9.夜明け
結界の中に入り込んだ魔物を探し出して掃討し、粗方討ち取ったときには、東の空が白み始めていた。結界も、夜が明けるころには消えていた。
「ご苦労。おかげで助かったよ」
教会の前でエルミラとエクトルは握手を交わした。互いに服には血糊が付き、顔も疲れの色が濃かった。
「怪我人は多いが、一人も死人を出さずに済んだのは、神の御加護があればこそかな」
「クリフは大怪我をしたそうだが」
「まあ、悪運の強いやつだし、暫くは動けないだろうが、大事無い」
「そうか。シリルは? 一番の功労者と言ってもいいが」
「ぐっすり寝ている。色々と聞きたいことも多いが、今はゆっくり休ませてやろう」
エルミラは思案気に俯いた。
「魔物の死骸を集めて、傷む前に燃やそう。放っておいては障りがある」
「そうだな。まあ、厄介なのは、あの地龍くらいだが」
エクトルの言葉にエルミラが笑った。
死骸は動ける者たちが総出でかき集め、荷車に乗せて、村はずれの、昔の坑道が潰れて出来た縦穴に投げ込まれた。エルミラ、リュカ、ネイサンが浄化の魔法を使いつつ火を入れた。燃やし尽くして灰には土を被せ、その上から石で覆って封印を施す。完全に穢れを祓うには定期的に浄化する必要があったが、村には今なすべきことは他に多くあった。
魔物が壊していった家や石壁は、修復の目途が全く立たなかった。避難していた者達の帰りを待って、これから時間を掛けて直していく他なかったが、教会や国がどれほど当てにできるか分からなかった。
***
エクトルは村で五日ほど過ごし、後片付けを手伝い、また南の宿場町へと、他の者たちより一足先に村を離れることになった。
エルミラ達は、セクスト公国の公国軍部からその地に留まるようにと伝達があり、足止めを食っていた。帝国北方の四か国程ではないが、セクスト公国も被害を受けて、辺境の村一つに構っている余裕は無いようだった。
帝都を襲った魔物の群れは、帝国軍が全力をもって阻止したという話だった。帝都には、飛竜が一匹、入り込んだだけで、それも退治されたという。
帝国北部は、西からユノー、マイア、アプロス、帝都のある皇帝直轄領マルテの順に公国が連なっているが、魔軍が集結し、もっとも大きな被害が出たのはマイアとアプロスだった。町や村、農作物等に多大な被害が出ていた。一方、南方の国々はまったく被害を受けていなかったため、これらの国々から支援物資が北部へと送られていた。
シリルとブルーム男爵家の母子は、シルビアの体調が整い次第、マイア公国の男爵が待つ砦へと向かうことになっていた。砦も魔物の襲来を受けたが、男爵は無事とのことだった。
シリルは、その後、帝都に戻るということだった。
村の北端、石壁の外の村を見下ろす位置にエクトルはやって来て、外から村を眺めた。西に傾いた日差しを浴びて、緩やかな尾根とそこに広がる村は美しいと言える眺めだったが、魔物が荒らした家々や地龍とゴーレムが崩した石壁が痛々しかった。
「明日、発つのか」
「ああ」
エルミラが村から上がってきた。
「我々は暫く足止めだ。貴方は、南へ向かうのか?」
「そうだ。南のデシムに抜け、そこから海を渡ってノルティアへ向かおうと思う」
「故郷へ戻るのか。それも良いな。私もこの件が一段落着いたら、南へ向かおうと思っている。色々と、きな臭いことが多くなってきたし、活動するのも難しくなりそうだ」
手をかざして村の方を見ながらエルミラは言った。
「活動が難しくなる?」
「私の祖母はオリントの生まれというのは、話したかな? それもあって、私はオリントとは所縁が深い。知り合いも多い。知っての通り、帝国とオリントはあまり折り合いが宜しくない。国柄が全く違うからな。今の帝国の始祖は、オリント由来ということで、紀元も変えたくらいだ。
前皇帝崩御後、色々と、もめ事が多いし、少々風当たりも強くなってきてな」
下級の貴族の出で、侯爵令嬢の側仕えなどをしていたエルミラだったが、女の地位が低いボレアスで、魔道剣士として生きるには、傭兵くらいしか無かった。
辺境の最前線で防衛任務などというのも、それを引き受けた理由もそこにあるのだろうか。
「貴方は、ノルティアの出だそうだし、ノルティアと帝国は親子のようなものだ。あまり影響はないかもしれないが、南へ、国元へ帰るのは良いかもしれない」
どこか、持って回った言い方がエクトルは気になった。
「何か問題があるのか?」
「問題か。そうだな」
言うか、言うまいか、少し逡巡するかのように、エルミラは黙っていた。
「貴方は、魔物がやって来た夜に、ゴーレムを見ただろう?」
「ああ」
「あのゴーレムは、帝国がウェズに近い辺境の砦に配備していたものだそうだ」
「帝国が?」
「皇帝が退位し、新皇帝が即位すると、辺境へ特使が送られて、ゴーレムの紋章を書き換えていたらしいが、これまでは皇帝が退位しても存命の内は紋章は有効だった。ただ、今回は、崩御後に皇帝が即位したため、制御不能の期間が出来た」
「それを魔王が利用したというのか」
「そこが、魔王たる所以だといえばそれまでだろうが……」
エルミラは口元に薄い笑いを浮かべて言った。
「そのことは、シリルから聞いたのか?」
「そうだ。彼は新皇帝即位の際の手続きとして紋章の書き換えのために砦に向かったが、そのうちのいくつかは、既に行方知れずとなっていたわけだ」
「あんたは、帝国内に魔王の協力者がいると、疑っているのか?」
エクトルの言葉に、エルミラは面白そうに笑った。
「辺境の砦にゴーレムが配備されているなんてことは、私も知らなかった。どこからか情報が洩れていたのは確かだろう。それよりも、ゴーレムの紋章が無効だからと言って、それを魔王が動かせたということが問題だと思うがね」
エクトルは、無効となった刻印を破壊したので、ゴーレムの動きが止まらなかったということは、理解した。”影”は、そのとき、『その下だ』と言わなかったか。
「ゴーレムには、魔王の刻印がされていたとでも……」
いや。皇帝の刻印は常に上書きされていたということは、もともとそれは、魔王のものだったということにならないか?
”影”は知っていて、そのことを黙っていたことに軽い苛立ちを感じたが、顔には出さなかった。
「まあ、滅多なことは言うもんじゃない」
エルミラは人差し指を唇に当てた。
「あの、御婦人に取り付いていた魔物も気になるところだ。他に、同じような目にあったものがいないかどうか知りたいところだが、難しかろうな」
エルミラはそう言ってため息をついた。
「まあ、いつどのように風向きが変わるか判らない状況ということだ。忠告というほどのことでもないが。貴方は、ノルティア生まれの賞金稼ぎというだけの男には思えないのでね」
そういって、笑うと、エルミラは手を振って村へ下って行った。
***
「もう、行きなさるかね」
村長が、トンブに荷物を載せるエクトルに言った。
「ああ。長居するわけにもいかないしな」
「世話になったな」
村長の差し出した手を握り返す。その横にいるアルマはうつむき加減で、黙っている。
「じゃあな。アルマ。元気でな」
アルマの頭をぽんと撫でた。
「また会える?」
「そうだな。この村がちゃんと元通りになっているか、見に来るさ」
顔を上げたアルマは笑顔を見せた。
「旦那、行くのか?」
カイルが声を掛ける。その後ろにエルミラ、リュカ、ケント、ネイサンの姿も見えた。クリフはまだ動けなかった。
「旦那には、もうちょっと剣術とか習いたかったな」
カイルは何かにつけてエクトルから剣の指南を受けようとしていた。
「エクトル、忘れものだぞ。契約金も受け取らずに行くつもりか」
エルミラが前に出ると、布袋を渡した。受け取ると、ずしりと重く、銀貨が詰まっている。
「こんなにいいのか?」
「十分な働きはしてもらった。それと、これはコイツへの剣術指南料とでも言っておくかな」
エルミラがカイルの方に顎をしゃくると、真鍮で出来たプレートを渡した。帆船の絵が彫り込まれている。
「これは?」
「船の乗船手形だ。デシム公国からノルティアに行くなら、フェカヤからだろう。そこで商人をしているレイモンという男は、ノルティア出身で、私の知り合いだ」
「いいのか、こんなものを?」
「何、私の近況でも伝えてもらえれば良い」
エクトルは有り難く頂くことにした。これは、エルミラからそのレイモンという男への言伝を頼まれたということでもあった。
エクトルは皆と握手を交わして、トンブへ飛び乗った。アルマが走り寄る。トンブの胸の和毛に顔を埋めてから見上げる。
「トンブも元気でね」
クケッとトンブが一声鳴いた。
「それじゃあ、皆、達者でな」
エクトルがトンブを前に進めた。
「旦那も元気でな」
「達者で」
皆が口々に声を掛ける。エクトルも手を振って答えた。
石門を抜けると、ゆっくりした登りにかかった。振り返ると、石門の前に並ぶ人々が見える。
その中から、一人駆け寄ってくるものがいた。
「エクトルー!」
アルマが叫んでいる。
「きっと、また来てよー」
立ち止まって、勢いよく手を振っている。涼やかな朝の山々にその声がこだました。
エクトルもその姿に向かって大きく手を振ると、また背を向けて、トンブを走らせた。
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