とは言えません」
リュデルは、
何も言えなかった。
地図から消えたが、
現実からは消えていない。
その中間。
――沈殿の、入口。
「……どうする」
老人は、
小さく首を振った。
「選択を、
先送りするしかありません」
「拒否が、
続く限り?」
「はい」
部屋の外で、
鐘が鳴った。
いつもより、
低い音だった。
リュデルは、
白紙になった地図を見つめる。
「……切らせない者、か」
それは、
英雄の名ではない。
だが、
この世界にとっては――
最も厄介な存在だった。
遠く離れた場所で、
少年が境界へ向かっていることを、
リュデルはまだ知らない。
だが、
地図だけが、
先に反応していた。
白紙は、
静かに、
増え始めている。
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