表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

胸中に咲く花

こちらも、10年くらい前に書いたもの。800字くらいです。

 何かかけがえのないものをなくしたとき、人の胸にはぽっかりと穴が空く。その”穴”を、私は物心ついたときから見ることができた。


 けぶったような薄ら日のなか、バス停に佇む人影があった。その女性の胸に咲く花の美しさに惹かれて、私は足を止めた。淡く紫に色づいた、可憐な花だった。その花は、溢れてこぼれ落ちてしまいそうなほどたくさん咲いて、大きく空いた胸の穴を埋めていた。

「きれいなお花ですね」

 声をかけてから、あまりに唐突すぎたかと思い至る。案の定、振り返った女性は僅かに瞠目して、しかしその手元に目を落とすと、ああ、と得心のいった様子で微笑んだ。

「『乙女桔梗』という花なのよ」

 女性は、花束をそっと持ち上げた。無数に咲く薄紫色の花。胸にあるのと同じ花だった。

「家で育てているの。主人が好きな花だから」

 そう言って、女性は慈しむように目を細めた。花を映す女性の瞳が、憂愁を孕んで小さく揺れる。

 胸の花がさざ波のように揺れて、さわさわと音をたてた。

「私も、とても好きです」

 紫の花を見つめてそう言うと、女性は嬉しそうに顔を綻ばせた。花の束から少し抜き取ると、私に差し出した。

「よかったら、どうぞ」

「え、でも」

 私が逡巡していると、女性は朗らかな声で、気にしないで、と言った。

「いいのよ、たくさんあるのだから」

 女性が近づき、戸惑う私の手を取って、そっと花を握らせた。温かな手だった。

 線香の匂いが鼻腔をくすぐる。

「ありがとうございます」

 そのとき、道の向こうからやってくるバスが見えた。

「ああ、バスが来たみたい」

 低く唸るような排気音と、甲高いブレーキ音が交ざりあって、バスが止まった。がしゃんと音をたてて入り口が開く。

「さようなら」

 私は、女性を乗せて去っていくバスを見送ってから、帰路についた。

 紫の花を空にかざした。柔らかな光に包まれて、その優しい色合いが際立つ。日に透けた花びらが瑞々しく艶を帯びた。

「本当に、きれい」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ