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浅慮

短編で公開していたのを移動。10年くらい前に書いた作品です。1500字くらいです。

 ああなんて厄介な性分に生まれ付いたのかと、三嶋(みしま)善夫(よしお)は思った。

 それが最期だった。


 三嶋は根っからのお人好しであった。加えて、考えなしなところもあった。今回も、川で流れる犬を見かけて、そのままざぶんと飛び込んだのだ。そうだ俺は泳げなかったのだと考え付いたときには今さらで、身にまとう衣が水を吸い、重りとなって自由を奪う。抗えぬ流れに呑まれつつ、いつもの浅慮を嘆いていた。

 こうして三嶋は、いかにも三嶋らしく死んだのである。



 *



 三嶋は大きな川のほとりに立っていた。周りを見渡すが、白い靄ばかりで他はなにも見えない。変わった場所に来たものだと首を捻ってから己が死んだことを思い出し、そうかこれが世に聞く三途の川かと感心して眺めていると、すいすいと向こうから舟がやってきた。それはたいそうおんぼろで、ひょろりと縦に長い男がひとり漕いでいるだけのようだった。舟は三嶋の目前で止まり、男がおい、と声をかけてくる。

「おい、おまえ、向こう岸に行きたいのなら舟に乗れ。連れていってやる」

「なんだ、あんたは」

「私は鬼だ。おまえのように、どっちつかずにふらふらしている輩の始末をしてやっているのだ」

「鬼」

 金の目玉がぎょろぎょろと動いて、鋭い眼光が三嶋を貫いた。角こそ無いが、なるほど確かに恐ろしい形相をしている。納得して鬼の顔を眺めていると、鬼は、わかったらさっさと乗れと顎をしゃくって舟を指した。しかし三嶋は、舟を見て、鬼を見て、それから首を左右に振った。

「嫌だ」

「なんだと」

「俺は舟が苦手なのだ。あの揺れる心地がどうにも」

「ならば、泳いでいけ」

「それこそ無理だ。俺は金槌なのだ。泳いでなぞいけるものか」

 ああなんて面倒な。

 鬼は心底思って息をついた。

「もうよい、ならば帰れ」

「帰れるのか」

「さあな。しかしそういう輩もいたものだ。なんでも、己を呼ぶ声があったのだと」

「へえ」

 三嶋は感心したように相槌を打って、しかしその場にどっこらと腰を下ろした。しばらくしても、そこから動く素振りをみせない。鬼が片眉を上げた。

「帰らぬのか。帰りたくはないのか」

「どうだろう。なにせあっちは、いろいろと面倒なことばかりであったから。しかし、そうさなあ、心残りといえば、妻のことだ」

「へえ」

「俺にはもったいないくらいの、出来た女だよ」

 三嶋は愛しさに目を細めて、妻の姿を思い返した。胸のうちに現れた女が、よしおさん、と己を呼んで微笑む。

 やはり早く帰らねばと三嶋は勢いをつけて立ち上がった。世話になったと礼を言って背を向け歩き出したが、三歩進んだところで気になって後ろを振り返る。閑散としたそこでぽつりと佇む姿に、寂しくはないのかと問いかけた。

「私はもとよりここにひとりきりだ。退屈を持て余すことはあれど、寂しいなぞ思う筈がない」

 鬼は事もなさげに答えた。しかし、そう言った鬼の瞳の奥で、暗い光が奔り抜けるのを、三嶋は確かに見た。

 そうして、三嶋は、鬼を哀れに思った。思ったが最後、考える間もなくことを決めていた。一呼吸のうちに大きく膨れ上がったお人好しが、ぽんっ、と口から飛び出したのである。

「ここにいる」

「なんだと」

「俺は、これからずっとここにいることにした」

 そのとき、鬼には噎び泣く女の声が聞こえていた。よしおさん、よしおさん、よしおさん、よしおさん……。先の話にあった三嶋の妻だろうと見当がついたが、三嶋はまるで聞こえていないようだったので、わざわざ言ってやることもないと気付かぬふりをした。知らず込み上げてくるものに、呵呵呵、と大口を開けて笑ったのだった。

「可笑しなやつもいたものだ」

「そういう性分なのさ」

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