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第7回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
8/22

ミックス

 バレンタインの日、幼馴染の岡崎真澄は俺の前で戦利品の開封を始める。

 保育園から中学校まで同じ学校に通っていた頃は帰り道に一緒に分けて食べていたが、高校が離れてからは俺の部屋で見せつけるようにして食べるようになった。今年で三度目だ。

 チョコレートが山盛り入った紙袋を初めて持って来た時、いつものように適当なのを選んで取ろうとしたら、思い切り手の甲をつままれた。なぜいきなりそんな事をするのかと聞いたが、曖昧に濁して話を流されて終わった。それ以来、俺は岡崎が箸休め用に買ってきた大袋のポテトチップスをむしゃむしゃ食いながら、チョコレートが少しずつ減っていくのを眺めるようになった。


 岡崎がモテ始めたのは、小学五年生の頃だ。元々周りよりも背が高かったが、その頃から体つきもスラッとして、生まれつき肌も白くて日焼けをしないもんだから、“王子”なんて呼ぶ奴も居た。

 中学に進むとそれが更に顕著になって、普段からラブレターを貰ったり告白をされたりすることも増えたらしい。そのたびに、誰か良い奴は居ないのかと尋ねてみたが、「特に」と冷たくあしらわれるだけだった。

 高校に上がると、いよいよ他校の生徒からも告白されるようになったらしい。俺の学校でも、岡崎の名前が耳に入ることがある。

 そういう時、俺はどうも妙な気持ちになってしまう。自分の幼馴染がモテるのは嬉しいような、悔しいような。背は俺の方が高いし、力だってある。運動神経は正直トントンくらいで、成績は岡崎の方が昔から少し上だったけど。

 そんな事を考えていたせいでつい溜め息が漏れてしまうと、岡崎が顔を上げた。

「どうした」

 大きな目に、少し伸びかけた前髪がかかっている。

「別に。塩味も飽きたなって思っただけ。自分用に甘いもん用意するのもなんか虚しいだろ」

 視力落ちるぞ、と付け足しながら腕を伸ばして指先で髪をよけてやると、岡崎が反射的に目を伏せた。

 少し触れただけでも分かるほど軽くて柔らかい黒髪に、長くて量の多い睫毛。ふざけてそのまま前髪を持ち上げると、綺麗なカーブを描く狭くて白い額が顕になった。親指の腹でそれを緩く撫でてから、バチン、と人差し指で弾く。

「いっ、て! 自分がチョコ貰えないからってひがむな」

「誰が場所貸してると思ってるんだ」

 実際、チョコレートを貰えないというのはさしたる問題ではなかった。ただ、なぜ岡崎が当てつけのように俺の目の前で淡々と食べるのか、その理由が気にかかるだけで。

「……これ、レンタル費用。三年分」

 岡崎は少し赤くなった額を前髪で隠して撫で付けながら、赤いリボンの結ばれた透明な袋を差し出してきた。それはこいつが初めてここでチョコレートの宴を開いた年から必ず入っている物で、小さなメッセージカードまで付いていかにもお手製ですというような顔をしているのでよく覚えている。しかも、岡崎はいつもその袋だけはこの部屋で開けることなく、大きな紙袋へぽつんと戻して帰るのだ。

「嫌だよ。他のが良い」

 どうしてわざわざ他人の本命チョコを貰わねばならないのか。机に転がっていた既製品らしき紺色の箱へ手を伸ばすと、岡崎はやはり俺の手の甲を強くつまんだ。

 日焼けを重ねて年々黒くなっていく肌に、細くて白い指先が触れたまま離れない。

「分かったよ、取らない。でも、いかにも手作りみたいなのを寄越そうとするなよ。作った子が可哀想だろ」

 ほんの少し爪痕の付いた手の甲から相手の指を離そうとして手首を掴むとそのまま腕を引かれ、油断していた俺は体のバランスを崩して傾けた。

 その瞬間、額に何かやわらかい温度が触れて離れた。

 それが何かはすぐに理解したが、脳が処理を拒むまま、口は関係の無い言葉を吐き出した。

「危ねえな。飲み物がこぼれたら掃除するの俺なんだぞ」

 岡崎はそれを聞くと眉を寄せて顔を歪め、残ったチョコレートを持ってきた紙袋へ乱雑に詰め込んで立ち上がった。

「え、おい。何で怒ってるんだよ」

 何も答えないままコートを羽織り、床へ置いていたリュックを背負って紙袋を抱え部屋を出る岡崎を追いかけるが、少しも止まる気配が無い。

「あれ、真澄もう帰るの?」

「うん。またね」

 足音を聞いてリビングから出てきた妹が声をかけると、律儀に立ち止まって挨拶をする。顎の辺りまで伸びている髪の毛が小さく揺れた。

「おい、せめてこれ」

 先程渡された透明の袋だけが机に残されていたので持って来たが、岡崎は少しも聞く耳を持たず、ローファを軽く引っ掛けただけで家を出た。

「今年もガトーショコラなんだね。一昨年と比べたらだいぶ上手になったじゃん」

 行き場を失くした袋が所在なげに俺の手からぶら下がっているのを見て、妹がからかうように言った。

「え?」

「真澄、一昨年うちに来て、アンタの好きなお菓子聞いてきたから。あんまり甘すぎないガトーショコラをね、一緒に作ったの。その次の年からはひとりで作ってたみたいだけど」

 もらったでしょ、という言葉はもうほとんど耳に入ってこなかった。妹が何か話し続けるのを遠くに聞きながら、俺は家を飛び出した。

 岡崎が走らずに歩いていたおかげで、その腕を掴んで足を止めるのは簡単なことだった。ようやく立ち止まった岡崎は、俯いたまま振り返ろうとしない。

「これ、俺に渡すつもりだったんだろ。ずっと」

 少しでも力を緩めたら逃げられそうだったので、腕を掴んだまま話を続ける。言ってからもう一度袋を見ると、そういえばメッセージカードが付いていたことに気がついて、二つ折りのそれを親指で開いた。

“気づけ、バカ”

 暫く見ていなかったその文字は、昔と比べてかなり綺麗に整っていたが、普通よりハネの多い独特なそれは、確かに岡崎の物だった。

「悪かったよ」

 俺が気づいていなかったのは、岡崎の贈り物のことだけじゃない。ずっと感じていたモヤモヤの正体にも、目を背けていた。

 掴んでいた手の力が抜けた瞬間、岡崎が腕を振り解いた。

 まずい、逃げられる。

 荷物のハンデがあると言っても、こいつが本気で走ったら俺は追いつける自信が無い。もう一度腕を掴み直そうと手を伸ばしたところで、岡崎が勢いよくこちらを振り返った。

 揺れるスカートの布地が、腿に当たる。

「ホワイトデー、何が良いかな」

 伸ばした手を相手の背中へ置いて、宥めるように軽く叩いた。

「甘くないやつ」

「飯でも作るか。料理ならお前に勝てるかも」

 相手の体を引き寄せながら、袋の中で歪に収まるガトーショコラを見て笑うと、手加減なく思いきり足を踏みつけられた。

「……私以外から貰わないで」

 小さすぎるそれは、体を寄せているから辛うじて聞こえるくらいのか細い声だった。

 なるほど。わざわざ家に来た上でこれ見よがしに貰ったチョコレートを食べていたのは、どうやらそれが理由らしい。そんな心配をせずとも、生まれてこの方、母親や妹にすら貰えない男だと言うのに。

「俺が唯一貰えるチョコなんだから、ちゃんと毎年寄越せよ」

 

 答えてから体を離すと、岡崎は口元に緩く弧を描いて微笑んだ。



*



「岡崎さん。これ、Y高の大山くんに渡して欲しいの。幼馴染って聞いたから」

 バレンタインの日、私あてに紛れてこういう事がまま起きる。

 高校生にしては少し値の張るブランドのチョコレートだ。私は紺色の小さな箱を受け取って、いつもより気をつけて笑顔を作る。

「うん、分かった。喜ぶと思うよ」

 そう言うと、たいていの女の子は安心したような、照れたような表情を浮かべて、“ありがとう”と言って立ち去って行く。

 その背中を見送ってから、私はその小さな箱を、既にいくつかチョコレートの入った大きな紙袋の中へしまいこんだ。


 大丈夫。綺麗にまざった。


 こういう子は学校や最寄りの駅、ひどい時にはアイツの家の前で待っていることもある。私はそれをひとつずつ丁寧に受けとって、丁寧にまぜた。

 赤いリボンを結んだ袋が、いつも上に来るように。

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