8.交戦
「まずい、結界が!」
エルミラの叫びも空しく、村を覆っていた結界の力が緩んだ。地龍は足を踏ん張って頭を強引に結界内に突き入れようとしていたが、不意に緩んだ圧力に、勢いをつけて入り込んできた。
「くそ、こいつ!」
ネイサンが矢を放ったが、額に当たったそれは弾かれた。ガアァ!と咆哮を上げて鋭い歯の並ぶ口を開けて威嚇する。ケントが槍を首に突き立てたが、穂先が半ば食い込んだだけで、首を振って振り払われた。
と、その後ろから獣の姿の魔物や傀儡兵も次々と入り込み始めた。
「結界はどうしたんだ!」
クリフが傀儡兵を切り払いながら叫ぶ。大きな黒犬のようなものがその脇を駆け抜けていった。
エクトルは、結界がもう形だけになったことに気が付いて、見張り台を飛び降りた。
『つっかい棒が折れかかっておるぞ』
教会に走る。何事があったのか? 先に教会の中に侵入されたとは考え難かった。
「エクトル!」
教会の近く来ると、走ってくる小さな人影が叫んだ。
「アルマ! 伏せろ!」
はっとしたように立ちすくんだアルマは、頭を抱えて座り込んだ。その上をエクトルの剣が薙ぎ払った。
恐る恐る立ち上がったアルマの両脇に、真っ二つになった黒い獣の体があった。
「どうした?」
「クレアのお母さんが」
エクトルはアルマの体を抱き寄せると、近づいてきた傀儡兵を切り払った。そしてそのままアルマを小脇に抱えて走り出した。走りつつ、傀儡兵や黒い獣を切り払う。
教会の手前に来ると、黒い魔獣に組み伏せられた者が両手で持った槍の柄で、魔獣の顎を避けようともがいている。傍にはもう一人血を流して倒れていた。
「おじいちゃん!」
走り寄ったエクトルが、魔獣の頭を切り落とした。
「大丈夫か?」
「おお。アルマ、無事じゃったか」
荒い息を吐きながら、村長はアルマを抱きしめた。
「取り合えず、中に入るんだ」
エクトルは二人を促して、側に倒れている男を抱き上げて教会に入ると、椅子に横たえた。
「村長。その男の傷にこれを」
青い小瓶を渡す。祭壇に向いたエクトルの目に、椅子に座るシリルに覆いかぶさるように白い姿が見えた。呆然とする子供が二人。異変に気付いて部屋を出てきたコリンが妹を背中にして立っている。その後ろに、二人の修道女が座り込んでシルビアを見ていた。
「なんじゃ、どうしたんじゃ?」
傷ついた男の傍で、村長が声を上げた。座り込んでいたケイシーが振り返った。
駆け寄ったエクトルはシルビアをシリルから引き離そうとしたが、思いのほか強い力で締め付けている。
『この女、中に蟲を飼っておるぞ』
”影”の声。エクトルはシルビアの腹に異物を見つけ、そこに掌底で強く衝撃を与えた。シルビアは、うっ、と呻くと、シリルから手を放し、体を仰け反らせた。その腹から何かが動いて上がり、逸らした胸を通って細い喉が張り裂けるかと思うほど膨れると、口から白い虫のようなものが這い出てきた。それは床に落ち、もぞもぞと蠢いた。エクトルはそれを剣先で刺し貫いた。虫のようなものは、黒ずんで動かなくなった。
『ふん。魔物の幼生じゃな。成長しておれば、この女と一つになっておっただろう』
白目を剥いて痙攣しているシルビアを床に横たえ、振り返ってシリルの額に手を当てた。
「しっかりしろ!」
はっとしたように目覚めると、げほげほとせき込んで、エクトルを見上げた。首には赤い指の跡が付いている。
「もうしばらく、耐えてくれ。ここの人たちの命運はお前に掛かっているんだ」
涙目になって震えているシリルは、ゆっくりと頷いた。杖を両手で握りなおす。結界がまた力を取り戻したことをエクトルは感じた。
エクトルはシリルの肩を叩くと、シルビアを抱き上げて長椅子へ運んだ。兄妹が駆け寄ってくる。呆然としている修道女にエクトルは液体の入った小瓶を渡した。
「これをこの母親に飲ませてやってくれ」
そうして、心配そうに見るコリンの頭を撫でるとエクトルは立ち上がった。コリンは母の姿を見せないように妹の頭を胸に抱いてじっと立っていたのだった。
「エクトル」
アルマが駆け寄ってきた。
「もう大丈夫だ。今は、この教会からは出るんじゃないぞ。いいな?」
「うん!」
アルマは力強く頷いた。
***
地龍は尻尾を振り回して石造りの民家の壁さえ打ち壊した。容易に近づけない。
「このやろう!」
クリフが隙をみて走りこんで前足の根本あたりに深々と剣を突き刺した。抜くことは出来ず、剣を離したクリフに、避ける間もないほど素早く首を振った地龍が、その顎にクリフを捉えていた。
「クリフ!」
ケントが叫ぶ。クリフの胸から上に噛みついた地龍が左右に首を振る。ケントがその喉元へ槍を突き立てた。苦し気に口を開けた地龍がクリフを地面に落とした。駆け寄ったケントが腕を引きずって引き離そうとするが、焦りからか足を滑らせて上手く進まない。地龍が二人に顔を向ける。
口を開きかけた地龍が、ガグヮッと詰まったような鳴声を上げた。ネイサンの矢が右目に突き刺さっていた。
エルミラは、鐘楼の上で、緩んだ結界に入り込んで自分に向かって飛んでくる魔物を剣で薙ぎ払いながら結界の形をどうにか維持しようとしていたが、不意にそれが力を取り戻したことに気付いた。
鐘楼の上の避雷針に結び付けた杖を見ていたエルミラだったが、鐘楼から教会の屋根に飛び降りると、屋根伝いに南側の広場へ向かった。
広間では、人の四、五倍はありそうな地龍が、首をもたげてケントとネイサンを威嚇している。ケントの後ろに横たわるクリフは動かない。
「ケント、クリフを連れて教会へ行け!」
言いながら赤い小瓶を投げ渡した。エルミラは広間へ降り立つと、地龍との間合いを詰める。
ケントがクリフの歯型の傷口に薬を振りかけた。クリフが苦し気に呻く。
「しっかりしろ!」
クリフを背負ってケントが立ち上がった。
「早く行け!」
エルミラが怒鳴る。
「少し注意を引き付けてくれるか」
教会へ向かって走りだしたケントを見届けてると、エルミラがネイサンに言った。
「やってみる」
矢をつがえて、口の中で呪文を唱えると、ヒョウ、と放った。地龍の額に当たると、パンッ! と弾ける様に赤く輝いた。
ゲエェ!と地龍が呻く。エルミラが一気に走り寄った。
地龍は呻きながらも、サッと首を横に振った。ガチンッ!と噛み合わさった顎は、エルミラを捉えたかにみえた。しかし、それは空を噛んでいた。
エルミラの剣が一閃し、バサッ、っと切り裂く音。叫び声も上げず、地龍が横ざまに倒れた。半分外れかかった首が切り口を下に頭が上を向いている。
ネイサンは矢をつがえた弓を下ろして、呆然としたようにエルミラを見つめた。
***
教会を出たエクトルは、傀儡兵に囲まれてへっぴり腰で槍を突き出している村人達へ駆け寄ると、周りの傀儡兵を切り払った。
「けが人は教会へつれていけ!」
言い捨てて、さらに走る。魔物を切り伏せながら石門へ向かう。石門の方から、カイルが走ってくるのが見えた。
「旦那! 来てくれ!」
合流して、カイルの後を追って走る。
「うわ、なんだ! くそ」
空から二人に襲い掛かる魔物たち。カラスの様に黒く、素早い。カイルの剣が空を切る。
エクトルは立ち止まって身構え、魔物を引き付ける。くるりと回転しながら剣を振るうと、切り捨てられた魔物が三匹、足元に落ちた。
「すげえ……」
カイルは目を丸くしてエクトルを見つめた。
「ゆくぞ」
「あ、お、おう」
石門に辿り着くと、カイルが外を指さした。
「ありゃあ、何だ?」
地鳴りのような音が響き、道の向こうからこちらへ向かってくるものがあった。二本足で歩く姿は人の様だったが、遥かに巨大だった。それが星明りだけの夜の闇に、浮かび上がっている。それが街道を見るに三体、進んでくる。
昨日の昼に聞いた、地響きをエクトルは思い出した。
――こいつだったのか?
「ゴーレムだ」
「ゴーレム?」
次第にゴーレムは近づいてくる。石門の倍はありそうな大きさだった。
「大砲は打てるか?」とエクトル。
「今準備中だ!」
リュカが怒鳴った。準備はしていたが、事前に試し打ちもしていない旧式の大砲と魔法弾の装填に思いのほか手間取っていた。
「もうぶつかっちまうぞ!」
カイルが叫び、石門の上の見張り台に居た者が慌てて飛び降りる。その時、ドンッ、と身体に響く音が夜にこだました。
ガラガラッっと石が崩れ落ちるような音。大砲の音に横を向いたカイルとエクトルが前を向くと、石門に近づいたゴーレムの右肩が砕け散って、右腕が転がり落ちていた。
「やった!」
カイルが叫ぶ。ゴーレムは後ろに体を逸らし、よろめいたが、また進み始めた。
「まだだ」
エクトルが見張り台に上る。
『額の紋章だ』
”影”の声。
「分っている」
エクトルは見張り台から跳躍すると、ゴーレムの左肩に飛び乗った。近づくと、ゴーレムは煉瓦のようなものが寄り集まって出来ている。頭に手をかけ、額の白い紋章に剣を突き立てた。はめ込まれた紋章が砕けた。
しかし、ゴーレムは動きを止めない。
『まだ、その下じゃ』
もう一度、同じ場所へ剣を突き立てた。剣先に砕いた感触があった。ゴーレムは見張り台に手を掛けたところで動きを止めた。そして座り込むように足から崩れ落ちて行った。
「まだ来るぞ! 今度は頭を狙え!」
エクトルが叫ぶ。
「言われなくとも、やっとるわい!」
リュカが応じた。
カイルが耳を塞ぐ。また、ドンッという音がこだました。今度はゴーレムの頭を打ち抜いていた。前のめりに倒れるゴーレム。地面に体を叩きつけるようにして崩れ去った。
「あと一体!」
カイルが調子よく言う。
「こっちもあと一発だ!」
砲身を冷やす間もなく三発目。装填を終えると、先の二体より後ろを歩くゴーレムに向けて、リュカが最後の魔法弾を撃った。発射音とともに、光の航跡が放物線を描いて、的を過たず、ゴーレムの頭を打ち砕いた。
「すげえ、さすがは魔法弾だ!」
カイルが小躍りする。
「もうこいつは使えねえな。まあ、もう弾もねえが」
リュカが発熱してひびの入った砲身を見て言った。カイルや村人は石門を出て、崩れたゴーレムに近づいていく。
「おい、あっちにもいるぞ!」
一人が北を指さす。道から外れた峠を下から登ってくるゴーレムがいた。それは村の北側にある石壁に辿り着くと、足で蹴破って、村の中へ入った。そして建物を藪の中をかき分けるかのように崩しながら反対側へと抜けて行った。
「結界に近づかないものは放って置け」
リュカが諦めたようにそう言った。
そのころには、もうだいぶ魔物の数も少なくなっていた。エクトルは石壁の上を北へ向かって歩いた。見通しがきくところまで歩くと、北東を見やった。今は星降峠のある尾根の向こうの、東寄りの別の尾根に黒い雲が取り付いて、そこを乗り越えようとしている。その雲は尾根の南側から北側の果てまで続いて見えた。
――これほどの数の魔物が向かうとしたら、いかに帝都と言えど、無事では……
遠い昔の魔王との闘いの後に造られ、三重の結界に守られているという、帝都でも防ぎきれるかどうか。いや、帝都は無事だったとしても、周りの町や村はただではすまないだろう。