VS魔王
リーファが倒された事を、瞬時に魔王は察知した。
彼女の魔力の気配が消え失せたからだ。
「ヨーランよ」
傍らに控えていた伝令の名を呼ぶ。
「敵は強者だ。我が行く」
ヨーランは流石にギョッとしたようだ。戸惑った声で
「魔王様が自ら…」と言いかけたが、切り替え、
「ご武運をお祈りしております」とだけ、言った。
魔王はその翼をバサリと動かし、居室を出ていった。
奴隷の人々とそれを見張る者たちの間にも、微妙な均衡が生じていた。無理もない。枷となっていた〈死の紋章〉は無くなり、レマとドルチのふたりが倒されるのを見たのだ。
―自由になれるかもしれない…
そんな期待と不安が各人の胸に去来していた。
見張りたちもまた、戸惑っていた。―万が一、魔王様まで倒されたら? 凄絶な報復を受ける事になるだろう…。背中につうっと冷や汗が滑る。それを振り払うべく、鞭を鳴らすのだった…。
「貴様が魔王か?」
レーミアのぞんざいな問いに
「いかにも」と魔王は首肯した。
なんかに似てるな…と、レーミアは思った。この感じ…
「麒麟、に、似てるな…」
ただ角が三本あり、翼がある。その禍々しい存在感は、古の瑞獣とはかけ離れているが。
麒麟―魔王が言う。
「我はライラ。元はここ〈イルファス〉の守護神だったものだ」
瞳をすがめ、レーミアに問う。
「そなたは何故、我が城の平穏を乱す?」
レーミアはボリボリと頭をかいた。
「そりゃあ、貴様がこの〈世界〉を壊そうとしてるからさ、それ以上でも以下でもないよ」
その答えに、魔王―ライラは蹄を打ち鳴らした。
「〈壊す〉? 違うな。我は創造しようとしているのだ、新たな〈世界〉、魔族も人もない〈世界〉を。その為にいまある〈世界〉を消すのだ」
レーミアは言った。
「それが困るんだよ。だから止めに、もとい退治に来たんだよ」
キッと睨みつける。
「悪いが、倒させて貰う」
動いたのはレーミアが先だった。
無詠唱の氷撃。
氷柱状の氷が魔王目掛けて、放たれた。
魔王は微動だにせず、短く何か呟いた。
「!?」レーミアが息を飲んだ。
苛烈な炎が瞬時に氷を溶かした。蒸気すら上がらなかった。
「我は〈炎と雷〉を司るもの。そなたは〈氷と雷〉…相性は悪いな」
瞬間、レーミアは何が起こったか、わからなかった。
瞬きの間に肉薄され、その蹄で胸を蹴られた。
「ぐあっ!?」防御魔法を展開する隙もない。
もろに攻撃を喰らったレーミアは血を吐きながら、床をその身体で壊しながら、階下に落下した。
背中に凄まじい衝撃を感じる。更に。魔王が何か呟いた。
雷がレーミアの身体を貫いた。内臓が焦げる感覚。
落下の勢いと衝撃が増す。
苦しい。
やっと落下が止まったのは、奴隷の人々が立ち働かされている場所だった。
轟音と瓦礫、降ってきた少女に、人々も見張りたちも驚き、困惑した。
「〈聖女…様〉?」という、誰かの呟きに堰を切ったように、人々はレーミアの周りに集まった。
レーミアの身体からは煙が出ていた。焦げ臭い。
「そんな!〈聖女様〉!」
人々の嘆きの声に、レーミアの意識は浮上した。
かなりのダメージだ。血が足りない…。
「〈聖女様〉!気を確かに!」
レーミアの頭を抱えてくれた者の身体に、見張りが鞭を振るった。
「我らが〈魔王〉様に反逆した者だ!殺す!手を離せ!!」
だが、人々は怯まなかった。
「殺したきゃ、私たちから殺しなさいよ!」
誰かが叫んだ。
そうだそうだ、と追従する声。
「こんな小さな女の子が戦ってくれてるんだ!俺たちだって!!」
その剣幕に押された見張りたちは、黙り込んだ。
それらの言葉に、レーミアの顔に自然、笑みが浮かんだ。
―流石、人間、底力があるな…。
「〈聖女様〉!手当てをします!」
叫んで、去ろうとした女の腕を掴んだ。
レーミアは言った。
「悪い、な…私は〈聖女〉…じゃない」ゴポリ、と血を吐く。
「私は〈吸血鬼〉、なんだ…」
だから、と言いかけて、息が続かなくなった。苦しい…。
察した人々が言う。
「何でも構わねぇ!俺の血を飲んでくれ!」
男がなんと、レーミアの顔の前に腕を差し出してくれた。
長い吸血鬼人生で初めての事だ。
だが、牙を立てる力がない。
誰かが小刀を持ってきた。
男が、女が、次々と自らの腕に刃を走らせた。
鮮血がレーミアの唇を濡らす。
…その甘いような、背徳的な味を久々に舌に感じた。
意識が明朗になる。
回復を感じる。
「そなた…腕を噛んでもいいか?」
ひとりの女に声をかけた。
「えぇ、構いません。〈聖女様〉」
差し出された腕に、牙を立てる。口に流れ込んでくる血。
その味に舌が、細胞が歓喜する。もっともっともっと。
―やがて、人々からの血を飲み終えたレーミアはすくっと立ち上がった。
皆に「ありがとう」と礼を言った。
魔力が全身に満ちているのを感じる。服はボロボロだが、傷は癒えた。魔力も回復した。
レーミアは蝙蝠を黒い翼に変え、飛んだ。自らの落下の衝撃で空いた穴をぐんぐん飛翔していく。
魔王―ライラはさして驚いた様子もなく、待っていたかのようだった。
レーミアは言った。
「もう遅れはとらん」ペロリと唇を舐めた。
「貴様を倒す」