研究室のゼミの始まり
ユマ研究室では定例の研究室ゼミが始まるようです。
研究室のメンバーが集まって、どんな話が始まるのでしょうか。
09
その世界はそれ以外の色が存在しないと思わせるほどオレンジ色一色に染められていた。
窓の外からは学校の部活動であろうか、学生の掛け声が聞こえる。夕焼けのオレンジ色によくあう効果音だ。
窓は秋の終わりと冬の始まりを予感させる、少し肌寒い外気を遮断して部屋の中を暖かく保っている。
私は時間よりも早く研究室の会議スペースに来ていた。
いつものことだが私は時間に遅れることはない。もともと時間に対して正確に行動するタイプである。
ましてや、私はこの研究室でのゼミの雰囲気が気に入っている。なるべく長くこの雰囲気を楽しむために早く来るようにしている。
今回まとめた融合炉の図面とその動作シミュレーション結果を机に広げて見直しをしながら他のメンバーが来るのを待っていると、いつものように一番乗りでケンが入ってきた。
「あ、教授、こんばんは」
ジーパンに革ジャンという格好の彼は手を軽く挙げてて笑顔で言った。
「学生というよりは放浪しているバイク乗りね」
私も少し笑いながら答える。
「毎回惜しいところまでいっていると思うんだけどなぁ」とケンは頭をかく。
今の研究室メンバー……というよりも今の若い年代の子たちは、古い時代や地球への憧れを持った懐古主義の傾向があるようで、研究室のメンバーの中で『昔の大学生っぽく振る舞おう』というよく分からない遊びが流行っている。
研究室ゼミを行うネット上に構築されたバーチャル環境のこの会議スペースでは、参加者はアバターで好きな恰好を簡単に選んで設定することができる。
ケンの格好も昔の大学生を意識したようだが、工学部の大学生はそんな恰好はしていない。
2085年の地球生まれの私は十五歳の時、地球に残る大学に飛び級で入学している。大学という組織が残っていた最後の世代だ。
当時の大学生の様子を知っている私は、研究室メンバーが遊んでいる『大学生っぽい恰好コンテスト』の審査員をやらされている。
「お疲れ様です! エリック入りました!」
元気よく入ってきたエリックはいつも通りのつなぎ姿で首からは防護ゴーグルを下げている。
ペンとメモ帳を持参しているので、今日も完全に聞くだけ、メモするだけモードに入っているようだ。
エリックが席に付くのと同時にオウ=エウェ博士がドアをあけた。
灰色のスーツのポケットに手を突っ込んでいるが、背筋はピンと伸び、青い瞳は澄んでいる。
黒人特有の肩幅の広い引き締まった体のためか、白髪の割に歳をあまり感じさせない老紳士である。
皆が改まった挨拶をする中、にこやかに受け答え応えつつ、窓際のいつもの席に腰をおろす。
オウ博士は、このユマ教授がまとめる研究室に資金と知識を出資している。
彼はこのステーション内にある研究機関のナスタ宇宙研究所の主任研究員であり、同時にユマ研究室の相談役でもある。
普通、研究室などで教授クラスの人間が二人もいることはありえない。
指令塔が二つもあるような組織がまともに機能するはずがないことは、よほど緩んだ頭を持った人間以外は気付くからである。
しかし、このユマ研究室に関してはその常識が通用しない。
私もオウ博士も、ふたりとも研究室のメンバーに対して指示を出さないためだ。
確かに私自身はメンバーのスキルにあわせてレベルアップのための課題を出すことがある。ただし、それはレクリエーションのようなもので、指示と言うほどのものではない。
研究室で私は自分の意見を言い、それに対するメンバーの反応を自分の理論の見直しに利用するだけだ。
オウ博士にいたっては、自分から意見を言うことなど今まで一度もなかった。聞かれなければ発言さえしなかった。
私でさえ、研究に関係ないオウ博士の個人情報についてはほとんど知らなかった。
初めてお会いした時の自己紹介で博士の珍しい名前は地球のアフリカ地方のものという説明を受けたのは、今思えば貴重な情報のやり取りであったといえる。
それでもオウ博士は研究の核心にふれるようなことについての意見を求められると、まるで物事の正解をすべて知っているような的確な回答をして、メンバーを驚かせた。
「セーフっ! 間に合ったー」
別の意味で驚かされるメンバーが勢いよく登場した。
「いや、リコ。全然だめだと思うぞ。やっぱり今日もギリギリじゃん」ケンが笑いながら言う。
時間は二十一時。ゼミの開始時間だ。
リコは額の汗を手で拭いながら笑う。
仮想空間のアバターなので実際には汗はかいていないのだろうが、仮想空間での行動時間が長い世代はそのシチュエーションで想定される生体反応をそのまま仮想空間へ無意識に持ち込めるらしい。
私には理解できない感覚だが、まあ、役者みたいなものなんだろう。
「ギリギリでごめんなさい。ついニュースに気を取られてしまって……」
リコは会議スペースの机のいつもの定位置に座りつつ、新しいオモチャを見つけた子供のように身を乗り出した。
「あ、教授、見ました? 失踪事件のやつ。あれ、失踪した人はステーション外のバラストエリアにいるんじゃないですかね?」
「中じゃなくて、外……。あぁ、それか」
私はゼミで話そうと準備していた研究の思考から、突然始まった雑談の思考へ切り替えた。