金継ぎ
「これ、木鉢ですよね?」
功治は、問う。
「はい、そうです」
大きな木鉢、だ。
子供の頭ぐらいは、スポッと入り込みそうな大きさ深さ、をしている。
でも、木鉢。
陶磁器では、ない。
「木鉢に金継ぎするんですか?」
「はい、もう使わないので、金継ぎして下さい。
ちゃんとして、記念に飾っておきたいんです」
鉢は、所々に欠け、所々にヒビが入っている。
味がある風情、を通り越して、壊れる一歩手前のような佇まいを醸し出している。
「でも、材質的に、単純に金継ぎするわけには ‥ 」
「山背さんは、「国内でも有数の、金継ぎ職人さん」とお聞きしまして、
山背さんなら、『なんとかしてくれはるかな』、と」
「はあ」
功治は、ためつすがめつ、鉢を眺める。
両手で慎重に持ち、前後左右表裏を確認する。
「 ‥ う~ん。
‥ ご期待にそえるかどうか分からへんけど、
とりあえず、やってみます」
「ありがとう御座います。
お代は、山背さんの言わはる通りにお支払いします」
「お代のことは置いといて、いつまでに仕上げるんですか?」
「全然、急いでないんです。
山背さんに、お任せします」
「ほな、とりあえず、一ヶ月ほど見といてもらえますか?」
「はい。
よろしくお願いします」
『とは言ったものの ‥ 』
功治は、いつも陶磁器ばかりで、木鉢を金継ぎしたことが無い。
職人仲間に、相談する。
返事は、即答。
「いけるで」
「へっ?」
なんでも、いつもの金継ぎ工程プラス、木鉢の強度を高める【漆拭き】を、全体にほどこしたらいいらしい。
「ホンマに、簡単やな。
しかも、特別な工程がプラスされるわけでもなく、
ひと手間掛ける感じやん」
「そうそう」
功治は、職人仲間から、いい知恵を借りる。
現金なもので、『できる』と分かったら、俄然、木鉢に金継ぎを施すことにワクワクする。
「うん、これでええな」
功治は、鉢の中を水で満たして、水漏れを確認する。
水漏れは、見受けられない。
全く持って、見受けられない。
ヒビの入ったところや欠けたところは、金継ぎしている。
全体的に、漆塗りも施している。
全体的な強度は、上がっているはずだ。
いや、強度だけでなく、『作られた当初より、美しくなったのではないか』、とさえ思う。
落ち着いて光る鉢を見て、功治は満足する。
仕事が完成したので、納品しなければならない。
功治は、紙を開く。
「できましたら、ここに持って来て下さい」と渡された紙を、開く。
木鉢に金継ぎをする作業のワクワク感にすっかり囚われて、今まで紙を開いていない。
納品場所の、確認をしていない。
功治は、開いた紙を見つめ、呟く。
「これ、近くの高級住宅街やん」
功治は、鉢を風呂敷に包み、行く。
高級住宅街の中、立ち止まり紙を確認しながら、立ち止まり地図を確認しながら行く。
目的地らしき建物に、着く。
門のある和風建築で、法札に【山陰】とある。
功治は、くぐり戸をノックする。
間を置いて、先程より強く、もう一度ノックする。
「はい」
戸を開け、初老の男が顔を出す。
「山背ですが、修理した鉢をお持ちしました」
男の胡散臭そうな顔は、功治の言葉に晴れ上がる。
「奥様 ‥ 初瀬様ですか?」
「はい、そうです」
「少しお待ちになって下さい。
奥様に、お聞きして来ます」
男は、功治を中にいざない、戸を閉めて母屋へと向かう。
母屋は、立派な和風建築。
が、その佇まいは、武家屋敷というよりも、あえて言えば貴族屋敷。
貴族屋敷にしては小ぶりだが、そこはかとなく、優雅が漂う。
母屋から、男が戻って来る。
功治の元に来て、言う。
「奥様が、お会いになります。
どうぞ」
男に、いざなわれるまま、功治は進む。
構えのしっかりとした玄関を上がり、屋内へと進む。
廊下を歩み、部屋を幾つか過ぎて、奥へと進む。
てっきり、『玄関に隣接する【応接ノ間】に、通される』と思ったが、そうでもないようだ。
この奥具合からして、一家のプライベート空間に入っている。
ということは、居室か。
「ここです」
男は、部屋の前に立ち止まり、言う。
そして、さっさと、『本来、私は、ここに来れないんで』とばかりに去る。
功治は、戸惑いながらも、引き戸をノックする。
バスッバスッ ‥
もう一度、ノックする。
バスッバスッ ‥
抜けた音が、響き渡る。
一瞬、間を置いた後、部屋の中から、声が掛かる。
「どうぞ」
功治は、おずおずと、戸を引き開ける。
そこには、奥様 ‥ 初瀬が、戸を向いて座っている。
功治は、初瀬に向かって正座してお辞儀する。
一通りの挨拶が済んだ後、風呂敷に包んだ鉢を、差し出す。
「できました」
「ありがとう御座います」
初瀬は、風呂敷包みを受け取る。
風呂敷包みを解き、鉢を取り出す。
両手に持って、鉢を、ためつすがめつ見廻す。
功治は、ドキドキしながら、初瀬の仕草を見つめる。
初瀬が、一通り見終わって、口を開く。
「綺麗な丁寧な仕事ですね。
重ねて、ありがとう御座います」
功治も、ホッとして、口を開く。
「こちらこそ、ありがとう御座います。
確認しましたんで、『たとえ水を入れても、漏れない』、と思います」
初瀬は、不思議そうに小首をかしげると、眼をいたずら小僧っぽく輝かす。
「では、試してみましょう。
ちょっと、お待ちになってください」
「えっ?」
初瀬は、功治の返答をスルーして、スクッと立ち上がる。
立ち上がり、部屋を出て行く。
鉢を、持って。
功治は、訳分からす、手持無沙汰で、その場で待つ。
バスッバスッ ‥
バスッバスッ ‥
しばらくして、部屋にノックが響く。
戸惑いながらも、功治は、返事をする。
「はい」
「奥様から、「茶室まで、おいでください」、とのことです」
「はあ」
功治は、男に案内され、茶室に向かう。
苔むした土を踏まないよう、敷石の上を、慎重に歩く。
蹲踞で、手と口と心を清める。
躙口をくぐり、茶室内に入る。
茶室内は、思いの外、明るい。
採光の為か、窓が大きく取られ、日の光が充分に入って来る。
天井の簾天井が、部屋全体に、涼やかで軽やかな雰囲気を醸し出している。
間取りは、四畳半。
思い描いていた茶室のイメージと異なるので、功治は安心する。
もっと、こう、お堅い重厚なイメージがあったが、まるで違う。
なんとも明るく涼やかで、軽快な気に満たされている。
茶室を作った主人の、人間性を表わしているかのようだ。
功治は、炉に向かってこっち側の、客畳に座る。
功治が座ったのを確認するかのように、点前口から、初瀬が入って来る。
炉を挟んで、功治の向かい側に座る。
先程とは違い、親しみを感じる佇まいの中にも、ピーンと一本の筋が通っているような気がする。
初瀬が、お点前に入る。
お点前を手順良く行なう初瀬を観察していて、功治は気付く。
『あ、鉢!』
水指の、あるべきところ。
水指のある位置に、鉢がある。
功治が金継ぎした、あの木鉢。
鉢が水指として見立てられて、使用されている。
「結構なお手前で」
功治がお茶をいただき、こう口に出す。
出すやいなや、お互いに一息ついて、ホッとした雰囲気が満ちる。
くだけた感じが増す部屋の空気を捉え、再び口を出す。
「あの ‥ 」
「はい?」
「その水指 ‥ 」
「はい」
「僕が金継ぎした鉢、ですよね?」
初瀬は、微笑んで、悪びれず答える。
「はい。
本当に水漏れせえへんか、試させてもらいました」
功治は、少し勢い込んで、問う。
「どうでしたか?」
「見ての通り、大丈夫です」
初瀬は、右手の平を上にして、茶席をかざし示す。
「そうですか ‥ 良かった ‥ 」
自信は、あった。
実際、水漏れがしていないかどうか、確認もした。
だが、依頼主からお墨付きをもらえると、充実感がある。
「ありがとう御座います」
功治は、礼を言う。
初瀬は再び、不思議そうに、小首をかしげる。
瞳は、不思議そうな光から、変わらない。
「どうして、ですか?」
初瀬は、問う。
なぜ、礼を言われるかが、分からない。
いい仕事をしてもらって、こちらの方が礼を言うべきなのに。
「いや、使ってくれはって」
「はい?」
「やっぱり、こういうもんは、『使われてナンボ』やと思うんで、
記念に飾るだけのもんにせず、ちゃんと使ってくれはって、
『嬉しいな』、と」
ああ、そういうことか。
実用品として生まれたものは、変に飾らすに、ちゃんと手入れして、末長く使ってこそ、その物も喜ぶ。
職人も、そうしてくれた方が、嬉しい。
そうしてくれたことへのお礼、か。
実は、初瀬は、このお茶席で水漏れを確認したら、鉢を記念に飾るつもりでいた。
が、それは、取りやめる。
このまま、水指として生きてもらうことにする。
「こうすることによって、物も、寿命が延びるんですね」
初瀬が、感心して、言う。
「いや、物だけやないです」
功治が、初瀬の言を、引き取る。
初瀬の眼に、?が浮かんだので、言葉を続ける。
「人間も、です」
「人も」
「はい。
金継ぎして生きていくというか随時補修して生きていくというか、
『だましだましみたいに生きてっても、ええんちゃうか』、と」
「はい ‥ ?」
「う~ん ‥
‥ 例えば、ここに、六十歳過ぎの、癌の患者さんがいはります」
「はい」
「治療しても、そのままの生活スタイルだったら、
一番可能性の高い生存期間は、五年です」
「はい」
「でも、一方、今までの生活スタイルを見直し、
だましだましでも現状の身体に沿った生活スタイルに改めたら、
生存期間は、二十年になります」
「はい」
「片方は、六十歳後半で死ぬ確率が高いですが、
もう一方は、八十歳過ぎで死ぬ確率が高くなります」
「それって ‥ 」
「一方は、「早死に」って言われかねないでしょうけど、
もう一方は、平均寿命なんで、
換言すれば、『「天寿を全うした」と言ってもいい』、と思います」
「ああ、なるほど」
「だから、「だましだまし」と言うと、ネガティブなイメージがありますが、
金継ぎとか補修する感じで、
人生を『随時、見直すイメージ』でいたらいいんじゃないか、と」
「ああ、それ、いいですね」
人生の金継ぎ、ですね」
「そういう感じ、です」
初瀬の、たゆとう波のような笑みに、功治も、そのような笑みを返す。
「そういう意味で言ったら ‥ 」
初瀬が、口を開く。
「はい」
「ある程度、歳を取って、紆余曲折というか酸いも甘いもというか、
『人生七転び八起きしてきた人の方が、魅力的』ってことですね」
「はい ‥ ?」
「挫折とか味わって、そこから立ち直って来た人は、
随時、自分を見直すというか、
アップデイトするのが癖になるわけでしょ?」
「そうとも言えますね」
「ということは、人生の金継ぎをすることによって、
自分を随時、アップデイトするというか、
『リニューアルする手段を、手に入れること』になるわけで ‥ 」
「なるほど」
「それは、『素敵なこと』やと思います」
初瀬は、眼をキラキラさせて、断言する。
『ああ、そういう考え方もあるか。
それは、ええな』
功治は、初瀬の考え方に、好ましいものを感じる。
「それは、こうも言えますね」
功治は、初瀬の言葉を引き取って、言う。
「人生の金継ぎというか、自分をアップデイトする気がある限り、
人は、リニューアルできる」
「はい」
「歳取れば取る程、リニューアルするわけやから、
その気がある限り、歳を経て来た人間の方が魅力的ってことですね」
「そうなりますね」
この国は、今の時代は、若さ至上主義というか、『若くてナンボ』の風潮が、はびこっている。
『歳を取ることには、価値が無い』『歳を取ることに、負い目を感じなくてはいけない』空気が、蔓延している。
それとは、対極の考え方。
でも、多くの人に、張り合いをもたらす考え方。
その気を持っている限り、心はいつでも新しくなれる。
若さは、心で表すもの。
初瀬は、鉢を持って、水屋に行く。
水屋で、鉢の中の水を、全て流し出す。
水気を布巾で、丁寧に拭き取る。
茶室に戻り座ると、功治に、鉢を渡す。
『鉢の具合を、確認して欲しい』、と云うことらしい。
功治は、鉢を見廻し、金継ぎの具合を確認する。
水漏れ等、無し。
変に歪な部分も、無し、
総じて、OK。
功治は、ウンウンと頷く。
そして、鉢を、にこやかに初瀬に返す。
初瀬は、功治の笑顔で、鉢の具合を了承する。
初瀬も、魅力的な笑顔を返す。
眼尻の皺がクッキリと波打ち、豊齢線がクッキリと溝を作る。
が、それがなんとも、相乗効果でチャーミング。
皺無し豊齢線無しよりも、おそらく魅力的。
『ああ、そうか』
功治は、思う。
思い悟る。
『この人の心は、若いんや。
それが滲み出てるから、皺であろうが豊齢線であろうが、
ええ感じなんや。
世の中の歳食ってる人が、ブスーッとして見えるのは、
皺や豊齢線だけのせいやなくて、心が若くないというかガチガチやから、
それが滲み出てるんやろな』
「どうかしましたか?」
初瀬が、訊ねる。
功治は、初瀬の顔を見つめたまま、固まってしまったらしい。
沈思黙考してしまった、らしい。
「いや、なんでもないです。
でも、あれですね ‥ 」
功治は、場を取り繕う為か、今思ったことを、そのまま口に出す。
初瀬の顔は、みるみる朱に染まる。
とりわけ、頬に朱が差す。
初瀬は、鉢をかつぐ振りをする。
照れ隠しからか、顔を遮るように、鉢をかつぐ振りをする。
「かつぐのは、何年振りでしょう」と呟きながら。
{了}