2.北の村から来た少女
「ん、なんだこのガキは?」
「ぼうず、子供が一人で来るところじゃないぞー。ここは。大人の社交場だからな」
「わははっ」
入り口近くのテーブルに着いている男達が何やら話している言葉がエクトルの耳に入った。見ると、みすぼらしいマントに長靴の小柄な後ろ姿が目に入った。頭には、元は赤かったものが黒くなったようなフェルトの帽子を目深に被っている。
「賞金稼ぎの人がいるってきいて……」
両手を前に組んでかすれ声でぼそぼそと話す。
「あぁ? 賞金稼ぎになんか用なのか?」
「きょ、教会に行ったら、魔導士はみんな出払ってていないって。魔物を退治したいなら賞金稼ぎにたのめって。言われて……。どこにいるか聞いたら、ここに行けって」
魔導士が居ないからと言って、教会の者が子供に酒場に行けとは言わないだろうが、この子供は町の誰かからそう言われて来たのかもしれなかった。
「ここにいる連中は大抵賞金稼ぎだ。俺もな。何のようだ? あ?」
酔って赤ら顔の一人が子供に顔を近づける。子供は一歩後ろに引いた。
「私の村が、魔物におそわれそうだって。とってもいっぱい来るって。おじいちゃんが言ってた」
「魔物だぁ? どこの村だよ?」
「ずっと北の方の、星降峠」
「ほしふり峠? 聞いたことねえな?」
「ああ、マイア公国との国境沿いにある峠の村だな。昔の街道が通ってるところだ」
奥に座った年嵩らしい一人が髭をねじりながら口にした。
「ふーん。で、その村はガキを使いに出したのか。で、いくらで雇うって言うんだ?」
赤ら顔の若い男が子供の顔を覗くように言う。
「え」
「村は魔物を退治して貰いたいんだろう? 賞金稼ぎっていうくらいだからな。俺らは金で雇われるんだ。金を貰って仕事をするわけよ。魔物退治とかな? あ?」
酒臭い息を吹きかけられて子供はまた後ろに下がった。
「私、お金持ってない……」
「金が無えなら雇えねえなぁ」
男は笑って子供の帽子を鷲づかみに持ち上げた。赤い、高く巻き上げられた髪が現れた。
「あれ、こいつ、女だ」
ぽかんと呆れた顔で男はいうと、にやけた顔になった。
「こいつを売り飛ばして金にしろってことかな。もしかして」
男は少女の手を掴むと前に引き寄せた。酒臭い息に少女はそばかすの浮いた顔を背けた。
「それなら、仕事は引き受けるのか?」
不意に降ってきた声に男は顔を上げた。マント姿の銀髪の男が立っていた。額に青い宝石がきらりと光っている。
「なんだよ、お前は?」
酔った目でエクトルを見ていた男は、身をよじっている少女へ視線を移した。
「このガキ一人の値じゃぁ、魔物退治にはちと足りないかもな?」
そう言って下卑た笑いを上げると、テーブルに着いていた者たちからも笑い声が上がった。
「強欲だな。俺が引き受けよう」
「はあ?」
エクトルは少女を掴んでいた男の手を捩じ上げて離した。
「っ痛えな! なにすんだ!」
立ち上がろうとした男は、首筋に金属の冷たい感触を覚え、動きが止まった。その横の男は椅子に掛けていた剣を抜こうとしたが、柄を足で抑えられてることに気が付いた。騒ぎに気付いた周りの者たちは緊張した面持ちと迷惑そうな顔でこちらを窺っている。
「俺が代わりに引き受けてやろうと言っているんだが、文句は無いよな?」
奥の男を目で制しながら、静かにエクトルは言った。髭の男は、エクトルの紫色の目を見つめながら、懐に伸ばしかけた手を止めた。
「異存は無いようだな」
エクトルは剣を突きつけた男が目で追う間もなく剣を鞘に納めて、男の手からフェルトの帽子を取ると、少女の頭に被せた。
「君の依頼は俺が引き受けた。いいか?」
少女は突然の成り行きに何も言えずにエクトルの顔を見つめていた。その手を引くとエクトルはカウンターへ向かった。
「もめ事はごめんだぞ」
酒代を受け取った店主は渋い顔でそう言った。
「その子、どうするんだ? あんた、人買いじゃあないよな?」
「この子の村へ、魔物の討伐に向かう。依頼主だからな」
店主は物好きな、と口の中で呟いて手元に視線を落とした。
「親父、これから泊まれるような宿はあるか?」
エクトルは店主のつぶやきを無視して訊ねた。
「今から探すんじゃ、ここいらの宿は埋まってるんじゃないか。首都へ向かう兵隊が貸し切ったらしいからな」
「貸し部屋でもないか?」
「それなら、この先を行ったところに雑貨を扱ってる店があるが、たしか、貸し部屋もあったはずだ」
「これから行っても大丈夫なのか?」
「それはお前さんの交渉次第だな」
エクトルは少女の手を引くと睨みつける男たちの席を横目で見ながら店を出た。日は疾うに暮れて、空には星が浮かんでいた。
「私を、売りに行くの?」
少女の思わぬ言葉に、エクトルは笑い声を上げた。
「報酬は君の村に行ってから考えるさ」
エクトルの言葉に、少女はほっとした様子だった。
「名前を聞いてなかったな。俺はエクトル。賞金稼ぎだ。君は?」
「アルマ」
道すがらエクトルはアルマからここまでやって来た道のりを聞いた。星降峠から、峠を下って、鉱山町まで村の者たちと歩いたこと。そこの教会の共同宿泊所に泊ったこと。そこからここまでは独りで向かい、途中、荷馬車に乗せてもらって、夕方頃にこの町に着いたということだった。アルマの話では、村から賞金稼ぎを雇ってくるように頼まれたわけでは無く、祖父が魔物の襲来に備えて避難させたらしいが、祖父や村のことを思って魔物を退治てくれる者を探しに行こうと自分で行動したらしい。アルマは早くに親を疫病で亡くし、祖父と暮らしているらしかった。今年で八つになるということだった。
「どこも、首都のぼうえいに行ってて人手が足りないんだって」
酒場で魔物の群れが帝都へ向けて進んでいるという話は聞いていたし、エクトルもこの町に着くまでに東に向けて進んでいく兵士とすれ違うことも多かった。
魔物の群れが東へ、北東にある帝都へ向かっていると言うのは、本当の事なのだろう。
帝都は、帝国の北部四公国(ユノー、マイア、アプロス、マルテ)のうち、一番東にある、マルテ公国の中心都市でもあった。セクスト公国は中部にある四公国(クイン、セクスト、セプトン、オクタル)のうち、西から二番目にある。南には、西からノーヴェ、デシム、ジェイニ、フェイブの四公国が連なっている。
魔王の軍勢は、ウェズと接しているユノー、クイン、ノーヴェの国境のうち、ユノーとクインの国境を越えて、帝国の北東にあるマルテを目指しているものと思われた。
この町は、その進路からは南にずれているらしく、防備を固めるということもなく、むしろ人手を割いて、ここセクスト公国の首都の防衛に向かわせているのだった。それと言うのも帝国領内の十二の公国から帝都及び魔物の群れの進路上にある国境と主要都市の防衛のための招集があったためである。
エクトルのような一匹狼はいざ知らず、魔王の討伐隊に加わったような組織化された民間の傭兵部隊は軒並み呼集を受けていた。
賞金稼ぎと一般に言われている者たちは、形式上は傭兵扱いだった。帝国や各公国の軍部と契約し、その元で働くのが一般の傭兵で、教会が魔物退治のために許可証を与え、成果に応じて報酬を支払うものが賞金稼ぎと呼ばれていた。いわば教会所属の傭兵だ。それが許可証があれば教会でなくとも依頼を受けて報酬を受け取ることも黙認され、それも次第に慣習と化していった。
許可を受けるにしても、厳正な審査などは形骸化し、すでに賞金稼ぎとして働いている者からの口利きがあれば幾ばくかの金を支払って手に入れることも出来るようになっていた。エクトルのような帝国外からきた外国人が就ける職業としては、腕に自信があれば危険だが手っ取り早いものでもあったし、その許可証は身分証明書の役割も果たしていた。
許可証は帝国ではよく用いられている手のひら位のサイズの長方形の金属片で、教会の刻印と傭兵として採用する旨の文言、認可を受けた者の名前や出身地が刻まれていた。それと同時に魔術による押印もあり、偽造するほうが高価だと言われる代物でもあった。
「ここらしいな」
天秤と黒猫の描かれた木の看板。薬も扱っているのか、そう思いつつエクトルは扉を叩いた。この店の向こうは細い通りを隔てて、少し街並みが異なっていた。暗い路地。赤やオレンジのランプの明かりが浮かぶほの暗い通りだった。
「はい」
横の覗き窓に人の気配がしたあと、返事があって、薄く、扉が開いた。髪の長い若い女の顔が覗く。
「こちらは、部屋も貸してもらえると聞いた来たんだが、一晩泊めてもらえないだろうか?」
「お二人ですか?」
「ああ」
女はエクトルとアルマを交互に見ると、扉を広げた。
「取り合えず中へどうぞ」
エクトルは扉を開けた女の左腕に鉄の腕輪を認めた。女はエクトルの視線に気づいたかのように、左の手首を右手で抑える様にして歩く。エクトルの後にアルマも続いた。部屋はランプの明かりが思いのほか明るかった。
「俺とこの子二人、今夜一晩だけ泊めてもらいたい」
「主人が不在ですので、お泊りでしたら、旅券をお見せいただけないでしょうか」
入り口を入った横のカウンターに立った女が言った。茶色の髪に鳶色の瞳の整ってはいるが、地味な顔立ちの女だった。エクトルはその口調に少し緊張を感じた。許可を受けた正式な宿屋ならそういったものを確認するのはおかしなことでは無かったが、普通は省略されることが多い。
エクトルは黙って腰のポーチから木札のような旅券を出して渡した。セクスト公国内の移動を認めるものだった。女は手元にもランプを出して旅券を見ている。正式なものなら、魔術の心得のあるものに見える押印があった。
「ありがとうございます」
女は旅券をエクトルに返した。花街の外れにある宿に子供連れでくる賞金稼ぎ風情の男など、さぞ怪しげに見えることだろうとはエクトルも思っていた。
「飯はあるかな?」
「スープとパンだけならお出しできますけど」
「それでいい」
「それでは、こちらにお名前を」
女が宿帳をだしてページを広げた。エクトルがアルマと二人分名前を記した。
「私はノーラと申します。ご用がありましたらお申し付けください」
ノーラは小物の置かれた店の横にある階段から二人を二階の部屋へ案内した。エクトルが横目にみた店には薬や香水らしき小瓶やショールやハンカチと言った、女物の小物が多く並べられているようだった。
「こちらです。食事は下でお出しします」
階段を上がった手前の部屋で、ベッドが二つ。ベッドの間に丸テーブルと椅子が二脚。ドアの向かいの壁に大きめの窓があり、板戸は閉じていた。他にもう一つ部屋があったが、人の気配は無かった。
「食事の前に、この子を風呂に入れてやってくれ」
エクトルは銀貨を一枚ノーラに渡した。アルマがエクトルを見上げる。
「食事の支度が遅れますけど」
「かまわん。ここで待っている」
ノーラはアルマを連れて階下へ降りて行った。エクトルは荷物を置き、マントや剣を外した。板戸を片方開けて、窓から夜気を入れる。新月の近い夜。向かいの家の上に星が煌めいていた。
――女神マリソルの加護無き夜か。
月の無い夜の空に、エクトルは心の中で呟いた。