アマノの仕事
場面は再び変わり、回転するローウェル3の第四居住区の一室にいる、アマノという男の様子です。
07
木星軌道上の宇宙ステーションのローウェル3。
地球から遥か遠い宇宙に進出し定住できるほど科学技術の進んだ人類であっても、人間であることには変わらない。
残念ながらここでも人間の感情のもつれや気持ちのすれ違い、さまざまな偶然から人々はトラブルや事件を起こす。
殺人事件も少なからず発生する。残念ながら。
薄暗い部屋の端にあるデスクの情報端末からは、最近起こった男性の失踪事件と半年前に発生した殺人事件に関するニュース音声が流れている。
私はソファーで目を覚まし、いつの間に眠ってしまったのかと舌打ちをする。
ソファー横の応接テーブルの上に置いてあるはずの身分証のカードを手探りで探すとカシャンと音を立てて何かが落ちる音がした。
私はソファーから立ち上がり床に落ちていた身分証を拾い、シワだらけのシャツの胸ポケットに付ける。
雑に扱っているので身分証に書かれた『AMANO』という文字は擦れて見づらくなってしまっている。
どうせ日常では電子キーとして使う程度なので、身分証として人間に読める文字が書いてあるかどうかは気にしてない。そもそも今の時代、自分の見た目を気にする人間は少ないかもしれない。
私の黒いボサボサの髪も、日焼けしていない青白い肌も無精ひげの生えた三十八歳の冴えない顔も、中肉中背の特徴のない体格も全て、情報端末で同僚と会話する際はちゃんとした紳士らしいアバターが表示されるからだ。
情報端末のディスプレイには白髪交じりの難しい顔をした男の写真が映し出されている。この男の顔は、おそらくアバターではなく現実の物なのだろう。
失踪した男性のニュースはすでに昨日から出回っていたので知っていた。たしかステーションの管理局職員で、第一居住区にあるバラスト水管理ブロック付近で消息を絶ったのだ。
回転して疑似重力を発生させる円盤状のローウェル3において、人が失踪することは難しい。
特に回転の最外周部に近い第一居住区では意図しない質量の移動によるステーション全体の回転への僅かな影響を避けるため、常にステーション内の人の位置を質量として把握して最外周部に流れるバラスト水の調整を行っている。
ステーションの住人が一定以上の質量のある物品を移動させる場合は、事前に管理局への届け出が義務付けられているほどだった。
その男性の先週までの足取りはバラスト水管理ブロックまでの質量センサーの記録から確認されている。だがその後、一週間経ってもその男性が区画から出入りした記録は、身分証での入退場記録や質量センサーの記録のどちらでも確認できなかった。
つまり、その男性は記録上、まだその区画から移動していないのである。
これはステーションの多くの住人の興味を引くニュースだった。しかし今流れているニュース映像では特に新しい情報は無かった。私はニュース画面をオフにして室内の照明をつけた。
私は寝起きの良さには自信がある。
冷蔵庫からコーラを取り出し一口飲んで自分にエンジンをかけると、コーラを片手にシートに座り、すぐに情報端末から業務画面を立ち上げた。
ディスプレイには今日の業務内容についての詳細な指示書が映し出されている。
今日も代わり映えしない評価業務だ。
だが、今の仕事は気に入っている。それは、機械に出来ないという実感があるからだ。
いまどき機械にもできる創造性のない作業のような仕事は人間にまわってくることはほとんどない。
百年以上前は人間に出来て機械に出来ない複雑で微妙な仕事というものが存在したが、現在において状況は逆転している。
人間は機械のように精密かつ正確には動くことが出来ない。
仕事は完全に機械が行うべき分野と人間にしか出来ない分野に分かれた。
人間に残された役割といえば、子供か老人か、学者かエンジニアか、母親か父親か、スポーツ選手か芸術家ぐらいである。
私の仕事はエンジニアだ。
仕事の内容はいつもどおり、研究所で試作される電子回路チップの評価だ。
最近はどんなものでも自動化されて、人間が思い描いた動作をブロックのように組み合わせるだけで、ほぼ思いどおりの動作をする電子回路ができるようになった。
だが、人間が考えた動作が完璧に行われているかを確認するのは、回路を作った自動化ツールだけではできない。
自分の首根っこをつかんで自分を宙に持ち上げられないのと同じで、作った本人(とは言ってもコンピュータ内のソフトウェアだが)は自分の間違いを発見することができないのだ。
そもそも、人間がほしい動作を完璧に組み立てることができるならばとっくの昔に完璧な人工知能が完成しているわけで、それがいまだに出来ていないところを見ると人間の思考ってものは複雑だと私はつくづく思う。
ともかく、そんなチップに対して使用条件から考えられる最悪のパタンを設定し、人間が考えた仕様の矛盾点を探す。
マイナス思考で他人の駄目なところを見つける、この仕事の内容そのままの性格の人間がいたとしても自分はあまり関わりたくないと思う。
幸いこんな他人のあら捜しのような仕事をしている都合上、なるべく楽に仕事を進めるために対人関係には充分注意している。私の外見えの性格は外交的に見えているはずである。
ディスプレイに表示されている今日の仕事の内容も、かわいい我が子を谷に突き落とすような工程ばかりだった。
ただ、この谷から這いあがってくるようなたくましい子でなければ、宇宙空間という厳しい環境では人間の命を危険にさらすことになる。
その厳しい工程内容を一応自分のメモリーに保存する。時刻は十八時十五分だ。今日の試験ルームは運悪く第一居住区なので、最短ルートのエレベーターを使わなければ間に合いそうにない。
普段ならば、部屋を出て右側方向にあるエレベータに乗り、接続区にあるスターバックスに寄って一服するのだが、そんな暇はなさそうだ。
作業用ジャケットを肩にかけ、ドアから飛び出すと壁を蹴って左の通路を飛んでいく。第四居住区に住んでいて遅刻している人間は、本当に飛んでいくのだ。
エレベータに向かう途中、大きなゴミを抱えた青年とすれ違う。エリックだ。
彼はスターバックスの数軒隣りの倉庫でいつも大騒ぎをしているので、あの接続区を利用する人間にとって、有名人だ。
見たところ抱えている大きな荷物(見た目は明らかにゴミだ)は、エリックの腕がやっとまわせるぐらいの段ボール箱だ。
彼の表情から想像して、そのゴミはステーションへの重質量物移動申請が必要なのではと思わせるほど重そうだ。
エリックは私にわき目も振らず、一所懸命に荷物を抱えながら通路を反対方向へ歩いて行く。
こちらが相手を一方的に知っている状態だと、なんだか自分が透明人間になったような気分になる。
一瞬そんな想像をして、私はすぐに自分が遅刻しそうだったことを思い出し、再び急ぎ足でエレベーターへ向かった。