遠ざかる足音
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遠ざかる足音
知らない足音が紛れ込んでいる。
生まれつき目の見えない夏菜子は、その代わり、人並み外れた聴覚を持っていた。資産家の娘である夏菜子の屋敷は大きく、多くの家人が歩き回っているのだが、その足音のひとつ、ひとつを、彼女は聴き分けることができた。
屋敷の中に紛れ込んだ、全く聴き覚えのない音。その足音は夏菜子の側に近付いて、可笑しなことを言っている。
「ただいま、夏菜子。夏菜子の好きな豆大福を土産に買ってきたよ」
まるで、かねてからの知り合いであるかのような口ぶりではないか。
「どなたですか?」鋭い声で、問いかける。
「初対面にも関わらず気安い口ぶり、無礼ではありませんか」
隣に控えていた侍女が、ギョッとした気配で口出しする。
「何を仰っているのですか、夏菜子様。晴哉様ーー貴女の実のお兄様ではありませんか」
何を馬鹿なことを、と夏菜子は思った。確かに声音や口調は驚くほど似ているが、同じとするには程遠く、何より、足音の粗野さが耳につく。生まれ育った環境に見合って、凛としていて静かな晴哉の歩みとは、似ても似つかない。
「出掛ける前に喧嘩をしたこと、まだ怒っているみたいだね。悪いけど、二人きりにしてくれないか」
晴哉のふりをした誰かは、動じる様子もなく侍女を下がらせた。夏菜子と二人きりになった途端に、態度が豹変する。
「やはり、騙せないか」
晴哉と似て非なる、冷たく、軽薄な声音。その震えを辿って喉元へ、白杖を突きつける。「答えなさい」
「お兄様を、何処にやったの」
「俺が拉致したような言い草だが、検討はずれにも程がある。晴哉が自ら企てて、俺はそれに乗っただけだ。整形して、晴哉を演じ続けるなら、金に困らない人生をくれてやるってな」
「お兄様が?」
夏菜子は訝しんだ。男の声音から、嘘を言っていないとわかる。しかし信じられなかった。あの兄の企てにしては、杜撰すぎるのだ。夏菜子を騙すことすらできないような、不完全な計画など立てる人ではないのに。
夏菜子の疑問に答えるように、男が言葉を続けた。
「妹には、すぐに気付かれるだろうと言っていた。それでいいのだと」
「っはは!」
夏菜子はたまらず、声をあげて笑った。突然笑い出した夏菜子に、男は奇妙なものを見る目を向けた。
晴哉の思惑は解らない。全てを投げ出して逃げたかっただけなのかもしれない。しがらみばかりの血筋から。世話をかける盲目の妹から。あるいは、実妹から向けられる、盲目的な恋情から。
ーーそれとも、夏菜子を試しているのですか。この身を燃やし尽くすような、苛烈な恋が如何ほどか。
どちらにせよ、追いかけるだけだ。晴哉もそれを許したのなら、これはとびきりのゲームなのだ。幼いころ二人でやった、目隠し鬼。
夏菜子は、愛しい人の足音を、何度も、何度も、刻みつけるように耳の奥で聞いていた。遠ざかる足音を辿って、彼を捕えるために。