第1話 境界は、街の形をしている
街は、あまりにも普通だった。
高い城壁もない。
威圧的な神殿もない。
王の紋章が掲げられた門もない。
ただ、人が行き交い、声があり、灯りがある。
――それが、逆に不自然だった。
「……ここが、ノクティル」
少年は、街の入口で足を止めた。
境界の街。
祈りが薄れ、命令が届かず、
闇界と現世が重なり合う場所。
エルディアから聞いていた話より、
ずっと静かで、ずっと穏やかだ。
市場では商人が笑い、
子どもたちが追いかけっこをしている。
――あまりに、切られていない。
その違和感が、胸に引っかかった。
少年が一歩踏み出すと、
周囲の空気が、ほんのわずかに揺れた。
視線。
誰かが、見ている。
それは敵意ではない。
興味でもない。
――確認だ。
少年は、何も隠さなかった。
外套を深く被らず、
胸元の鍵も、布で覆っただけ。
噂が立つなら、それでいい。
ここでは、
自分が来たこと自体が意味になる。
「……おや」
声をかけてきたのは、露店の老商人だった。
白い髭、くすんだ目。
「旅人かい?」
「……ええ」
少年が頷くと、商人はにやりと笑った。
「最近は、
“選ばれない客”が増えててね」
心臓が、わずかに跳ねた。
「……選ばれない?」
「神にも、王にも」
商人は、干し果実を並べながら言う。
「ここはな、
一度、切られかけた街だ」
さらりとした口調。
だが、その言葉は重かった。
「切られ……かけた?」
「そうさ」
商人は、周囲を見回し、声を落とす。
「昔、ここは境界ごと閉じられる予定だった。
だが――」
一拍、間。
「うまく切れなかった」
少年の喉が鳴る。
「……どうして」
商人は、肩をすくめた。
「さあな。
記録は残ってない」
だが、笑みは消えなかった。
「ただ一つ、確かなのは――」
商人は、少年を見た。
「ここは、
切るには面倒な街になったってことだ」
その瞬間、鍵が、ほんのわずかに重くなった。
拒否の反応。
だが、以前ほど激しくはない。
――共鳴している。
少年は、そう直感した。
街の奥へ進むにつれ、
視線は増えていった。
路地の影。
二階の窓。
何気ない会話の隙間。
誰も近づいてこない。
誰も声を荒げない。
ただ、
「ここに来た」事実だけが、広がっていく。
少年は、中央広場に出た。
噴水があり、
その周囲に石のベンチが並んでいる。
不意に、子どもの声が聞こえた。
「ねえ……」
振り向くと、
黒髪の子どもが一人、立っていた。
歳は十にも満たない。
「……その人、まだ終わってない?」
意味が、すぐには分からなかった。
「……誰のこと?」
子どもは、少年の胸元を指差す。
「その“向こう”」
ぞくりと、背筋が冷えた。
「前にね、
似た匂いの人が来たんだ」
子どもは、首を傾げる。
「壊したがってた」
少年の口が、渇く。
「……その人は、どこへ」
子どもは、笑った。
「下」
短い答え。
「でも、まだね」
指を胸に当てる。
「残ってる」
呼吸が、乱れた。
――ミルナ。
名を呼ぶ前に、
子どもは人混みに紛れて消えた。
広場には、
いつも通りの喧騒が戻る。
何事もなかったように。
少年は、ベンチに腰を下ろした。
鍵を握る。
静かだ。
拒否に慣れたわけではない。
諦めたわけでもない。
――繋がり始めている。
ここは、
ただの逃げ場じゃない。
切られなかった理由がある街。
そして。
自分は、
その理由を揺らす存在だ。
少年は、深く息を吸った。
「……長居は、できないな」
それでも。
ここでしか、
見えないものがある。
境界は、
最初から“線”ではなかった。
街の形をして、
人のふりをして、
今も、選択を待っている。
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