第2話 小さな手を、離せなかった
森を抜けた先に、小さな集落があった。
村と呼ぶには心許ない。
家は五つほど。畑も荒れ、獣除けの柵は壊れかけている。
少年は、遠くから様子を窺っていた。
――近づかない方がいい。
頭では分かっている。
自分が行く先には、いつも何かが起こる。
だが。
畑の端で、子どもが一人、しゃがみ込んでいた。
小さな背中。
肩が、かすかに震えている。
「……」
足が、止まらなかった。
気づけば、少年は声をかけていた。
「……どうしたの?」
子どもは、びくりと肩を跳ねさせ、こちらを振り向いた。
歳は七つか、八つ。
服は擦り切れ、目元は赤く腫れている。
「……お姉ちゃんが、帰ってこない」
それだけで、事情は察せた。
この辺りは、神殿の祈祷路に近い。
最近、隔離と“浄化”が増えている。
「……大人は?」
「みんな、森に行った」
子どもは、唇を噛んだ。
「戻らないって……言われた」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
――ここに来るべきじゃなかった。
それでも、背を向けることができなかった。
「……一緒に、探そう」
子どもの目が、わずかに見開かれる。
「ほんと?」
「……うん」
約束してはいけないと、分かっていた。
それでも、言葉が先に出た。
森は、静かすぎた。
鳥も、虫も、いない。
それが意味することを、少年はもう知っている。
ほどなくして、白い布が見えた。
祈祷陣の残骸。
地面には、倒れた大人たち。
息はあるが、目を覚まさない。
「……お姉ちゃん!」
子どもが駆け寄る。
そこに、少女がいた。
胸に祈祷紋を刻まれ、浅く息をしている。
――生きている。
だが、このままでは。
少年の手が、震えた。
《閉界の鍵》が、ずしりと重くなる。
――使えば、助かる。
それが、はっきり分かった。
鍵穴のような窪みが、微かに熱を帯びる。
境界が、開きかけている。
「……やだ」
少年は、歯を食いしばった。
使えば、この子は助かる。
でも、その先で――誰かが切り捨てられる。
見えない犠牲が、積み上がる。
「……ごめん」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
少年は、少女の額に手を当てる。
熱はある。
だが、命の火は、まだ消えていない。
「……運べる」
時間は、わずか。
少年は、少女を背負った。
重い。
鍵よりも、ずっと重い。
子どもが、必死についてくる。
「ねえ……助かる?」
問いに、即答できなかった。
「……分からない」
正直な答えだった。
森を抜ける途中、足音が聞こえた。
白衣。
祈祷官だ。
少年の背筋が凍る。
「止まりなさい」
穏やかな声。
「その者は、既に“選別”されています」
子どもが、泣き叫ぶ。
「返して! お姉ちゃん!」
祈祷官は、眉一つ動かさない。
「これは、世界のためだ」
少年の視界が、赤くなる。
――使えば、今すぐ終わる。
祈祷官も、祈祷も、境界ごと閉じられる。
だが。
「……嫌だ」
少年は、一歩下がった。
「あなたたちは……
人を、数で見てる」
祈祷官の目が、細くなる。
「君に、拒否権は――」
「あります」
声は、震えていた。
それでも、逃げなかった。
次の瞬間、地面が揺れた。
闇が、祈祷官の足元を裂く。
「……チッ」
低い舌打ち。
ミルナの声だった。
「やっぱり、こうなる」
闇が広がり、祈祷官の陣を破壊する。
だが、完全ではない。
「連れて行け!」
怒号。
少年は、走った。
必死で、必死で。
だが――
背中の重みが、ふっと軽くなる。
「……え?」
少女の体が、動かなくなっていた。
息が、止まっている。
世界が、静止した。
「……あ」
声にならない声。
子どもの泣き声が、遠くで響く。
少年は、膝から崩れ落ちた。
鍵は、まだ手の中にある。
使っていない。
拒否した。
その結果が――これだ。
ミルナが、横に立つ。
「……助けられたかもね」
静かな声。
「でも、使わなかった」
少年は、何も言えなかった。
言える言葉が、なかった。
ただ、子どもの小さな手を、握りしめた。
逃げた。
拒んだ。
そして――
守れなかった。
それでも。
それでもなお、
鍵を使わなかった自分を、
完全には否定できなかった。
臆病者は、泣きながら、立ち上がった。
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