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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ニュートゥェ詣で。

作者: カズあっと



「さぁさ。寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。世にも珍しくもありがてぇ、生きたお山のニュートゥェ様の分霊よ。月が巡るまでのお披露目だ。この機を逃せば、次に拝めるのは早くても十年後。今見ておかないと、十年の損だよ。さぁさ。寄ってらっしゃい。見てらっしゃい」


 見せ物小屋の前。景気の良い、客引きの高い声が木霊する。通る声で節も良く、気をそそられた客達が足を止めた。


「ふむ。客引きのボク。まさかこんな見せ物小屋に、生きたニュートゥェ様がいらっしゃるっていうのかね?」

「へっへっへ。勿論でさぁ、旦那! 分霊様でございやすが、オイラが山ん中で保護したんでさぁ」

「ほう。凄いな。どれ。見てみるか。幾らだ?」

「はっはっはっ! 旦那。オイラは霊験あらたかな、ニュートゥェ様の恵を皆様に感じて貰いてぇだけですぜ。けれども、もし感じ入ってくれたんなら喜捨箱が置いておりますので、お心のままに。それと出来れば裏の屋台で、ハンザキ串を食っていってくだせぇな。きっと、ご利益がありやすぜ」

「中々の商売上手だな。では、御免して」

「旦那。ニュートゥェ様の前では、お静かに頼んますよ」

「わかっておる。これでもシシリアの男だ。弁えておるよ」


 この様な他愛無い遣り取りの後に、身形の良い紳士淑女から荒くれ者達までもが、続々と見せ物小屋へと入っていった。

 どうやら興味を惹くものらしく、やはり人々は足を止めてゆく。その誰もが地元民であるようだ。

 帽子を目深に被り、大きな眼鏡を掛けた客引きは空を仰ぎ見る。

 見せ物小屋の裏口の方からは、モクモクとした煙が天へと立ち昇っていた。


「流石はお山の恵だ。ボロい仕事じゃねぇか」


 客足の途切れに、客引きから漏れる声。

 人に聞かせる為のものでなく、つい。といった具合であった。笑いが堪えられぬとでもいう様だ。


「うめぇ」


 客引きは小瓶に詰められた水を飲む。水が無償で提供される都市は多くない。客引きの故郷も、水は高額だった。

 惜しげもなく小瓶一本を飲み干して、客引きは再び声を張り上げる。


「さぁさ。寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。世にも珍しくもありがてぇ——」


 再び声を張り上げて、客を引く。暫くはこれで食い逸れはしないだろうと思いながら。




「マルコ君。今日のあがりだよ。少しだが、色を付けてある。ご苦労様」


 へい。と恭しく頷くのは客引き。マルコというらしい。帽子を取って見える頭には、伸び始めたばかりのまだらに刈られた褐色の短い髪。

 見苦しいそれを深々と下げる。


「悪いが、もう少し伸びる迄は帽子で頼むよ」


 マルコは受け取った金を懐に仕舞い込み、小屋内に置かれた水槽を見た。

 暗幕が掛けられていて、中身は見えない。だが、その中に居るモノは知っている。


「しかし君も、欲のない少年だな。別に拝観料でも取れば、総取りになるというのに」

「そんな。滅相もありやせんぜ。偶々の幸運からのものですし、オイラにゃ何の能もありゃしません。こうやって、置いて貰えるだけでもありがてぇのに」


 若いのに、感心な。などと頷いている見せ物小屋の座長であるが、マルコにそんな殊勝さはない。

 こういう態度を取っておけば、悪い様にはならないからこそ、そうしているだけだ。

 暫くは食うに困らない以上、焦る必要もなかった。


「明日も頼むよ」

「へい。親方も、ニュートゥェ様をお願いします」


 任せてくれたまえ。と、鷹揚に頷く座長であった。

 お互いに損がないように。

 そうしておけば、最悪は避けられる。腕っぷしがあるのではないマルコは弁える事こそが、必要な処世術だと信じている。




 マルコはポテンツァからやって来た観光客の一人であった。

 まだ成人前である十七で、一応は学園生であるものの、ちゃんと通ってはいない。学園自体は夏季休暇中であるも、あまり近況とは関係がなかった。



 仮宿へと戻ったマルコだ。別にやる事はない。この間までは押し付けられた雑用や、ご機嫌取りなどに追われていたが、もう奴もいない。


「運が向いて来やがった。あとはどうズラかるか」


 マルコはついこの間まで、冒険者パーティを組んでいた。二人組なのでバディという。

 相方は地元の先輩で、冒険者として一人前と認められる錬鉄の士。位階三段階目に当たる、鉄位階の先輩だった。




 冒険者。正式には冒険者組合登録事業者という。

 冒険者登録には様々な特典などがあるが、目玉は冒険者証の授与だろう。これには、実に多くの機能が備わっている。身分証や決済機能などを始めとするものだ。

 そして冒険者には実力の可視化の為に位階制度というものがあって、所持する冒険者証により位階は表された。

 新米である紙。仕事に慣れ、様々な成長が期待される若木。そして一人前の社会人とされる錬鉄だ。

 これらを初級冒険者という。その上にも色々とあって中級や上級とも呼ばれるが、あまり一般的なものではない。

 初級冒険者最高位である鉄位階。錬鉄の士となる事は国際資格であり、雄弁な力の証明でもあった。


 若くしてそういった力持つ男であるからこそマルコは取り入った。

 この先輩。人格的には屑だった。

 三十近くになっても冒険者一本で、労働依頼を好まない。

 荒事などを好んだし、他の冒険者へ喧嘩を売って金を巻き上げる。所謂ところの恐喝の常習犯でもあった。

 広く大陸で認められるのが【決闘】である。各国の法よりも優先されるものだった。

 一対一で戦って、残るのは勝者と敗者。それ以外にはない。

 そういった文化があるので、恐喝などは罪に問われ難い。取り締まる法はないし、まともな人間が行いはしないからだ。そういった行為へは軽蔑が送られた。

 恥知らずだけが行った。

 だが、突っぱねられぬのもまた恥である。結果、誇りを持たない屑だけが甘い汁を吸う事となった。

 先輩は、そういった屑だった。

 だからマルコは取り入って、庇護を求めた。

 他の屑への牽制となるからだ。粗暴だが、酒と女を当てがえば満足する単純な男であった。

 そうして、紆余曲折あってやって来たのがシシリア島である。一応は、善行を積む為に来ている。


 先輩が恐喝で得た戦利品の中に霊獣がいた。

 霊獣とは『異界』由来の生物で、生物的特徴を有するモノを指す。そうでないモノは『怪物』と呼ばれている。

 そういった学問などないマルコには、区別なぞどうでも良い。たまたまその中に、良く知る霊獣種があった。


 エトナニュート。イモリの仲間にも似た小型霊獣であり、大きさは成人男性の手くらいのものだ。澄んだ淡水に棲息する、粘膜に覆われた両生類であった。

 この霊獣に危険はない。骨は軟骨で柔らかく、肉は淡白で臭みがなかった。丸ごと食べられて、それは柔らかな食感をしていて美味ともされる。

 滋養強壮に効くともされていて、流通量の少なさから高級食材の一つでもあった。地方によってはサンショウウオや、ハンザキなどとも呼ばれる種に姿形は似ている。


 とはいうものの、この両生類型霊獣の文化的な使い道は、主に水質浄化にこそあった。

 この霊獣は不純物を吸収し、純粋な水成分を排出する。数が多ければ棲息地は超純水となって、彼等さえも死に絶える不毛の泉と化す。

 つまり、汚れた水に置けば、非常に有用な浄化装置となった。主に工業用として利用されている。

 だけでなく、田舎者のシシリア州民が有り難がり、山へと帰せばそれなりの報酬を得られた。

 毒により滅びを迎えようとしたシシリアが縋り、再生の一つの手段としたモノだからである。


 という理由から、エトナニュートをシシリアへ連れて帰れば報奨金が出る。それを伝えたところ、当然ながら行こうという話になった。

 通常、霊獣などの処理は殺処分となる。危険もなく有効な場合は接収となった。

 届出しても報酬などは出ない。その上、場合によっては行政に入手経路などを厳しく詮索された。


 シシリアは観光地でありながら、冒険者の街としても名高い。冒険者として生きたい先輩が美味い話にそそられて、行きたいと望むのも当然であった。




 意気揚々とした先輩と共にやって来たシシリアだ。

 エトナニュートを入管へ見せれば、それだけで報奨金を得られた。その額は一月は遊んで暮らせる程の額だった。量のおかげである。

 詮索こそされたものの、事情を語り山へ帰そうと連れて来たのだと伝えれば、特に問題視されない。

 この段階にて引き渡しの提案をされたものの、断っている。自力で山へと帰した場合、更に追加報酬が出るからだった。


 都市カターニアを経由して、山へと向かう。

 そして麓へ辿り着き、見上げたのは巨大な山脈。

 この山こそが大異界霊峰エトナ火山。上層、中層、低層の三層から成る、未攻略大異界である。

 未攻略とはいってもそれは全体としてのもので、低層の攻略は完了しており、既に人類種の植民地化していた。


 エトナニュートの棲息域は低層にあり、帰すのもそう難題ではないと思われた。広大な低層であるが、そう危険なものではなくなっている。

 そして、二人が敢えて自らの手でこの霊獣を帰そうとしたのも催し事として、ニュートゥェ詣でなる奇妙な巡礼が開かれていたからであった。


 この催し。保護したエトナニュートを持ち寄って、山へと登り棲息域へと帰すというものだ。

 水質浄化に有用かつ危険のないエトナニュートは乱獲され、島外へと流出している。

 というのもこの霊獣。水にさえ入れておけば、何の手間も掛からない。餌は水中の不純物であり、排泄するのは純水であるからだ。

 単性生殖で増え、水中でさえあれば、どんな環境であろうと十年は生きた。

 ただし、この生物は非常に脆弱であった。身を護る術を持たない。動けはするが、非常に鈍かった。

 この様な生物。野生の中で生き残れる筈もない。飼育には徹底した管理が必要とされ、主に工業用水質浄化装置として使われている。

 だが、その有効性から欲する者は多くあり、大陸各地へ流出してしまっている。


 そんなエトナニュートを保護し、山へと帰そうとするのがニュートゥェ詣でだ。

 各地で保護されたエトナニュートを持ち寄って、母なるニュートゥェの棲む泉へ帰す。

 ニュートゥェとはエトナニュート達の母体の様な霊獣である。

 エトナ低層にある澄んだ泉の奥底に棲み、十年に一度、大量のエトナニュートを産み出すとされていた。

 学術的にはエトナニュートの異常個体と目されており、信心深いシシリアの民達は水を浄化する聖獣であるとして崇めている。


 

「お若いの達。感心な事じゃて。こんなに多くの子供らを帰そうなぞ、きっと深いご利益がありますぞ」

「悪い奴らが流そうとしてるのを、兄貴が保護したんだぜ。本当は入管に渡しても良かったんだけど、せっかく詣でなんてものがあるからな」


 老人に話しかけられたマルコは卒なく答える。修道服を纏う彼が、今回の詣での世話役だ。道案内と道中の護衛を兼ねているそうだった。


「あの若者がのう。確かに腕が立ちそうじゃ。それに感心な事じゃて」


 先輩。マルコが兄貴と呼ぶ男へ、頼もしいのう。と目を細める老人だ。こうして見るまでもなく、今回の詣での一行。年寄りが多い。信心深い者には年寄りが多かった。

 若い者では夫婦者があるが、旦那には右脚が無い。義足を装着しているが、歩行も困難な様だった。

 それをちょっと佳い女なカミさんが支え歩き、先輩はじっと、その女の顔を見ていた。


 十名一組として出発するニュートゥェ詣で。特に示し合わす事もなく、数が揃えば出発となった。

 最後にやって来たマルコ達二名を加え出発した一行であるが、ゆっくりとした道行だった。

 それも仕方がない。皆、エトナニュートを入れた水槽を抱えている。そこまで大きな水槽でなくとも水は重い。老人達の足も鈍るし、まだ若い男は片足で、夫人の助けを借りて歩んでいる。


 大きな水槽と二つの水槽を背負ったマルコは、気が気でなかった。

 先輩がいつ、癇癪を起こすかも判らない。こんな所で刃傷沙汰など起こしてしまっては手枷が嵌められる。

 【決闘】制度があるとはいえ、こうも明らかな弱者相手であれば、決闘は成立しない。

 だが、どうにか大人しくしているらしい。

 その視線は相変わらず、若い女の顔や尻へと注がれている。

 困ったものだと吐息を漏らす。


 二つの水槽はあの夫婦の物だ。

 先輩に、持って行ってやれ。と命じられたから運んでいる。親切心なぞ持ち合わせないあの男の思惑なぞ、知れた事だった。

 重い荷物を背負ったマルコの足取りも重く、ニュートゥェ詣での一行は、仕方なしにゆったりとしたペースで進んでいった。




 そんなこんなで陽は沈み、宿を取る事となった。


 予定では最初の三泊は道中の宿で素泊まりをし、残る四日は野営となる。

 飯の心配はない。マルコ達に用意などなかったが、持ち寄った物を分けて貰えるものらしい。あくまでも、物見遊山の催しであった。

 年寄り共に問題もない。元気にしているし、好き勝手やっている。だが、あの夫婦。というよりも旦那の方か。やや辛そうであった。

 嫁さんが甲斐甲斐しく世話をしているのは変わりない。そしてそれを眺める先輩もまた変わらない。


 最悪の想像をしてしまう。そういう男なのだ。

 世話役の力量は判らぬが、先輩を止めるのは無理だろう。そうマルコは考えている。

 先輩はとにかく強い。人殺しにも慣れていた。もしも暴れ出したとしたら、生き残るのは何人いるのか。想像したくもなかった。

 年寄り達は世話焼きで、人が良い。食事だってアレコレと振る舞ってくれた。

 意味もなく殺されるのでは心が痛む。だからマルコもアレコレと先輩の世話を焼き、暴発しない様に努めていた。




「なぁマルコ。あの女。何とかなんねぇか」


 来やがった。そう胸の中で悪態を吐く。

 四日目で野営となった夜となり、先輩は重い口を開いた。この男に女を口説く能はない。あるのは性欲と支配欲だけである。

 今は二人で焚き火を囲み、酒を飲んでいる。年寄り達の夜は早い。今起きているのは二人だけだった。


「旦那がいる相手ですぜ。もう少しの間ですから、我慢しましょうよ。シシリアの公娼は凄く良いって話ですし、山を降りてから愉しみましょうぜ」

「そっちはそっちで愉しむが。俺ぁ、どうもあの女が欲しくなっちまったんだ。それにあの色気は、玄人には出せねぇよ」


 適当に相槌を打ちながらも思い出す。確かにあの嫁さん。色気があった。

 まず顔が佳い。身体も良かった。

 少し気の強そうな眼をしているが、白い肌に通った鼻筋と厚めの唇。ちょいと目立つ泣き黒子には婀娜がある。なだらかな肩に丸い尻。程良く実った女盛りの肢体は、濃密な雌の匂いを発していた。

 女の姿を思い出し、思わず血が騒めくマルコ。

 旦那さんとも、多少の遣り取りをしている。

 

 装飾品店として店を構えるという旦那さんだが、右足を失ったのはもう五年も昔であるらしい。旧紛争区域での地雷による負傷だそうだった。

 下半身を吹き飛ばされて、修復可能だったのが左足だけだったという。現代は医療が発展しているとはいえ、悪環境での治療には限界があった。


 奥さんとの馴れ初めも聴いている。

 二人は幼馴染で想い合い、こんな身体となった後に添い遂げたそうである。二人の間には、利害を超えた心が通い合っている様に見えた。

 とはいえ、子供は望めないと言う事は、どうもアッチにも障害がありそうだった。


 女盛りを持て余す、気が強くも甲斐甲斐しい若い女房。身を飾る事よりも旦那へ尽くす姿が、より凄艶さを増していた。

 突然痛みを訴え始めた旦那さんへ駆け付けた時など凄かった。

 湯浴みの途中だったのだろう。濡れた肌に薄い着物が張り付いて、女の身体を主張していた。

 野獣の様なこの男が気をそそられない筈もない。

 だからこそ、こうして相談に来られている。




「兄貴。我慢してくだせぇよ。相手は人妻ですよ。下手に手を出して御使からの罰が当たったら、只じゃ済みません。どうか、我慢をしてくだせぇ」

「ううむ……。旦那の方を斬っておいたら、なんとかならんか?」

「バカ言わないでくだせぇ。婚姻の契約は、死が二人を別つとも。そんな事はご存知でしょうが。以前に酷い目にあったんですから、ここはどうか我慢を」


 宥めすかすマルコ。短絡的な思考に腹を立てているのだが、そんな態度は現さない。獣にそんなものを見せてみろ。敵意を持たれれば命なぞ儚いものだ。


「ううむ。そうだな。アレはキツかった。我慢をしよう」


 どうやら説得が功を奏した様である。一旦は引いてくれる様だった。この男。以前に未亡人に懸想し、やがて強引に手を出した。

 嫌がる女を強引にモノにして満足をしていた。女は泣き寝入りしている。こういった犯罪は被害者側からの親告罪で、恥辱を世間に知られる事を恐れ、訴え出ない者も少なくなかった。


 そこに御使より罰が下された。重いものではない。婚姻の契約に背く不貞への警告だった。

 女の方がどうなったかまではマルコも知らない。

 だが、先輩が地獄の苦しみを味わったのを見ている。

 充分に苦しんだと御使に判断されるまで、癒える事のない重い尿路結石。

 それこそが、男達の不貞に対する最初の罰だった。


「まぁ。しゃーねぇな。仕方ねぇ。妥協すっか」


 男が立ち上がり聳え立つ。頭に被せられたものがある。鬘だ。女の長い髪を被せられていた。

 獣は目顔で、判ってんだろうな。と言っている。マルコは嫌な顔をした。


「姿形こそヒデェが、オメェも面は悪くねぇんだ。適当に誑し込んで、女を連れて来いよな。そうすりゃ、嫌な事もしねぇで済むぜ」


 マルコは時折り女衒の様な真似をする。女を口説き落とし、誑し込んで、この男へと献上していた。

 マルコにとって力以外に魅力なぞ皆無な男だが、人によっては力は魅力だ。

 そういった相手を見繕い、男へと当てがった。

 そうでもしなくては、どの様な暴挙に出るかも判らないからだ。

 そこそこ真面な感性を持ったマルコにとって、愉快な筈もない。条件も厳しいし、金を使わなければならない事だって多々あった。

 それでも、仕方なしにやる時はやっている。無論、一応は女側の合意を得てからだ。

 かといって、そうそう都合の良い女など、そうはいない。そして今日の様にどうにもならない時には最後の手段があった。

 ニヤニヤと、嫌らしく見下ろす男。

 嫌悪感に震えるが、それすら愉しみとしている様である。悪趣味な糞野郎。


「オメェが女を用立てられねぇからだぜ。自業自得っていうもんだ」


 殺気。暴力を背景とする圧が掛かる。

 貧弱なマルコには耐えられない。負け犬は膝を屈し、偽りの髪を掻き上げる。頭上かは、満足そうな鼻息が聴こえた。

 聳り立ち異臭を放つモノを前にして、仕方なく嫌々ながらも唇を開いた。

 込み上げる嘔吐きは、既に飲み下している。



 

 明くる朝。眼を覚ましたマルコは激しい嘔吐感を覚え、茂みへと入った。

 流水がせせらいでいる。緑濃い葉達がそよそよと震えていた。この流水の中にはエトナニュートが棲んでいて、透明な粘膜が陽光を受け、輝いている。

 風光明媚な光景だ。だが、それを楽しむ様な余裕はなかった。


 よりにもよってあの男。五回も放った。余程に溜め込んでいたのだろうが底抜けで、不快なものだった。

 ヤツは吐き出す事を許さない。口の中で留め、飲み下す事を命じた。腹の中まで穢されている様で、嫌悪感に狂いかけるも、なんとか耐える。


 弱い自分には、そうする事しか出来ないからだ。

 やっと満足した糞野郎は寝袋に入り込み、高鼾を掻いていた。何度、短剣で刺し殺そうかと思ったのかも判らない。だが、そんな事出来やしない。

 弱き者が強き者へと抗うには、勇気が必要とされている。そんなご大層なモノ。マルコは持ち合わせてはいなかった。


 自らの尊厳を犠牲とした分。多少は効果があったのだろう。先輩の視線は相変わらず嫌らしいままだが、剣呑な光は鳴りを潜めている様だった。

 そのままなんとか、二日が過ぎた。




 とはいえ、それならそれで、やる事がある。先輩の忠実な弟分と見せなければならないのが苦労性なマルコであった。


「おかみさん。旦那さんはオイラが見ておくから、少しばかり休んでくれよ。もう少しで山登りも終わる。詣でた先で倒れてたんじゃ、お祈りも出来ねぇよ」

「坊やは良い子だね。あんがとうよ。でも、家の人の事だからね。アタシが踏ん張んなきゃ、女が廃るよ」


 言葉は衷心からの物でもあるが、中々強情な女性に手を焼いた。マルコの目的は旦那さんに掛かりっきりのおかみさんさんを一人にする事にあった。

 そう命令されている。そうでもしなけりゃ、先輩が暴れ出す。ヤツには当然欲望もあるが、マルコをこうやって試す。

 一人になった所を無理矢理に手籠にする気であるものの、そう期待してはいないのだろう。上手く行かない事なぞ織り込み済みな筈だ。この手の手管は何度も失敗している。




 高い音が鳴り、頬を張られた。目に涙が滲むものの弱気は見せない。


「オメェ。なんで張られたのか判ってんだろうな」

「判ってますって。オイラが上手く誘えねぇから」

「そうだぜ。オメェの自業自得だよ。もう、日もねぇんだ。明日にはなんとかするぜ。だが、ソレはソレ。コレはコレだ。判ってんだろうな?」


 いつもの様に頭へ被せられる偽り。獣じみた視線が不快だった。それでも、マルコに選べる選択肢など一つしかない。

 小休憩の合間に薮の中へと呼び出され、膝まづかされている。意図は明白で、碌でもないものだ。


「ふっ……。うっ! 全く。オメェが女だったら、しこたま仕込んでやるのによぉ」


 《《だったら》》ね。死ねよ獣。男色野郎め。マルコはそう思いつつも口を開き、見せつける様にして飲み込んだ。


「可愛い奴だぜ。頑張ったオメェにも褒美をやるよ。不出来な弟分でもな。女をモノにしたら後で、貸してやるからよ」


 バカ笑いする男へ、いつ、殺そうと思いつつも、マルコは娼婦の様に艶然と微笑んだ。




 戻って来たマルコは痛くおかみさんには心配されている。頬に紅葉を貼り付けていたし、それ以前の僅かな遣り取りだけでも、折檻されたのだと察されている様だった。


「ちょっとアンタ……」


 そこで、嘔吐かれた。ゆすぎ、聖水こそ飲んだものの、ちゃんと洗えてはいない。

 奴は三回で留めた。だが、その残り香は余程に濃厚だったのだろう。おかみさんには酷く気の毒そうな視線を送られている。


「ごめんよ」


 何を考える間も無く、胸に抱かれた。頭をだ。豊満な、柔らかいモノが顔を包む。


「アタシのせいで、アンタは……」


 言い淀むおかみさん。優しい人なのだろう。そして女であるからして、させられた事が判ってしまっている様だった。こんな臭い。アレしかなかった。

 

「ごめん。ごめんよ」

「そんなんじゃねぇ! オイラは、好きでやってるんだ!」


 女が、自分に注がれる視線を感じぬ事などあまりない。おかみさんは意味を知っていて、ずっと巧みに身を躱わしていた。あんな執拗な視線だ。気付かぬ筈もないだろう。

 そこに、この臭いがある。浅ましい、獣の臭い。

 それで察せぬ事もないのだろう。大層気の毒そうな視線を送られている。だが、それは思い違いだ。


「おかみさん。オイラぁ好きで、やってるんだぜ」


 こんなモノを飲むのが好きな者なんていない。

 だけど、心配など。させたくなかった。ソレが好きな変態だと、思われた方が余程良かった。


「ねぇ。アンタは可愛くて、健気な子だよ。姉さんに任せておき。大丈夫。アイツから、離してあげるから。大丈夫。上手くやるから。そんな姿をしなくても、生かしてやるから」


 唇を塞がれる。青臭い、臭い口を。花の様に芳しい香りで。

 何も言えはしなかった。ただ、為すがままにされてしまう。なんで。どうしてだと思ってしまった。

 偶々出会った行きずりの縁でしかないのに。何故、構う。庇おうとする。

 そんな事をしても、損でしかない。暴力に脅かされるし、意味もなく傷付けられる。安全の為に目を逸らすのは、当然の処世術だ。


「姐さんは、明日も旦那さんとは離れないでいてくれよ。朝になれば、オイラはなんとかなるから」


 そう告げるのが精々だった。明日一日が何事もなく終わるのならば、それで済む。

 獣の様なアイツだって、街に出てしまえば好き勝手は出来ない。そうすれば、何もかもが元通り。

 自分が我慢さえしていれば、これまでと何も変わらない毎日が保障される。

 額に、柔らかな温もりが触れる。そしてそれはゆっくりと離れた。


「ううん。ちょいと野暮用があってね。明日の夜に、少し外すからさ。その間、旦那をお願いね」


 悪戯じみた女の声音。マルコは呆然として、離れてゆく香りを見送った。


 明日がニュートゥェ詣での最終日となる。日中に持ち寄ったエトナニュートをニュートゥェの棲まうとされる泉へ帰し、湖畔にて一晩を宴と共に過ごすのがこの催しの最終行程であった。

 翌朝には結界を抜けて山を出る。

 その夜に、獣は己の欲望を遂げようとしているのだとマルコは知っている。だから、それを凌げばなんとかなるのだと信じていた。その想いは前提から覆された。


 離れていった女の貌は、まるで白昼夢の様に滲んで見えた。




 ニュートゥェ詣での最終日。

 恙なくエトナニュート達を泉へと帰し、祈りを捧げた後に一行は宴の準備へと入る。

 気もそぞろなマルコであったが、年寄り達に誘われて、宴の準備に忙しなく立ち働いている。


 アイツはこういう時には大人しいものだ。雑用など手伝わない。酒を飲みながら眺めるだけである。

 生活能力などない奴の衣食住の世話をするのも、弟分であるマルコの役割だった。

 こういった仕事をしている時だけは、邪魔をされないで済んだ。機嫌が良い時に限るが。


 その機嫌の良い理由であるが、目の前にあって、マルコには苦々しい。

 獣の隣に侍る、婀娜っぽい女性。薄衣にて身体の線を見せ付ける様に酌をする、おかみさんであった。

 旦那さんは休息用テントの中へ、籠ってしまっているそうだ。

 それというのも二人が諍いを起こした為だという。

 何の切っ掛けだかは離れていたマルコには判らない。

 だが、年寄り達の言う所によれば、夫婦で何やら話し込んでいたのだが、彼女は旦那に叱りつけられた後に、当てつけの様にしてアイツの隣にいるという。

 散々に、甲斐甲斐しく尽くしてきた彼女を見ている年寄り達だ。何の因果かは判らぬとは言いつつも、妻側への同情的な意見が多かった。




「旦那さん。少し、よろしいでしょうか」

「ああ。君か。入ってくれたまえ。何か用かい?」


 マルコは彼の籠るテントに訪を入れる。返された声は客商売という事もあるのか、とても穏やかな声音であった。


「君。その顔は……」

「ちょいとぶつけてしまいましてね。平気でさぁ。それよりも……」


 痛ましい表情をされてしまう。顔に貼り付いたままの紅葉のせいだろう。マルコの肌は薄く、弱い。実際に大した怪我でこそないが、こういった痕などは暫く残ってしまった。


「アイツかね?」

「そんな事より、おかみさんと何があったんです?」


 躊躇う様に口を開いた旦那さんからの言葉に、総毛が立った。「あの野郎っ」。思わず唇から零れる。

 なんでも詣での初日から、恥知らずのアイツに脅されていたらしい。カミさんを貸せと。

 その為に、浅く斬られている。優男の旦那さんが道中でも痛みを訴える事が多かったのは、そのせいだったと悟った。

 そうだった。ヤツはどうしようもない獣で、女を口説く能はなくとも、奪う事は出来る。最初から、どう転んでも良い様に立ち回っていたのか。


「それを女房に見られてしまった。それで……」


 そうか。そういう事か。確かにあの時の姐さんからは、悍ましい男へ身を任せる。それだけでは表せない程の鬼気が立ち昇っていた。

 |ヤル気〈殺る気》か。


 異界内で起こった事件なぞ、余程明確な証拠や証言がなければ立件など出来ない。『異界常識』なる特有の理が存在する為だ。ここエトナ低層の『薬効無効』などが良い例だ。


 異界内部では全てが狂う。法を当て嵌める事が出来ず、出来ぬから司法すらも力が及ばない。悪しき前例を、作り出さぬ為だ。

 その為に、古来より異界へと挑む者には高い倫理観が求められた。かつての貴族や修道士達の様に。そして現代では冒険者達をも加えて。


 詳しくはマルコも知らない。判っている事は、異界内部で罪を犯そうが、法による裁きはないという事だけだった。

 これが利用されて異界内部は犯罪の温床となっている。現代の人類種には、この問題を解決出来てはいなかった。


「その時は、あと一日で縁は切れる。それで納得してくれていたんだがな。昨夜から偉い剣幕でな。それで、バカな事を考えるなと叱ったんだが」




 己の無力を笑う様に。

 充分だ。もう沢山だ。

 溜まっていた鬱憤もあるのだろう。危機感からでもあるのだろう。けれど、引き金を弾いたのはワタシだ。

 我慢して、あと一日耐える事だって出来た筈だ。そうすれば、縁は切れる。

 なのに、離れられないワタシがいるから。

 昨日の扱いを見て、放ってはおけない。救わないと。とでも思ったか。

 自分の都合だからと嘘まで吐いて。

 優しい人はいつもそう。自分を犠牲にしようとする。ちょっとした行き摩りの、小汚いガキの為にさえ。


「旦那さん。すみません。おカミさんに野暮用があるからって頼まれていたんですが、ちっとオイラも所用が出来まして」

「お、おい」


 外へ出る。動向を見定めねばならない。予測はついている。

 満月の今日。夜中になればニュートゥェが水上近くにまで現れる。月光を受けた湖上に光が灯る。だからこそ、七日を掛けたのだ。そうなる行程で来ていた。



「なぁ。今夜……」


 バカが女を誘っている。バカでも能無しでも、誘うならそこだろう。獣とはいえ、宴の最高潮に合わせる程度の知恵はある。

 受ける様にしなだれ掛かる女。馬鹿な人だ。勝算なんてある訳ないのに自分に酔って。

 そんな真似なんてさせられない。

 逃れられるのだ。知らぬ。存ぜぬで目を背け、危険を避けて。

 あの人達の様に。皆の様に。今日までの、自分の様に。それを——。


 マルコには勇気なんていうご大層なものはない。

 それでも屠る。殺したいからだ。ずっと、いつ殺そうかと思っていた。本当は機会さえあれば、いつでもよかった。

 そうしなかったのは怖いから。失敗が、反撃が、報復が。自分などより遥かに強い化け物を、畏れていたから。

 言葉を飲み込んで、胸を埋めるのは殺意。それだけでよかった。懐に入れた牙を握りしめる。

 そうしてマルコは機会を伺う為だけに、思考への蓋をした。


 


 森の中。夜のしじまが漂った。

 湖畔には月光を受けたエトナニュート達が淡く輝いている。

 泉の奥底から浮かび上がってきているニュートゥェの巨体な影もまた、淡い光を湛えていた。


 年寄り達は一度拝んで祈りを捧げただけで、床へと着いた。

 神秘的な光景であるが、長く見るものではない。それに、水場に長居をしないのは安全の為でもあった。満月の夜にニュートゥェは出産をする。


 出産は大量のエトナニュート達を産み出した。

 この小型霊獣単体に危険はない。だが、彼等には水中の不純物を吸収し、超純水を排泄するという生態があった。


 当然ながら異常個体とされるニュートゥェも同様の生態を有する。巨体であるからその機能も強かった。大量の湖水は超純水となっている。

 超純水自体も通常はそれほどに危険なものではないのだが、この時ばかりは厄介な性質を有する。

 超純水は物質への融解力が強い。純粋であるが故に不純物物を取り込み、混じり合う力が大きいからだ。


 このニュートゥェによる大量出座時には、一時的にだが湖水の融解力が跳ね上がる。

 人体すら、残さぬまでに。

 この事実は、古来より神隠しと伝承されている。


 それを知るから安全の為に年寄り達は長居をしない。マルコだって知る事だ。一般常識であった。

 単体生殖を行う、水質浄化に有用な小型霊獣エトナニュートは。

 何処にあったとしても、増え過ぎぬ様に、殺さぬ様に。徹底管理飼育されるもだった。


 つらつらと知識を思い出しているマルコだが、あまりそれは現状とは関係がない。

 殺意を維持し続けるのだって、大変なのである。

 弱いマルコはソレが鈍らぬように、懐に入れた牙を研ぐ。

 それは銃。機巧の力で暴力を体現した凶器。

 弱く儚き者達へ、復讐の女神達より贈られし福音であった。


 地域によっては護身用に持たれる銃だが、所有は登録制であり、未成年であるマルコに普段の携行は許されていない。

 とはいえ市や闇では流れているもので、こうやって携行している様に、入手もそう難しいものではなかった。所持する銃弾は十二発。

 ヤツを殺し切るには、その全てを急所へ当てなければならない。それも、強化(ストレングセン)の術式が発動していない時にだ。


 不安がないではない。それで、殺し切れるかというものだ。それを殺意で塗り潰す。

 けれどもどうしても、比べてしまう。散々見せつけられてきた暴力と、そのものである銃を。

 試射をしていて性能的な疑いはないが、まだマルコに人を撃った経験はなかった。

 

 暫くは大人しく、湖畔にて酒を飲んでいた獣だ。隣に座るおカミさんの肩へ手を回している。

 二人の会話が聴こえる距離にはない。だがどうも雲行きは怪しかった。

 おカミさんは美人だし、男を躱し慣れてもいるのだろう。柔らかな調子で、獣へ杯を重ねさせている様だった。


 酔い潰して刺す。大昔からの暗殺における常套手段である。狙いはソレだろうとマルコにも判る。

 だがそれは悪手であった。ヤツは酒に酔えども潰れない。それを知るマルコが狙うのは、致命的な隙だった。

 いつ、この様な機会が訪れるかと常日頃考えていた。その為に、ヤツの習性を掴んでいる。

 勘の鋭い獣だ。普段見せる隙はない。それでも暫くの間、意識が虚となる時があるのを知っていた。

 狙うのはその時。だからこそ、じっと待つ。


 その隙とは、欲望の解放の後にある。放った後の暫しの虚。狙うのはその時だった。


 男が女の手首を掴む。とうとう焦れてきた様だった。獣は睦言などを好まない。自らが満たされればそれでいい。人同士の遣り取りよりも、優先する欲望を隠さないからこそ獣なのだ。

 獣が女の頬を張った。痛みと恐怖を与える為か。

 暴力を散らつかせ、思うがままにするのがヤツの常套手段であった。

 ヤツは嫌がる女を無理矢理に。という状況を好む。あの未亡人の時だって、そうだった。

 頬を張られ、地べたへ転がった女は起き上がり、キッと男を睨み付けている。その手に握られているのは短刀。月光を受けてキラリと輝く凶器。


 ああ。やはり。嘆息してしまう。おカミさんは刺すつもりだったのだ。なんと無謀な。

 距離がある事もあり、月光の逆光で男の貌は見えない。だが、きっとあの嫌らしい笑みを浮かべている事だろう。ヤツは、腐っていても錬鉄。女の細腕で振るわれた刃など、肉体に通しはしない。

 手首を打たれたおカミさんの手から、短刀が落ちた。女の身体へ、覆い被さる獣。

 暴れ、跳ねる白い脚。着物は捲り上がってしまっている。

 ——機を伺え。想定通りの流れだ。このまま、待て。ヤツが果てた時を狙い、ありったけの弾丸をぶちかませ。

 冷静なマルコの思考が語る。それが正解で、それしか機はない。響く絹を裂いたような悲鳴。


 マルコは思考とは裏腹に、引き金を引いていた。


 立て続けに弾かれた銃弾は、吸い込まれる様に獣の身体へと収束してゆく。見える筈もないものなのに、そんな速度、捉えられる筈もないのに。

 ヤツが見ている。獣の眼光に見詰められている。

 ヤツはおカミさんに当身を喰らわした。意識を保てず崩れ落ちる女体。走り出すマルコ。

 まだ弾丸は残っている。短刀だって持っている。

 恐れるな。殺意を振り絞れ。


 無我夢中の内に駆け出したマルコの脚に、激痛が走った。浅くだが、斬られている。眼前に、抜き身を携えた男。腹へも衝撃を受ける。


「ちきしょう……」


 判り切っていた事だった。マルコの力では幸運が重ならなくては、この男を殺す事など出来ない。

 その機会を捨て去ったのは自らの行いだ。こんな屑に、穢されるのを見せられる事が耐え難かった。


「残念なヤツだな。俺ぁ、オメェの面だけは、気に入ってたんだがな」


 黙れよ変態。糞野郎。思い切り唾きを吐き付けてやる。あっけなく躱されて、また腹を蹴られた。


 それからは無様なものだった。散々に殴られ蹴られ、斬られた。マルコは血みどろの泥だらけだ。獣の様な男は嗜虐心に頬を歪めながら嘲笑っていた。

 

「オイラはオメェの何もかもが、嫌いだったよ」


 それでも、こいつの癖が有難い。顔を傷付けようとはしないからだ。だからこそ口を開き、意識を此方へ向けられる。単純なサルだ。こうしてさえいれば、時間を稼げる。せめて——。

 倒れ伏すおカミさんが目覚め、逃げるまでは。


「随分と頑張るじゃねぇか。さてはオメェ、あのカミさんに惚れてんな? そうかい、そうかい。良い事を思い付いた。弟分への褒美だ。オメェの前で可愛がってやるからよ。とっくりと見てろ」


 だが、その希望は裏切られる。自分の甘さが嫌になる。思い返してみれば、コイツは人の嫌がる事をする。性根が屑なのだ。


「やめ……」


 穴だらけの手足で立ち上がったマルコは体当たりを試みる。だがそれは当然のことながら、遅く、鈍かった。ヨタヨタと、流れる身体。掴まれる肩。


「そうだ。良い事を思い付いたぜ。オメェにも、一緒に愉しませてやんよ。二穴ってヤツよ。その為にゃ、チョン切ってやんなきゃならねぇな!」


 バカ笑いをしながら男の手は、マルコの肩から股間へと向かっていった。


「あん?」

 

 紡がれる疑問符。ボロボロの両手でマルコは銃を構える。まだ四発の弾丸が残っていた。

 殺す事は出来ないが、せめて一矢を。

 照準は眼へ。至近距離で眼球へ向けて発砲したならば、一時的にくらいは視力を奪う威力がある。運が良ければ失明だって期待が出来た。


「漸く気付いたのかよ。節穴め。殺せなくても、世界は貰うぜ」


 引き金が引かれる。立て続けに響く《《八つ》》の銃声。


「あ?」

「え?」


 化け物がっ! そう罵ったマルコの放った銃弾は、瞬きにより全て止められている。

 だが、正面には眉間から血を流す最低の男。

 孔が空いている。眉間に孔が。後ろから。

 ぬらぬらと流れ落ちる脳漿と血潮。

 そのまま、ゆっくりと振り返ってゆく屑。


「てめぇ……」

「やれやれ。恐ろしいな。錬鉄の士というものは」


 そこに居たのは旦那さん。片足のない旦那さんが腹這いとなって、対物ライフルを構えていた。

 最初に驚きがあった。次に畏怖が産まれた。

 あの足で、重い銃を抱えてここまで来たのか。あまつさえ、それを撃ったのかと。


「だが、流石に子供を嬲るのは見過ごせんよ。それに俺の女房を襲おうとしたな? 私怨だが、死んで貰おうか」

 

 また、たて続けに銃声が響いた。頭が弾ける糞野郎。その身体がどうと倒れ伏す。握られていた白刃が落ちた。

 僅かな残心。安全装置を固めた旦那さんはライフルを放り捨てると、おカミさんの側へと這った。

 義足はない。代替の足を構成していた精神感応金属であるオレイカルコスを用いた合金は、狙撃銃へと変化していた。

 魔銀とオレイカルコスの合金を賢者の石によって精錬すると、思念と術力により形質を変化させる金属が産まれた。

 これを用いた術具を使い熟す事は、ビタロサ国内における軍人の嗜みであった。

 旦那さんは奥さんの元へと這い進む。心配なのだろう。その顔には無事を確認しなくては。という必死さがあった。


 湖水がさざめく。水面へ溢れる光。ニュートゥェによる出産が始まった。

 予想よりも少し遅い。あの屑も、当初はこれを眺めてから事に及ぶつもりであった筈だ。

 十年に一度の神秘である。女も恍惚とするだろう。その心の緩みへ付け入ってしまえば相手方も訴え出難い。

 隙があったや、自ら誘ったのだろうという声も出る。冒険者のみならず、世間にも浸透するのが自己責任論だ。そういったモノも利用する事で、屑は狡猾に被害者達の口を塞いでいた。

 だが、所詮は盛ったサルだ。性欲に負けて我慢が出来ず、その結果が今だった。



 

 マルコは起き上がろうと身を捩らす。

 まだ終わりじゃない。それに気付いてしまったからだ。

 頭が弾け飛び、倒れ伏せたヤツの身体が膝を立てている。首なしの脳なしが両手で地を掴み、起き上がろうとしていた。

 奴が洗礼の秘蹟を授かっていないというのは本当だったらしい。これまでは虚勢であると思っていたマルコであった。


 死してさえいなければ、人類種を蝕む全てのモノを癒す唯一神教における洗礼の秘蹟。マルコもまた過去に授かっている。

 太古より数多の脅威が存在し、生命の軽いこの世界。幼き生命を救う為、主より齎された慈悲がそれだった。今でも弱く儚き者。人の子達を救う術の一つとして用いられている。

 それとは別として、中には幸運にも洗礼の秘蹟を授かる事なく生きる者もいる。そういった者が成人を迎えると、祝福が齎された。

 それは復活。あるいは蘇生。消えゆく魂を再び輝かせ、枯渇した生命力を満たす一度切りの奇跡。

 この状態で洗礼を授かれば完全復活をするし、治癒などの術式を用いれば、死の運命を回避が可能であった。

 そしてそれは全ての者へ平等に齎されるモノ。

 人類種達はこれを利用し研磨する。その果てにあるのが、復活。泣きの一回というものだ。

 問題や課題はまだ多い。ただ、現実として存在するソレにより、人の中には二回死ねる者がある。

 そういった現実があった。


 屑はバカだが生き汚いヤツだ。

 自らの有利を利用して保険を掛けぬ筈もない。自己治癒を用いての蘇生中なのであろう。

 現在はまだ思考を司る脳が復活していない為に拙くはあるが、破損した頭部が徐々に再生してゆく。

 ノロノロと取り落とした刃へ伸びる手。再生した口からは、呪詛の様な呻き声。


「させねぇよ。あばよ兄貴」


 そんな悍ましきモノへ、マルコは全力での体当たりをかました。

 月光を湛えた水面へ、飛沫が上がる。

 蘇る死体の倒れた先はニュートゥェの棲む泉。神隠しとも呼ばれる、全てを融解せしめる超純水。


 その中から立ち昇る、圧倒的な気配。

 ニュートゥェのものだった。先輩の肉体は然程の時を置く事なく融解されていた。

 古くから、泉には故事がある。世界各地で。

 それは泉へ落とした物を問われるものだ。

 最も有名なものは、金の斧と銀の斧のものであるだろう。泉へ物品、物語上では鉄の斧を落とすと、湖底より麗しき女神が現れて、金の斧、銀の斧。落としたのはどちら? と問い掛けるような話だ。

 ここで欲を掻き、金銀を選ぶと報酬はない。正直に告げると鉄の斧が返されて、それを手にした落とし主が女神を打ち倒し、金銀の斧さえも手に入れるという御伽話である。財産よりも武。それを表す故事だとされている。

 こういった話は各地であって、ここシシリアがエトナにも似た物があった。

 落とし物と、ニュートゥェの分霊との二者択一だ。他と趣きが異なるのは、どちらか、もしくはそれ以外を選んでも、まったく得る物がない事だった。


「どっちもいらねぇよ。持って帰ってくんな」


 なので、こういう言葉となる。

 落とし物が返されるのは大切な物でないならば意味がない。浄化を見越して泉へ産業廃棄物などを投げ入れるからだ。

 分霊も価値あるものではなかった。

 姿形は月光を湛えた小型のニュートゥェとなるが、権能はエトナニュートと変わらないからである。

 美しくはあるが、とても死にやすい。世話が大変であった。その癖、断ろうとも勝手に収納の術式へ入る為、大変迷惑であった。

 通常のエトナニュートに比べ三倍程ある体積は、他の収納済み物品を跳ね除けてまで収まる。

 貴重品を仕舞い込む為の収納だ。そんな質量分が吹き飛べば、生活にも影響があった。

 今日のマルコは無一文であった為、問題はなかった。

 ニュートゥェは寂しそうに湖底へと引き上げてゆく。その背中を見送って、吐息が漏れた。


「しんでぇな。流石に死ぬかも」


 マルコは湖畔に繁る柔らかな草原へ倒れ込んだ。




 結論から言えば、マルコは生きながらえた。

 傷は深くも致命傷だけは免れていたからだ。

 血を流し過ぎていて危険な状態にこそあったものの、治癒で充分な状態だったそうである。


 意識を取り戻したおカミさんが走り、世話役の老人を連れて来て、応急処置を施したそうだった。

 老人は優れた癒師であった。

 山を出た後に病院へと送られてからは二十一日。

 マルコは夫妻と年寄り達に囲まれて目覚めた。


 喜ばれ、感謝されている。流石に居心地が悪かった。その上、秘密もバレてしまっている。病院に入れられていたのだから、仕方がない事ではあるが。


 収納にニュートゥェ分霊がいる事を確認したものの、失くす様な物も特別ない為に捨て置いた。

 収納内部は時も空間も断つ。世話をしてやる必要がないのなら、ある意味では都合が良い。


 退院したマルコは見世物小屋へニュートゥェ分霊を売り込んで、一時的な職を得た。

 何はなくとも金は稼がねばならないからだ。

 この島に留まるにも、地元に戻るにも。

 多少なりともの蓄えは必要となる。

 

 マルコは十七の未成年で、孤児上がりの冒険者でもある。一応は学園に在籍してはいるものの、殆ど通ってはいない。生活の為に労働を優先していた。

 地元へ帰っても碌な仕事があるではないので、今は島へ留まる事に気持ちが寄っている。


 この島は水が無料で物価も安く、治安も良い。過ごし易く、住み易い場所である。

 こうやって、一時凌ぎではあるが仕事も見つかった。次の満月にはニュートゥェを山へと返すので、それまでのつもりではあるが。

 仕事については楽観している。裕福な島であるので、選ばなければ労働依頼も勤め先も山程あった。


 それでも踏ん切りがつかないでいるのは、何も地元への愛着などではなかった。地元にあまり良い思い出はないし、住み易い街でもない。

 それでも迷いがあるのには、それなりの理由があった。


 朝が来て、帽子を深く被り大きな眼鏡で顔を覆ったマルコは仮宿を出て、客引きの仕事へと向かう。

 この仕事も、もう六日目である。明日は休日にされている。やる事もないので、別に明日も働いても構わないのだが。


「おはようございます」

「ああ。おはようマルコ君。君に、お客様がいらっしゃってるよ。客引きは後からで良いから、対応してくれたまえ」


 座長の言葉に客? と思うまでもなく、「げ」と呻き声が漏れた。連れて行かれた応接室に居たのは一組の男女。

 車椅子に腰掛けた男性と、それを押す、美人であるが気の強そうな女性。


「当たりだね。見つけたよマルシア」

「人違いじゃ、ありゃしませんかね。オイラにゃ、マルコっていう名前がありやして」


 装飾品店のご夫婦であった。

 旦那さんは穏やかに微笑んでいるが、おカミさんはキツく睨み付けてくる。切れ長の眼の美人なので、結構おっかなかった。


「まったく。何も言わずに退院しちゃってさ。そんなに家の店には魅力がないのかい? それならそれで、年寄り達の所でも良いけどさ。何も言わずに逃げるのは、ちょっと切なくはないかい?」


 マルコは誰にも会わない様、逃げる様にして退院している。入院中、夫妻や年寄り達が行く当てが決まってないなら、家へと来ないかと煩かった為だ。


「どこでも、そう悪い待遇にはならないし、学園にも通わせてあげらられるよ。少し頑張らなくてはならないかもしれないが、学問を積む事はきっと、君の役に立つ。考えてはみてくれないかね?」


 追い討ちを掛ける旦那さんだ。穏やかな顔をして正論で抉ってくる。確かに、彼等の申し出に損はない。損がないなら飛び付くべきだった。美味しい話は限られる。そういう事にも機敏であるから、弱くともこれまでやれて来ていた。


「オイラは悪党の使いっ走りだぜ。何人も騙して傷付けてきた悪党だ。そんなヤツを、抱え込もうなんてアホな話だ」


 それに、自分の為に踏み躙ってきたモノも多過ぎる。自分の安全の為。自分が助かる為だけに。


「ねぇ。こんな事じゃ慰めにもならないけどさ。仕方ないじゃないか。強い奴の、怖い奴の側にいたら、間違えもするよ」


 おカミさんがゆっくりと近付いて来て、柔らかに頭を抱かれた。帽子が落ちて、眼鏡が取られる。表れるのは見苦しい頭と、煤で汚れた小汚い顔。

 顔に、柔らかな布地。ハンカチだ、おカミさんが顔を拭ってくれている。


「それに、アンタは健気で勇気がある子だよ。アタシを助けようとと、してくれただろう?」


 違う。そうじゃないという言葉は飲み込んだ。今でもあの時の気持ちは判らない。気の迷いかもしれないが、そう悪い気分ではなかった。


「ああ。やっぱり可愛い子だね。よく、今まで無事に済んだね。もういいよ。もういいんだよ。自分を偽らなくても、汚れなくても。アタシが、アタシ達皆で護ってやれる。信じられないかい?」


 信じたいと想ってしまう。怖いから、恐ろしいから危険を避けるため、偽った。

 頭を丸め、顔や身体を煤やゴミで汚して、言葉も汚くして、安全を求めた。そうしなければ、強く生きていけないと思っていたから。

 弱い自分には、力のない女の自分には。世界は厳しくて残酷で、生き延びられないから。必要だから。


「それにさ。アンタは健気で、強い子だよ。ねぇ。貴女の本当のお名前。貴女のお口から聴かせてくれないかい?」


 偽りが剥がされる。生きる為に求めた強さの幻想は崩れ落ちる。思考が回らない。致命的な隙だった。

 だが、それでも。何かに縋り、心は溢れた。


「マルシア。ワタシ。マルシアっていうの。お母さんが、付けてくれた名前」


 自分の名を名乗るのは、いつ以来ぶりだろう。

 娼婦であった母が客に殺されて、それ以来名乗る事も、呼ぶ者もなかった名前。

 胸の内に何かが溢れる。意味もなく、目頭が熱い。


「良い名前だね。マルシア。家にこないかい? 一緒に暮らそう? 大丈夫。ちゃんとアンタが生きられる様に付き合ってあげるから。改めて、アタシの名前は——」

 

 優しい声に血が騒めいた。穏やかな未来の予感に希望を見た。少しだけ、甘えてみたいと思ってしまう。

 マルコに罪を着せ続けてきたマルシアは、償わなければならない。虚構である彼にではない。自分が傷付け、踏み躙ってきた人達へ。

 赦されはしないだろう。傷付く事になるかもしれない。だけど、勇気を貰ってしまった。

 きっとこの先が、良い事ばかりである筈もない。でも、一人じゃない。人は一人では生きられない。だけど、ワタシをワタシにしてくれる人がいる。


 さようなら。マルコ。ワタシはマルシアに戻ります。今までありがとう。

 そう祈りながらマルシアは、惜別の涙と共に再誕の産声を上げた。




 一冊の書籍がある。教会により、各地の伝承が纏められた小話集だ。

 そこに記された一節がある。


 ——シシリア州民の伝承によれば、ニュートゥェは水質浄化と共に、曇った心を浄化する権能を持つらしい。出産を目にし、彼女と出会った者は迷いを払い、己の真なる心と向き合う機会を得るという。

 選択は、何を選んでも構わない。それは心の迷いとは無関係なものだからだ。

 故に、泉の御使と呼ばれる事もある。齎されるのは実にささやかな祝福だ。だが、それも実にらしいではないか。

 主は全てを寿がれる。故に我々も小さな幸運を寿ごう。全てのモノへ祝福あれ。そうあれかし。

 

 

 


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