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社畜のお姉さん

社畜のお姉さんが誘惑に負けてお芋を食べる話。

作者:

 季節は急に冬になり、つい数日前まで暖かかったのに分厚いコートを着て通勤するようになった。

綾子は、夏の暑さよりは冬の寒さの方が得意ではあるが、さすがに急激な温度変化に耐えるには限度がある。

昨日は最高気温が十七度だったのに、今日は十度だ。最低気温に至っては二度を記録している。

いきなり花壇の土に霜が降りていて植物も驚いたに違いないと、朝の通勤中に綾子は思っていた。

この気温差は先日誕生日を迎えて、ついに初老の称号を得てしまった綾子には堪える。

いきなりこれは止めてくれ。徐々に、徐々にで頼む。そう切実に願う綾子である。

寒い、早く家につけ、寒い。そんな事を考えながら、足早に帰り道を歩く綾子は何かが聞こえて足を止めた。


「いしやーきいもっ、おいもっ!あったかできたてっ、おいしいおいもだよー!」


 少し音割れしたスピーカーの音が聞こえる。


 石焼き芋だ。


 帰る事ばかりを考えていたせいか、少し煙たい事にも気が付かなかった事に驚く。

しかし、気づいたとたんに、綾子は体がそわっとした。

近づくにつれて、焼き芋の何とも言えない甘い香りが漂ってきている。

声と煙と匂いに誘われて、いつもと違う道を曲がった。


 古びた軽トラの荷台の上では、焼き台に薪が炊かれ赤くなっているのが見える。

いつの間にか早足になっていた足を更に早め、綾子は焼き芋の屋台へと近づいた。


「お芋ください!」


 ここ最近出ることのなかった元気な声が出る。

火の具合を確認していたらしきおじさんが、綾子に顔を向けてにこりと笑った。


「あいよぉ。いらっしゃい。うちはねぇ、ねっとり甘いのとほっくり甘いのと、おっきいじゃがいもがあるよぉ!」


 ねっとり、ほっくり、じゃがいも!?


「ど、どうしよう。どれも美味しそう……」


 綾子は思わず心のままに声が出てしまう。

その声におじさんは、からからと笑う。


「お嬢さんはどれが好きかねぇ。おじさんは、ねっとり甘いのをそのまま食べるのが好きだけど、ほっくり甘いのにバターのせて食べるのも好きだねぇ」

「美味しいですよね!」

「だねぇ。じゃがいもはやっぱりじゃがバターだねぇ。塩辛のせて食べても美味しいし、塩と青のりかけるのも良い……」


 おじさんの言葉に、綾子の頭にほわほわんとお芋を食べる自分の姿が浮かぶ。

あぁ、ダメだ。全部食べたい。

今日食べきれなくても、明日の朝に温めなおして食べれば良いじゃないか。

それでも食べきれなかったら、さらに明日の夕飯にアレンジして食べよう。お菓子にしたって良い。

うん。いけるいける。大丈夫。

お値段がちょっとばかり懐に痛いけれど、そんなのは良いのだ。焼き芋にはあらがえない何かがある。


「……全部、一個ずつください!」

「あいよぅ、まいど!」


 全部をひとつずつ買った綾子は、おじさんにおまけと言われ小さめに切って一緒に焼かれていた長芋ももらった。

おじさん曰く、これにちょろっと醤油を垂らして食べると美味しいらしい。おじさんの大好物だと言っていた。

買ったお芋が冷めないうちにと、綾子はお芋の入った紙袋を抱え小走りで家へと帰った。


 いつもならば、お風呂に入ってからご飯にするところだが、そんな事をしてはせっかくの熱々お芋が冷めてしまう。

綾子は手早く手洗いうがいを済ませて、レディーススーツのまま台所に行き冷蔵庫からバターを取り出すと、キッチンの壁に立てかけてある細身のカウンターチェアを出して座った。


「いただきまっす!」


 皿に熱々のじゃがいもを乗せバターをぽん。すぐにとろけていくバター。

すかさずフォークで削り取りぱくり。

熱い。熱いが冷蔵庫から出したてのバターのおかげか、ジャガイモの少し表面は冷めている。

もくもくと噛めばバターとほっくほくのじゃがいもが交じり合い、バターの風味とお芋の味が広がる。


「んーっんーっ!」


 美味しい。

綾子は超えにならない声を上げた。

綾子の家のバターは無塩なので、バターとお芋の味しかしない。

だが、最初はそれでいい。

二口目はお塩をパラり。

そしてすかさずパクリ。

塩で味が引き締まって、さらに美味しい。

もくもくと食べ進め、三分の二を食べ終えたところで、そういえばと思い出す。

乾物類が入れてある引き出しをガサゴソし、いつ買ったか覚えてない未開封の青のりを見つけ出す。

賞味期限はギリギリ大丈夫なので、封をあけてジャガイモにかけた。


「あー……うまぁ」


 青のりの風味が足されたじゃがバターは罪の味と言っていいほど綾子の好みだった。

ほんのり香る磯の香りが食欲を引き立てる。

ポテトチップスも青のりが好きな綾子である。これは当たり前に好きな味だった。


 ぺろりと食べ終え、おまけにもらった長芋を紙袋から取り出しお皿へ。

とりあえずそのままと、フォークで切り取り一口。

予想以上にほっくりとした食感に驚く。

長芋ステーキよりもほっくほくだ。しかしジャガイモよりもしっとりとしている。

おじさんが好きな理由もわかる。

これは美味しい。

醤油をちょろっとかけて更に一口。

あー……これは美味しい。ご飯のおかずとしていける。そう綾子は確信した。

さすがに大き目のじゃがいもを一つ食べているので、ご飯は無理だ。少々残念に思いながら、また長芋を一口食べた。


「そうだ」


 綾子はまた乾物類の入った引き出しを開けてかつおぶしを取り出す。

青のりと共に長芋にかけて、少しいいきめにフォークで切り取りパクリ。

これもおかずになりそうな味だ。風味が足されて美味しい。


「待てよ?」


 みたび乾物類の引き出しを開け焼き海苔を取り出して、大きめに切り取った長芋を巻く。

海苔越しにまだ温かいのが伝わってくる長芋を大きな口を開けてがぶっといく。


「ふまぁ!」


 これは美味い。最高。綾子は無意識にもう一枚の焼きのりに手を伸ばす。

そして、残りを無心でもくもくと海苔に巻いて食べた。

それくらい味が好みだった。

美味しすぎて無言でそれに夢中になる。綾子は好みすぎる味はそうなるタイプだった。


「でぶぅ……」


 それは女子としてどうなんだという吐息を吐き出す綾子。

正直お腹がいっぱいなのだが、まだ本命の焼きいもが残ている。

これもできれば温かいうちに食べておきたい。


「半分ずつ冷蔵庫に入れて……いや、三分の二ずつ冷蔵庫に入れよう」


 だいぶ冷めてしまったさつま芋二本をぽきりと手折り、大きい方をラップで巻くと冷蔵庫へと入れた。

明日温めなおして食べよう。アレンジしても良い。


 まずはほっくりのお芋から。

と思ったが、忘れてはいけない。飲み物だ。

マグカップに豆乳を注ぎレンジでチン。

熱々とまではいかない、やや温かい程度で十分だ。


 ほっくりお芋をそのまま一口。

口の中の水分がだいぶ持っていかれるが、気にしてはいけない。

ほっくり系にしてはかなり甘く美味しいさつま芋だなと綾子は思う。

お腹が満ちている分、しっかりと味を確認できている。

しっかり味わったあと、豆乳をぐびり。失った水分が補充される。

そしてまたお芋をぱくり。

口に残る豆乳の風味とお芋の味が混ざる。その味を堪能しながら、はっと気づく。


「バター!」


 そわっとしながらほっくりお芋の上にバターを乗せてもぐ。

さすがにバターはお芋の熱でとろけなくなっていたが、口に入れることでとろりと溶けていく。

口の水分がバターのおかげでそれほど失われずに楽しめる。

そしてそれを温かな豆乳で流し込む。

後に残る余韻はスイートポテト。

綾子はこれは口中調味なのだろうかと思うが、すぐに頭から消えた。

だって、美味しいんだもの。余計なことは考えたくない。


 ほっくりお芋を全部食べた後、ねっとりお芋にも手を伸ばす。

さすがにお腹いっぱいなのだが、三分の一だけだしと口に運んだ。


あっまぁ!


 ねっとりとしたお芋は甘かった。驚くほどに甘かった。

お芋の味は確かにするのだが、まるではちみつの塊を口に運んだような濃い甘さだった。

冷めてきてるとかお腹いっぱいとか、そういうのを全部吹き飛ばすほどに甘い。美味い。

黙々と食べつくしてしまった自分に綾子は驚きつつも、満足げにお腹をさすった。

他人には絶対見せられない見事なポッコリお腹であった。

そこには夢も希望もないが、美味しかった芋が詰まっている。


「あー……動きたくない。けど、お風呂入らなきゃ……」


 お腹をさすさす撫でながら綾子は重くなった体を動かし、お風呂へとお湯を入れに向かった。


病院の帰り道、近くの公園で石焼き芋が売っていました。

誘惑に負けて買って食べました。美味しかったです。

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