ユマ・カークスが戻ったよ
ユマ教授はカフェから研究室に帰り、自分の研究を進めます。
優秀な人は勢いよく仕事をするものみたいです。
08
研究室に戻った私はコートも脱がずにまっすぐ机に向かうと情報端末のコネクタにインターフェースケーブルを勢いよく差し込んだ。
「ユマ・カークスが戻ったよ」
情報端末のロックを音声認証で解除すると同時に、私はドカッと椅子に座る。
スリープしていた作業ディスプレイが起動して画面には勢いよくコマンドラインが流れていく。自分が数年かけて取り組んでいる研究なので初期設定のプログラムは画面を見なくてもコマンドを入力して実行できる。
情報端末のコマンド入力はインターフェースケーブル経由でできているのだが、子供の頃の癖でついつい指先がピクピクと動いてしまう。無駄な動きだと分かっているのだが、私はそんなついつい動いてしまう指先を見るのが好きだ。
無駄なものは生きるのに役に立つわけではないが、理由の分からない面白さがある。
リコのような若い世代ではそんな癖を持つ人間はほぼいない。
無線インターフェースが実用化された世代では機械を操作するのと同時に別の動作もできる人間が多い。
古い世代の私たちにはちょっと理解できない感覚だ。
そんな思考の脱線をしている間に、画面には先ほど出先でホストコンピュータへ転送したデータの再確認結果が表示されていた。やはり計算には大きな問題は無いように見える。
カフェでの試算では概算するために飛ばしていた中間のデータを再構築し追加するスクリプトを書いた。
リコの指摘した融合炉周辺に配置したコイルに離散的に発生するマイクロプラズマの位置予測をパラメータから数式変換するもので、これの計算をホストコンピュータへジョブ投入した。
「ふぅ……」
気が付くと研究室に戻ってからもう三十分が経過していた。
今投入した計算のジョブの結果が出るのは六時間後なのでそれまでゆっくりできる……と一瞬思ったが、あと三十分で大学の研究室ゼミが始まってしまう。
私は立ち上がってコートを脱いで椅子に掛けると、壁際の棚にストックしてあったミールバーを手に取り雑にパッケージを開けてかじりついた。
ミール(食事)と名乗るのであれば温かくて食べるとホッとするような物であってほしいのだが、現実は厳しい。美味しいのではあるが遭難時に保存食のチョコバーを食べているような侘しさを感じてしまう。
私は侘しさを紛らわすように作業ディスプレイのニュースサイトのアイコンを見て「ニュース再生」とつぶやいた。
作業ディスプレイには不機嫌そうな顔をした壮年の男性の顔写真が映し出された。昨日からニュースに出ていた行方不明になっている男性らしい。
普段ニュースをあまり見ない私でも、さすがにここまで大きなニュースは耳に入る。
生活する世界の空気や光、温度や湿度や圧力など全ての環境が人工の装置で管理されなければ人間が生きていけない宇宙に浮かぶステーション内で、人間一人の居場所が分からなくなるということは基本的にあり得ない。
しかし事件は起こった。
しかも六カ月前には殺人事件も起こっていて、まだ犯人が捕まっていないのだ。
あり得ないことが連続して起こっているのだ。
そんなニュースがこのステーション内にいて耳に入らないとしたら、それはすでに死んだ人間か、まだ生まれていない人間のどちらかだ。
ニュースから流れる情報には、昨日からアップデートされた内容は何もない。
ただひたすら『男性が第一居住区で失踪した。捜索したが依然発見されていない。男性が第一居住区から移動した形跡すら見つからない。男性を見つけたらステーション管理局に連絡を。男性の特徴は……』ということを繰り返すだけだ。
「中じゃなくて、外かもね」
ふと私はつぶやいて、何を言っているんだ私は……と薄く笑いながらミールバーの最後のひとかけらを口に放り込んだ。