第7話 街を出る理由
ノクティルの朝は、
何事もなかったように始まった。
市場は開き、
パンの匂いが漂い、
昨夜の出来事など、誰も覚えていない。
――覚えていないのではない。
感じていないだけだ。
少年は、広場の端に立っていた。
噴水の水音が、
昨日よりわずかに重い。
それだけで、十分だった。
鍵を握る。
静かだ。
だが、沈黙の質が変わっている。
拒否が、
溜まり始めている。
「……やっぱり、か」
背後から声がした。
振り返ると、
境界研究者の老人が立っている。
「今朝、
地下の測定値が跳ねました」
「……僕のせいですか」
老人は、すぐには答えなかった。
「原因の一つではあります」
正確な言い方だった。
「あなたの拒否は、
下に落ちる」
「沈殿層に……」
「ええ」
老人は、噴水を見つめる。
「それは本来、
世界を守るための反応です」
間。
「だが、
一点に溜まれば、重さになる」
少年は、唇を噛んだ。
「……この街は」
「境界点に近づいています」
はっきりした宣告。
「まだ、切られるとは限らない」
「でも……」
「ええ」
老人は、静かに頷いた。
「あなたがここにいれば、
確率は上がる」
少年は、目を閉じた。
市場の笑い声が、
遠く感じられる。
「……神殿も」
「動いています」
「王権も」
「ええ」
老人は、淡々と言った。
「両方とも、
この街を“数に入れるかどうか”を
検討し始めた」
それが、何を意味するか。
少年には、もう分かる。
「……選ばせないためには」
呟きに、
老人は黙って耳を傾けた。
「僕が、
ここにいない方がいい」
老人は、何も言わなかった。
肯定も、否定もない。
それが、答えだった。
少年は、街を見渡した。
子どもたちが走り、
商人が値を叫び、
旅人が笑っている。
――切らせない。
そのために、
自分が去る。
あまりにも、皮肉だ。
「……逃げるわけじゃない」
自分に言い聞かせる。
「立つ場所を、
変えるだけだ」
老人が、ゆっくり言った。
「行き先は?」
少年は、迷わなかった。
「世界の縁です」
老人は、目を細めた。
「一番、
危険な場所ですね」
「だから、
僕が行く」
拒否は、
集まれば重くなる。
なら――
分散させるしかない。
拒否を、
境界点から境界点へ。
世界の縁を、
渡り歩く。
「……あなたは」
老人は、少しだけ笑った。
「切らせないために、
世界を回る気ですか」
「はい」
少年は、頷いた。
「一人では、
無理でも」
ミルナたち。
沈殿層の意志。
「……繋げば、
できるかもしれない」
老人は、深く息を吐いた。
「世界は、
あなたを歓迎しないでしょう」
「分かっています」
少年は、外套を整えた。
「でも、
数に入らない世界を、
放っておけません」
広場の鐘が鳴る。
形だけの鐘。
だが、今日は少しだけ響いた。
それを合図にするように、
少年は歩き出した。
街の出口へ。
振り返らない。
ノクティルは、
変わらずそこにある。
だが、
選ばれなかった未来を
一つ、免れた。
それでいい。
境界は、線ではない。
人が立つ場所だ。
少年は、
世界の縁へ向かう。
拒否を、
誰か一人に背負わせないために。
そしていつか、
世界そのものが
切らずに済む日まで。
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