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鬼の住み処

10年ほど前の作品。2800字くらい。

大人のお姉さんと女子高生のワンナイト的な話。

ガールズラブ、生理の描写あり。

 うんと遠くへ行こうか、と、囁かれた気がした。


 小さな鞄に、財布と、スマートフォンと、化粧ポーチと、生理用ナプキンを入れて家を飛び出し、行き先も確認せずに電車に乗り込んだ。ごうごうと走る電車で、揺れる吊り革を眺めながらうとうとしていたが、いつの間にか深く寝入ってしまい、車両の軋む音で目を覚ました。随分と長く電車に揺られていたような気がする。窓の外で流れる景色は、まったく見覚えがなかった。ポケットの中でスマートフォンが微かに震えた。取り出して見ると「お土産買ってきてね」という短いメッセージが表示されている。姉からだった。それに返信することなくスマートフォンの電源を落とした。

 終点を告げるアナウンスが流れる。私は電車を降りた。寂れた駅の自動改札を抜けて、これからどうしようかと考えたがなにも思い浮かばず、行く宛もないので、駅の裏にあったゲームセンターに入った。がちゃがちゃと騒がしい店内にはそれなりに人がいて、入口のすぐ近くにあるクレーンゲームでは、若いカップルが寄り添いながらガラスの向こうを覗き込み、時おりはしゃいだ声を上げていた。程なくして、そのカップルは色ちがいのぬいぐるみを抱えて去っていき、私は立ち代わりクレーンゲームに硬貨を入れ、光るボタンを押した。ゆらゆらと不安定に下降するアームは力なくぬいぐるみの表面を撫でるだけで、何度やってみても結果は同じだった。

「お姉さん、それじゃあダメだよ」

 横あいから澄んだ声がする。紺色のセーラー服に身を包んだ少女がじれったそうに私を見ていた。「かわって」と言う少女に場所を譲る。少女は百円硬貨を五枚入れて、馴れた様子でクレーンを操作した。

「ここを挟んで、こうして、ちょっとずつずらしていくの。ほら……」

「上手いね」

「ふつうだよ。お姉さんが下手なだけ」

 きっかり五回目で、目当てのぬいぐるみが、がこんと音をたてて落下する。私はそれを見て、わあっと子どものように手を叩いて喜んだ。

「あげる」

 少女が微笑んで、私の目前でぬいぐるみを揺らした。私はぬいぐるみを受け取り、その円らな瞳と見つめあってから、そっと抱きしめた。

「可愛い。ありがとう」

「うん。お姉さん、暇なの」

「まあ」

「あたし、あのレーシングゲームしようとしてたんだ。付き合ってよ」

 少女が指差す先では、疾走感のあるデモムービーが流れている。少女にならって車とコースを選び、カウントにあわせてアクセルを踏んだ。私の青い車はコースを外れたり戻ったりを繰り返しながら進んでいく。少女のまっ白な車は、美しい軌跡を描いてあっという間に遠ざかり、遥か先を走っている。少女は、くるり、とハンドルを回して他の車を抜き去りながら、私にたずねた。

「お姉さん、ふだんゲーセンなんかこないでしょ。どうしたの。行くところがないの」

「帰りたくないの」

 少女が強くブレーキを踏んだ。その画面には「YOU WIN!!!」の文字が躍る。少女はバケットシートからひらりと降りると、いまだハンドルを握る私の腕を引いて「行こう」と誘った。

「いいところに、連れて行ってあげるよ」


 夕暮れ時の道を、少女と歩いた。私は、まだ幼さの残る少女の横顔を見て、会ったばかりの少女に感じる気安さのわけを考えていた。

「なぁに」

「ううん、なんでも」

 着いた先は、少女が通っているという学校だった。グラウンドから、部活動にいそしむ生徒の声がする。校門をくぐると、強烈な懐かしさに目を細めた。それと同時に、別の世界に紛れ込んだような居心地の悪さも感じる。部外者が入ってよいのかと気にする私に、少女は「誰も見てないよ。高校生なんて、みぃんな自分のことで頭いっぱいなんだから」と言った。少女の言う通り、すれ違う生徒がいても、不思議なほど、私たちに感心をよせることはなかった。校舎とグラウンドの横を通り、さらに奥へと進んでいく。そこにある古びた校舎が、少女の目的地らしかった。

「旧校舎だよ。老朽化とかで、もうすぐ取り壊すんだってさ」

 少女は立ち入り禁止のチェーンを踏み越え、旧校舎の中に入っていく。私もそれに続いた。リノリウムの廊下が、靴の裏と擦れて音をたてる。空っぽな教室がほとんどだったが、中には、机と椅子がそのまま残されている教室もあった。そのうちの一つに入り、私たちはさっそく、チョークの欠片で黒板に落書きをしてクスクスと笑った。それに厭きると、少女は窓ぎわの席に座り、頬杖をついて窓の外を眺めた。美しい夕日が赤々と空を染め上げ、少女を照らしている。私は近くの机に凭れて、赤い海に沈む少女を見ていた。

「お姉さんは、どうして帰りたくないの」

 少女が唐突にたずねてくる。私は少し考えて、「鬼がいるから。逃げてきたの」と答えた。少女はクックと笑った。鬼というたとえが気に入ったようだった。

「鬼って、どんな」

「恐ろしくて、美しい」

 夕日の中で笑う少女に、誰かの影が重なる。高校生の頃の姉だ、と気付いた。

 遠い日の記憶が甦る。

 あの時も、夕日がいっそう明るかった。姉は放課後の教室で、机上の腕に頬をよせ、長い睫毛を下ろしていた。私はその前の椅子に座って本を読み、時おり姉の白く華奢な首を撫で、さらさらと流れ落ちる髪をすいていた。時が経つにつれて、人の気配がなくなり、二人きりになると姉は身を起こし、茜色の空を見上げる。「ねえ、可奈子」と私を見つめる瞳が、夕日のせいかちらちらと燃えて、息をのむほど美しかった。

「うんと遠くへ行こうか。私たちのこと、誰も知らないところ」

 その囁きに、私は頷いた。


 少女の黒く濡れた瞳が、私をまっ直ぐに見つめている。「お姉さん、泣きたいんでしょ」少女が立ち上がって、私の近くまで来る。ひんやりと冷たい少女の指先が、私の目尻を撫でた。

「よっぽど恐ろしい鬼なんだね。いいよ、慰めてあげる」

 私の額を少女の吐息が擽り、私は小さく笑った。少女は、瞼、こめかみ、頬、鼻先、耳朶へと、そっと口づけていく。その途中で、私は子供のようにせがんだ。

「可奈子。可奈子って呼んで」

「うん」

 少女がいとおしそうに私を見つめる。唇をあわせ、少女の吐息をのみ込む。少女の手が私のシャツのボタンを外し、スカートに触れた。「いや、やめて」私は少女の肩を押して抵抗する。しかし少女は動きを止めず、私の目尻に口づけ、涙を吸った。私は、少女の肩口に顔を埋めた。

「汚しちゃう。汚しちゃう」

 泣きじゃくる私をなだめながら、少女は、スカートの中へと手を入れる。指先が太股を撫で、ショーツにかかる。まっ赤な血が、脚の間を伝って床を汚した。少女が優しく微笑む。

「きれいだよ、可奈子」


 *


「おかえりなさい」

 玄関のドアを開けると、高く澄んだ声が私を迎えた。ぱたぱたと足音がして、姉の軽い体が、私の胸に飛び込んでくる。「ただいま、姉さん」と、私は姉を優しく抱きしめた。そこに通りかかった母親が、私たちに呆れた顔を向ける。

「そろそろ、妹ばなれしたら」

「いやよ」

 姉はそう言って、ふわりと唇を綻ばせた。姉の細い指が、私の手首に絡み付いた。

「だって、わたし、可奈子のこと大好きだもの」


 ここは、美しき鬼の住み処。


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