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第7回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
2/22

リフレイン

1.千春


時が過ぎるのは、こんなにも遅かっただろうか。

まもなく日付が変わるはず。私は何度も壁にかかった時計を見る。でも、長針と短針の間には相容れない隔たりがあるみたい。

忙しい朝なら10分なんてすぐなのに。今は時計の針が全然進まない。

いっそ、時が止まってくれてもよいのだけど。

私は時計から視線を外し、机に置かれたコップを手にとる。けれど中身はとっくになくなっていて、そのまま静かに机に戻す。そういえば、少し前にも同じ動きをしていた。

机を挟んだ向こうには颯斗が座っている。変わらず真剣な表情でゲームをプレイ中。テレビ画面は目まぐるしく変わり、私はときどき目をやるだけで疲れてしまう。

白い光が照らす部屋をエアコンの風がゆるくかき回している。バイトを終えて颯斗の下宿に来たときから変わらない。

動かない時計と同じく、颯斗もこのままゲームをしたままなのだろうか。

そんなことをぼんやり思っていると、軽快なファンファーレがテレビから流れてきた。

「はあー、やっと倒した」

背中を丸めていた颯斗が大きく伸びをする。この動きを見ると、私は近所で見かける野良猫を思い出す。

「おつかれ。すごい集中力」

素朴な感想が口からこぼれ出る。

颯斗が伸びたままの姿勢で止まって、ワンテンポ遅れて私に目を向ける。

「あ、そいや、千春いたんだった」

「…そこまで忘れるか」

「まあ、子供のころから千春が近くにいるのって自然なことだから」

軽い調子だったけど、私は思いがけず言葉を失う。

颯斗とは幼稚園からの仲で、家も近かったからずっとそばにいた。兄妹みたいといつも言われていたのを思い出す。

大学になってまで、ずっとこの関係が続くとは思ってなかった。

その変わらない距離が、今の私を悩ませている。

「げ、すげぇ時間経ってる!」

颯斗が叫んだ。こちらに不安な目を向ける。

「千春、終電やばくない?」

「…あ、ほんとだ!」

私は慌てた素ぶりで立ち上がる。小さくため息がもれたのは聞こえなかっただろうか。

最後に、理不尽な時計を睨みつける。


 ◇◇◇


颯斗の下宿から駅までの一本道を早足で歩く。冷え切った夜道は人ひとりいなかった。遠くで犬の遠吠えがしている。

「寒いなあ」

コートを羽織らずスウェットのままで出てきた颯斗が身を縮こませている。

「2月だもん、まだ冬だよ」

「でも、もう新年度まで2ヶ月ないんだな」

颯斗がつぶやく。

言葉が私の胸に小さい棘となって刺さる。でも、明るい調子は崩さない。

「颯斗でもちゃんと社会人になれるんだね」

「俺は本気出すまでが長いだけ」

颯斗は何故か誇らしげな口調で言った。

「颯斗、4月からは、東京だよね」

この質問は何度目だろう。自分の中でも繰り返されていて、どれだけ聞いたか忘れてしまった。

「うん。最近やっと部屋見始めたんだけどさ、家賃高すぎ」

白い息と一緒に言葉が消えていく。透明な空気が私と颯斗の間を満たしていく。

縮まらない距離が、離れてしまう。

「…そのうち遊びに行こうかな」

やっとのことで口から出せた一言。

「ん、来なよ。向こうでもゲームしてると思うけど」

颯斗は前を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。

私たちは変わらない速さで道を歩く。

このまま変わらないでいいかも。私は頭の片隅で思ってしまう。


 ◇◇◇


クリーンな光が照らす駅の改札で、私は時計を見あげていた。

「えっと、終電は12時10分なんだけど」

時計の長針は、文字盤の2の位置を超えていた。

「もしかして、終電いっちゃった?」

「あー…」

颯斗の問いかけが全く頭に入ってこない。状況を把握するため、もう一度時計をしっかり見る。

カタリと長針が一つ動いた。間違いなく時間は進んでいる。

こんなことってあるだろうか。

思いがけない状況に放り込まれた私の脳内で、複数の可能性が生まれシミュレーションされる。妙に体が温かくなってきた。

間違いのない解答を導き出す。その間、10秒。

よし、と心の中でひとつうなずいたところで、

—遅れておりました××行きの最終電車が到着します。ご乗車の方はお急ぎください—

無情なアナウンスが耳に飛び込んだ。

脳みそで完璧に組み立てられていたストーリーは、風船の空気が抜けるようにみるみるしぼんでいく。

「終電!」

私はわざと大きな声を出して、ICカードを取り出そうとカバンに手を入れた。

ガサっと紙袋が手に触れる。ああ、もっとちゃんと渡そうと思ってたのに。

「はい! 甘さ控えめのやつにした」

颯斗に見られないよう鞄の奥に入れていたから、紙袋の端がちょっと折れている。

「え、ほんとに? 俺に?」

差し出した紙袋を目の前にして、颯斗は躊躇っている。

「いいの、友だちに買ったついでだから!」

ちょっとした嘘を早口で足して、颯斗の手に押し付ける。

「それじゃね」

私は改札を抜け、ホームに入ってきた電車へ滑り込む。

プシュ、と気のぬける音を立ててドアが閉まる。改札前で紙袋を片手に下げた颯斗が遠ざかっていく。

電車はガラガラで座席が空いていたけれど、しばらくドアの近くで立っていた。

車窓に映る自分の顔が思っていた以上に情けなくて、色々と通り越して、笑い出したくなってしまう。

終電、来なければよかったのに。

時というのは、こうも不条理なのだ。



2.颯斗


テレビ画面ではダークエルフの青年が相棒の黒豹と動き回っている。ド派手なエフェクトとともにゴーレムの攻撃が襲いかかる。

「っやべ」

思いがけずダメージを喰らい、思わず小さく声が漏れる。大きなモーションのこんな攻撃、いつもなら余裕で避けられるのに。

原因は明らかだ。わかっているからこそ、気になってしまう。

そう、机を挟んで座っている千春だ。

バイト先が近いからと言って、今日みたいにちょくちょくやってくる。初めの頃こそ、飲み物やお菓子を出していた。でも、今となっては放任主義。

千春も慣れたもので、スマホをいじったり、うちにある漫画を読んだりしていた。ちょっと前までは。

ゲームをしながら横目で様子を確認する。今日も千春はぼんやりと遠い目をして、何をするでもなく座っている。

最近いつもこうだ。俺がゲームをしている途中でやってきて、ほとんど動きもせず、口も挟まず、時間が過ぎていく。

今日も千春を気にしながらプレイしているので、ゲームの攻略に思った以上に時間がかかっている。視線を画面に戻しても考え事でいっぱいだ。

これまではこんなんじゃなかったはずなのに。よくわからない。

いや、実のところ、可能性はある。

俺は昨年末になんとか内定をもらって、モラトリアムが終わるのが確定した。上京が決まったのもそのとき。

そして、それは幼稚園のときから頻繁に顔を合わせていた千春と離れることでもあった。

思い返すと上京の話をした頃から、千春のぼんやりは始まっている気がする。俺の観察によると、日が経つにつれて増していっている。

寝る前に考えた俺の推論。状況との齟齬もない。間違いはなさそう、なんだけれども。

テストのケアレスミスが多くて、提出前に見直しをしなさい、と千春に怒られていたのを思い出す。

もう見直しは十分した。でも、この問題は簡単に答え合わせができないのだ。

結局いつものループをたどって、頭の中でのあれこれがひと段落する。

俺は半ば仕方なくゲームに意識を戻す。さっきのミスはすでにリカバーできて、ゴーレムを攻める時間が増えてきていた。

同じ攻撃パターンを繰り返す。何回目かの攻撃でゴーレムはあ崩れ落ちて、あっけなく砂と化した。討伐画面に切り替わり、軽やかなファンファーレが流れる。

「はあー、やっと倒した」

思った以上に時間をかけてしまった。凝り固まった肩と背中を伸ばす。

「おつかれ。すごい集中力」

千春が隣から声をかけてくれる。

本当は、意識が散ってばっかりだったんだけどな。

「あ、そいや、千春いたんだった」

冗談めかして言ったつもりだったのに、千春は何かを飲み込んだような表情をする。

「…そこまで忘れるか」

「まあ、子供のころから千春が近くにいるのって自然なことだから」

会話を繋ごうと意識せず口に出した言葉に、今度は違う表情で千春が固まる。

顔に出すぎなんだよな、千春は。

気まずくて視線を外した先には壁掛け時計がある。時刻はまもなく12時。

「げ、すげぇ時間経ってる!」

いくらなんでもここまでとは思っていなかった。

「千春、終電やばくない?」

「…あ、ほんとだ!」

千春が立ち上がって、もぞもぞと身支度を始める。

部屋から急いで出る際、後ろからついてくる千春が小さくため息をついたような気がした。


 ◇◇◇


最後の電車が、千春を乗せて去っていった。無事に帰っていったことに対して、安堵と寂しさが入り混じる。

人けがなくなった駅は一気に無機質さが増したように感じた。

明るい駅を背に夜道へ足を向ける。つい先ほど二人で歩いた一本道が長く伸びている。

見通す先は信じられないほどに遠く、寒さが一層堪えた。

やっとの思いで下宿に帰り着いて、部屋の明かりをつける。

「あー、さむ」

思わず独り言を呟きながら、部屋のエアコンをつける。じわじわと部屋の温度が取り戻されていく。

壁の時計を見る。意外にも、うちを出てから30分も経っていなかった。

腰を落ち着けて、机の上に紙袋を置く。

そっと開けてみると、中には板状のチョコが入っていた。スーパーで見かけるのとは違う上質な白い紙で包まれた小ぶりのものだ。

すぐに開けるのが躊躇われて、包装を至るところまで確認する。カカオ80%のダークチョコレート。

記憶を遡ってみても、こんなちゃんとしたチョコをバレンタインにもらったのは初めてだ。

いや、友だちに買ったついでだと言ってたか。

俺は意を決して、丁寧に外側の紙を解いていく。銀紙からわずかに判別できる溝にそって指に力をこめる。

パキ、と小さな音を立てて割れ、中身があらわになる。ほぼ黒に近い、でも深みのある茶色。

かけらになったチョコレートを口に含む。

苦みが強いのかと思っていたので、その柔らかな味と舌触りに驚く。ほのかに酸味もある気がする。

これまでに食べたのとは違う。とにかく美味くて上等なチョコレートだった。

甘すぎないすっきりとした後味と、チョコを割る感覚の心地良さに、気づけば一口のかけらを残すだけになっていた。

俺は最後のかけらを口に放り込んで、そのままベッドに倒れ込む。

ホワイトデー何か返さないとな。

あとひと月先の3月14日。東京へ向かう直前だ。

その時には、何かが変わっているのだろうか。

俺は目を瞑る。口の中でゆるやかに苦味がほどけていく。

もう、いっそ時が止まってくれてもよいのだけど。

そう思ってしまうのは、卑怯だろうか。

そんな小さな願いに関わらず月日は流れていく。驚くほど駆け足で。

時というのは、こうも不条理なのだ。

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