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星降峠の防衛戦  作者: Rebotco
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1.魔王討伐

 窓から見える山の嶺に夕日が最後の日差しを紅く残し、消えゆく灯の様に、それも次第に細く、頂を残すのみとなっていた。

 エクトルはあまり旨くもない麦酒を一口飲むと、遠くの景色から店の中へ視線を移した。一瞬、窓に銀髪の自分の姿が映る。

 谷あいにある街道の宿場町の酒場は、もう宵闇の中にのまれていて、明かりと酒をあおる者たちの声が通りに漏れ出ていた。

 バン! と、不意に入口の扉が大きく開かれた。

 店の扉を勢い込んで開けて男が入ってきた。静かに飲んでいた者も、仲間内で談笑していた者たちも、あからさまに、あるいはさりげなく、その男に目をやった。慌てた様子の男は、腰に剣を差した剣士風。賞金稼ぎといった風体だった。汗をかき、きょろきょろと見知ったものは居ないかと酒場を見回しているようだ。

「あ、おおい、聞いたか!」

 店の中ほどのテーブルを囲んでいた三人の男たちに駆けるように近づく。

「魔王が討伐されたってのは、本当なのか?」

 ざわついていた店が、男の言葉を待っていたかのように、一瞬、静まったかのようだった。が。

「けっ。なんだよ」

「どこの田舎もんだ」 

 問いかけられたわけでもない者たちまで、悪態をつき、舌打ちをする。酒場は急に白けた雰囲気になった。

「おまえ、知らなかったのか?」

 剣士風の男に話しかけられた一人が半笑いで応じた。

「え、何がだ?」

「その話は、もう十日は前に噂になってたぞ」

「え、そうなのか? いや、おれは北の森に魔物狩りに行ってて、今帰ったところなんだ。本当なのか?」

「ああ。この町の教会でも布告が出た。魔王が討伐されたってな」

 もう、入ってきた男を見やる者もなく、興味を失った者達は、再び仲間内の雑談に戻り、独りの者は静かに酒をあおっていた。

 エクトルは、自分と同じく、教会が奨励する魔物退治や、時として帝国と敵対する者たちと戦う傭兵として戦ったりすることを生業とする、賞金稼ぎ、と言われる者が多く集うこの酒場に、倦怠、とでも言うような雰囲気を感じ取っていた。

「いやでも、皇帝は南の方の守備隊を呼び戻したり、各国から兵士や魔導士まで募って帝都の防衛に当たらせているって話だぜ」

「魔王が斃されたからな。暴走している魔物が帝都に向かっているらしい」

「そういやあ、傭兵の招集に応じた連中はもう見なくなったな」

 近くで噂話をする者達。千年振りに現れた魔王という、凶兆であるにも関わらず、伝説の存在は人々、特に傭兵や賞金稼ぎなどを生業とする者達には、血沸き肉躍る冒険の始まりを告げるようなものであったに違いない。たとえそれが、自分が一切かかわることもない、魔王の討伐隊への憧憬のようなものであったとしても。 


 魔王討伐。下々の者には、それが行われていたことも知らされず、人知れず行われ、人知れず終わっていた出来事に、人々は戸惑い、あるいは、呆れていた。魔王なぞ、本当に居たのか? そう言う者さえいたが、教会や帝国が公にしたことに異を唱えるのは憚られた。

 そもそも、魔王とは、何者なのか。

 人の住む三つの大陸うち、北の広大なボレアスに、大陸と同じ名の帝国が築かれて約五千年。その間、魔王と呼ばれるものは五度現れたと言い伝えられていた。強力な魔力を有した魔人。しもべの魔物を使役して、人々に仇なす者。現れるのも、ボレアス大陸の西の端、夏でも雪の消えることのないリュクス山脈の向こう側にある辺境の地、ウェズと神話や伝承では決まっていた。帝国に従わない辺境の蛮族から現れるとされ、一説には、帝国に反旗を翻したものの、劣勢を挽回すべく魔の力に頼った者の末路とも言われていた。

 その魔王が、伝承どおりに、辺境の地、ウェズに約千年振りに現れたという噂が飛び交ったのが一年程前。その前年に第九十八代皇帝エイロン八世が崩御し、後継者が決まらず、皇帝不在という異例の事態の隙を突いたかのようだった。

 国政はエイロン八世の従兄で宰相のオーブリー公が担い、皇帝不在の帝国を治めていた。その手腕もあって、皇帝が病に臥した頃から次期皇帝に推すものも居た。ただ、長命な皇帝の一族にあっても、齢八十を過ぎて皇帝になったものは居らず、オーブリー公も皇帝への推挙を辞したと言われていた。

 エイロン八世の若くして亡くなった長男のバート候は正室との間には女子が一人、三人の側室に男子一名と他に女子二名を儲けていた。

 そのうち孫で唯一の男子、バート候の後を継いだサイラス候が皇帝の後継ぎとしても考える者が多かった。

 そんな若輩のサイラスよりは、と、マイア公国領主でサイラスの従兄にあたるイニール公も候補として名が挙がっていた。こちらは品行方正、誠実な人物と評されていたが、それ以外に取柄も無い、と陰口を叩くものもいた。

 その他、バート候の長女で正室との間の子であるカミラの夫、ダドリー候を挙げるものも居たが、男であったら間違いなく皇帝となったであろうと言われるカミラに比べて影の薄い人物だった。

 そんなごたごたが、サイラス候が皇帝となり、オーブリー公が宰相としてそれを支えるという形に収まったのは半年前。悪戯に時間を費やして宮廷の権力争いや跡目争いに明け暮れていた者たちが、魔王現る、の一件で鳴りを潜めたかのようだった。


 魔王の討伐隊は、皇帝の即位後に招集されたものではなく、サイラス候が私設の部隊と傭兵や賞金稼ぎなどの荒事を生業とするもの達を集めて、即位とともに討伐に向かわせたもの達だった。他に、帝国を構成する十二の公国からサイラス候の密かな呼びかけに応じた公王達の少数の派遣軍と、さらには、ボレアス大陸の南、ノルティア大陸にある、帝国とは歴史的に繋がりも深いノルティア連邦共和国の法王からも支援をうけた、混成派遣軍も帝国辺境の地ウェズへ向かった。

 北からサイラス候の討伐隊、約五百名、南から約千名の派遣軍が魔王の居留地を急襲し、死闘の末、魔王を討ち取ったという。この戦いで派遣軍は六割、討伐隊は八割もの犠牲を出して、討伐隊の傭兵隊長ギルが魔王の首を取ったと伝えられた。魔王の名は伝わっていない。古来より、伝承された魔王の伝説にも名は無く、単に”魔王”とだけ伝わっていた。

 先に挙兵し魔王を称した者は、皇帝不在の虚を衝いたが、サイラスも皇帝としての力量を見せて、それを打ち破った。

 即位したばかりの若き皇帝の実績として申し分なく称えられるべきものだったが、今だ遠征した討伐隊も帰還せず、祝勝の雰囲気も無かった。魔王が放った”魔王軍”は、魔王が倒された後も、止まることなく進撃を続けていて、帝都は守備を固めていると噂されていた。

 その、どこかすっきりしない、もやもやとした雰囲気が、魔王が倒されたという、虚脱した酒場の空気をさらに淀んだものにしていた。


「しかし、本当に魔王を斃したのかどうか。怪しい気もするな」

「教会が布告を出したんだぞ?」

「伝説だと、帝国が滅びかけたり、数万の軍勢で何度も遠征を行ったり、数年、数十年もかかって斃したって話じゃないか。不意打ちとはいえ、傭兵ばかり、二千に満たない兵で魔王が倒せるものか?」

「復活したばかりで完全ではなかったのか。魔王が軍勢を帝都に向かわせていて手薄だったんだろう」

「新皇帝の御威光を高めるための演出って話もあるぞ」

「なんだそりゃ」

「討伐軍なんて送られて無いって話さ」

「じゃあ、魔王はまだ生きてるのか?」

「魔王なんざ、最初から居なかったんだよ」

「じゃあ、攻めて来てる魔王軍てのは」

「皇帝の相続争いで負けた方が反乱を起こしたって噂もある」

「おいおい、滅多なことをいうなよ。誰が聞いてるか分かんねえぞ」

 口さがない者たちは、噂話も酒も佳境へと入って行ったようだった。

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