5.貴族と修道士
エクトルはアルマをトンブに乗せると、山道を下りにかかった。道は暫く下ると、また登りになり、星降峠の峠道と交差する尾根伝いの道に続いていた。登りにかかった頃から、次第に霧が出始め、視界が悪くなる。
「なんだ?」
遠くの方で、地響きのような音と、何かが崩れ落ちるような物音がしていた。それに混じって何か、引きずるように動く音がしていたが、それは次第に遠ざかって行った。崖崩れでも起きたようだった。
気を取り直して草に覆われた獣道のような山道を登ると、尾根道に辿り着いた。舗装はされていないが、踏み固められた平らな道が、丈の低い木の間を緩やかに登りながら続いている。霧で視界は良くなかった。
「この先ずっといったら、もう村につくよ」
アルマが嬉しそうに言う。エクトルはこれまで坂を登り続けていたトンブをゆっくりと歩かせた。
木も疎らにになり、草原のようになった尾根を道は続く。道の左手、西の方から吹く風に乗った雲が山にぶつかり、尾根を越えて滝のように流れていく中を進んでいた。霧の中に時折覗く太陽は西に傾きかけていたが、日暮れまでにまだだいぶ間があった。
休息のため、道の脇にとまって水を飲んでいると、後ろから、シャンシャンと鈴の音と、車輪と蹄の音。近づくとそれは、二頭立ての幌馬車だった。御者はエクトル達を見留めると、速度を落とし、その傍に留まった。
「なんだね、それは、鳥なのか?」
「ああ。ノルティアでは珍しいものでもない」
「あんた、ノルティアから来たのか。ああ、そうだ、向こうへ向かうなら、通れないぞ。道が崩れていた。ノーヴェや首都に向かうにも、峠を越えるしかない。遠回りになるがな」
御者は後ろを指さしながら言う。
「親切にどうも。俺たちは北へ、星降峠まで行くんだ」
「そうか。こっちもどうしたもんだか。峠に戻って迂回してると日が暮れちまうし。旦那、どうしやす?」
御者が後ろを振り返って、幌馬車の中に向かって言った。顔を出したのは、修道士姿の若い男だった。
「魔物の群れの話もある。なるべく南へ下りたいんだが……。奥様の具合もあるしな。どうしたものか」
そう言って考え込む男の脇から、金髪の頭が覗いた。アルマと同じくらいの年の女の子が、トンブを物珍しそうな顔で見ている。服は高価そうな青い裾飾りのついたドレス。
「それなら、村に泊まってやり過ごすか、道中夜中に出くわすかだな」
エクトルが言った。
「あの村は、魔物を防げるのか?」
「その馬車で魔物の群れに襲われるよりはましだと思うが」
「そうするしかないか……」
エクトルの言葉を、男もしぶしぶ認めた。
「クレア」
馬車の少女の横にもう一人、これも金髪の少年が顔を出した。利発そうな顔を少し顰めている。
「お兄様、見て、大きな鳥!」
「分ったから、戻って」
クレアと呼ばれた少女はええ、と残念そうな顔をしたが、兄に従って幌の中に戻った。アルマはそれを面白そうに見ていた。
御者が手綱を取ると馬車はエクトル達の脇を抜けて行った。
「さて、俺たちも行くか」
馬車の後ろを付いていくように、エクトルはトンブを走らせた。今度は馬車の後ろからクレアの顔が覗いた。すると、また兄にたしなめられたのか、顔をひっこめる。アルマはそれを見て嬉しそうに笑った。
尾根道を登り切った所で、道の向こうに、霧に霞んだ村が見えてきた。ひときわ高い、村には似つかわしくない鐘楼のある教会も見える。ここからは緩やかな下りで、尾根道は、村で峠道と交差していた。真っ直ぐ村に向かう。村の入口は石造りの門で、昔は城塞都市だったのだろう、ところどころ崩れているのか、高さが不揃いだったが、石の壁がぐるりと村を囲っていた。
「もどったのか? 何かあったのか?」
「この先の道が崩れてて……」
石門の脇には、槍を持った男が二人。その一人が御者と話をしている。兵士の様には見えない。村人が急ごしらえの武装をしているといった風情だった。
「あれ、アルマじゃないか。どうしたんだ?」
もう一人が、トンブの上のアルマを見て驚いている。
「おじいちゃんは?」
「村長なら教会の方だが……」
馬車と一緒にエクトル達も中に入った。馬車と見慣れない大きな鳥に、村人が振り返る。エクトルは村の中央にある教会の手前でトンブを止めた。アルマが自分から降りようとするのを、手伝って下ろしてやると、教会の中へ駈け込んでいった。
「おじいちゃん!」
「アルマ? どうしたんだ?」
抱き着いたアルマに困惑した様子で白髪頭の老人は尋ねた。
「南の宿場町まで行って、賞金稼ぎの人連れてきた」
アルマが振り返って、エクトルを見る。
「南の? どうしてそんな」
老人もアルマの視線の先のエクトルを見つめた。
「ほお、助っ人が来たか。おや。その額の宝石は、ノルティアの方かな?」
教会の中から声がして、背の高い女が現れた。黒髪を後ろに束ね、剣士風の黒装束。黒い目の整った顔は、美しいというよりは凛々しいといった感じだ。
「ああ。あんたは?」
「私は、エルミラという。傭兵隊の隊長だ。訳あってこの村を警護することになった」
「俺はエクトル。賞金稼ぎだ」
エルミラとエクトルは握手を交わした。エルミラはおや、と一瞬訝し気な顔になったが直ぐに笑顔になった。
「村長。中に入って貰っても構わないかな。そちらの方々も」
エルミラは、馬車を降りた一行へ手を差し伸べた。修道士の若い男に、クレアと呼ばれた少女と、その兄、緑のドレスの二人の母親と思わる若い貴婦人。婦人の美しい顔は馬車に酔ったか疲れからか蒼白だった。
「ああ。失礼いたしました。どうぞこちらへ」
修道士が婦人の手を取って階段を上がる。兄妹の兄もその後に続いたが、妹は草をついばんでいるトンブに駆けよっていた。
「トンブっていうのよ。モアっていう種類の鳥なんだって」
クレアの隣にアルマが立って、エクトルの受け売りをしている。ゆっくりとトンブの和毛を撫でた。
「あ、柔らかい」
クレアも真似して撫でる。
「クレア!」
クレアの兄が怒った顔で近づくとクレアの手を取ってトンブの元から引き離すとそのまま教会の中へ入って行った。
エクトルとエルミラはその様子を笑って見ていたが、エルミラがエクトルを促して中へ入って行った。
***
「さて、集まって貰ったのは、この村の現状を説明したいためだが、宜しいかな」
教会の一室。応接室として使われている場所に主だった人が集まっていた。
村長、エルミラとその部下のリュカ、クリフ、ケント、カイルという四人の男。初めて顔を合わせるエクトルにエルミラが紹介する。
リュカは頭の禿げあがった年配の魔道士で、他の三人は剣士だった。エルミラ自身は魔導剣士だった。魔導剣士というものには特に決まりがあるわけでなく、剣を扱える魔導士だったり、魔法が使える剣士だったりした。エルミラは前者で、エクトルは後者だった。
この村に住む老魔導士のネイサン。修道女のケイシー。もう一人若い修道女がいたが、今は魔物の襲来に備えて教会に集められた人々の世話をしていた。この教会は司祭クラスの者が治めることになっていたが、前任者が退任してからまだ後任は来ていなかった。
他に、馬車に乗ってやって来た、修道士のシリル。まだ若く二十歳になったばかりだったが、一位の位階という、優秀な修道士らしかった。
この世界、テランでは、太陽神ラール、その妻である地母神テラン、ラールの妹、月の女神マリソル、テランの双子の弟、冥王イルフが主要な神であり、ラールとテランを同格とした星皇教が生まれた。これは今でもノルティアとオリントで信奉されているが、ノルティアとオリントでは教義に違いがあった。
帝国領内、ボレアスでは、太陽神ラールを主神とした星皇正教が国教となっていた。
星皇正教会は、法王を頂点とし、教候、司教、司祭、修道士・修道女(一位~三位)という位階になっていた。星皇正教会では、女は司祭以上の地位には就けなかった。
法王は皇帝となるものにその地位を授け、皇帝は、ラールの血を引くものとして、ボレアスの大地を支配することを許されているとされていた。
太陽神ラールの妹であったはずの女神マリソルは、単に月の女神という扱いで、教典でもほとんど触れられていなかった。ラール以外の神は、その配下の者、と言っても良い扱いとなっていた。
一同は、エルミラがテーブルに広げた地図を見ている。
「この峠は、昔の街道が通っていて、すぐ北のマイア公国との国境も近い。昔の街道は帝都まで割合に直線的に向かっているものが多い。峠越えも多くなるわけだが、この旧街道は西から東へ向かう街道となっている。ちょうど、魔王の軍勢とやらが進む進路上にあるというわけだ」
エルミラの言葉に村長がうなった。
「我々は本来もっと西の、ウェズとの境にある砦へ行く予定だったのだが、そこはもう魔物の群れが通過していた。私たちが合流するはずだった守備隊の増援はここより北東のアプロス公国との国境に移動した。で、我々はなるべくその手前で阻止せよとのお達しで、ここに留まることになったわけだ」
エルミラが笑いを浮かべる。
「それにしては、人数が少なくはないか?」
エクトルが尋ねた。
「大方が有象無象の傭兵だからな。貰える金と釣り合わないと思ったものは、どこぞへ消えて行った」
そんな状況で残っているのは、よほどのお人よしなのだろう、とエクトルは思ったが口にはださなかった。自分のことを言うようなものだった。
「そういえばエクトル、貴方は報酬をどこから貰うつもりだ?」
「ここに来てから決めるつもりだったが、当てはない」
「変わった人だな。それなら、私の配下ということにしてはどうか。少ないが、多少は出せるぞ。逃げたやつが多いからな」
「それは有り難い」
この会話を他の者は呆れた顔で聞いていた。
「さて。魔王の軍勢、魔軍とでもいうか、それは今、ウェズからクインとユノーの国境を越えて、二つの公国の国境線沿いをさらにマイア、セクストの国境線に向けて進んでいるようだ。予想では、ここを通過するのは今夜だろう。帝都のあるマルテ国境には、五日後の夜には到達するだろう」
「そんなに早いのか? 一日に五十リーギュ(1リーギュ≒7km)も進むってのか」
魔導士のネイサンが誰にともなく声を上げた。
「やつらは休息というものを知らぬからな。力尽きた者は放っておいて先へ先へと進むだけだ」
束の間、沈黙が部屋に満ちた。ケイシーは先ほどから両手を祈るように組んでいた。
「魔物とは、どんな奴らだ?どれほどの、群れがここを通過する?」
村長の疑問は皆の疑問でもあった。
「私は見たわけではない。目撃したという者の話では、”黒雲”のようだったと。嵐のような黒い雲が近づいて、それが近づくと、羽虫のようなものから蝙蝠のようなもの、飛竜もいれば、地上には獣の群れに地龍も混ざっていたとか」
エルミラにしてみれば、幾分誇張も交じっているだろうとは思っていた。
「どうすればいいんだ? そんなものをこの村では防ぎようがないぞ」
村長が苦痛に歪んだ顔で言った。
「それについては、一計がある。ちょうど、この二人が村に来てくれて助かったよ」
エルミラがエクトルとシリルを見つめた。