君と紡ぐ物語
「日本人はバレンタイン商戦に踊らされすぎよ。好きな異性にチョコレートをあげるだなんてことをしているのは日本人だけなんでしょう」
「ただいま」とドアを開けた途端、同棲中の彼女がぼくの前に仁王立ちしてそう言い放った。
「そ、そうだね」
「そうなのよ」
我が意を得たりと彼女は大きく頷いた。
「そもそもバレンタインはローマ帝国帝王が結婚禁止していたのに反対していた司祭が処刑された日なのよ。それをこんな浮かれたイベントにするなんて」
「分かったよ。ここは寒いから中に入れてくれないかい」
「ちょ、ちょっと待って」
彼女はそそくさと部屋に戻っていく。がちゃがちゃという物音。
そっとドアを開けキッチンに向かう。
「そんな浮かれたイベントに乗ろうとしたのかい?」
ばっと彼女が振り返る。ばつの悪そうな表情を浮かべる。
「できるかなって思ったの……」
散乱している調理器具、部屋に漂う甘い香り。料理が苦手な彼女が何をしようとしたのかは一目瞭然だ。そんな彼女がかわいらしくて思わず頭を撫でる。
「何よ! 私は料理が苦手よ……」
しょげてる彼女に紙袋を渡す。
「はい」
「え?」
「日本人は好きな異性にチョコレートをあげるんだろ?」
「え……」
顔を赤らめて紙袋を握りしめる彼女をぼくは彼女の肩をたたく。
「さ、ご飯にしようか」
「なんで恋愛ものなの? 私違うのがいいわ!」
「恋愛ものが読みたいんだよ」
食って掛かると困ったような声でニコが答えた。
「私は冒険活劇がすきなの。恋愛ものなんて嫌」
「分かった、分かった。いつも通り君色に染めてしまっていいから。ここから冒険活劇にしよう。一緒に書こう」
ニコにそう言われるのが一番弱いのだ。私はしぶしぶ頷く。そもそも断れるとは思っていないのだから文句を言えば一つ気が晴れる。
「じゃ気を取り直して。この人たちのいる場所は?」
「恐竜たちの生きていた時代」
「そんな時代に日本なんて概念ないよ」
「タイムスリップしたのよ。白亜紀に」
「それじゃあこの人たちはタイムスリップできる能力・または機械を手に入れたの?」
「ええと、犬が掘り起こして見つかった」
「きみは犬に対して信頼をおきすぎだよ」
「犬ってすごいのよ! 違う言語の生物の言うことに従ったり、匂いでものを判別したりするの。そのうえモフモフらしいじゃない。見てみたいわ」
「……、きみの犬への愛は伝わったよ」
「犬が出てくるお話はないのかしら。この間の『吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。』っていうのは面白かったわ。猫って生まれた時からしっかり記憶があるのね。犬もあるのかしら」
「どうだろうね。君が猫ってあまりにも賢いわと感動して吾輩が宇宙征服していく話になったんだよね」
「ええ! あれは冒険活劇でとても楽しかったわ。ねえ、あの物語のほかのしっぽは見つからないの?」
「一部見つかったもののほかの部分が見つかることは滅多にないんだよ」
「そんなことは知ってるわ。言ってみただけよ。あのお話はどんな姿をしていたのかしら。あの猫名前はもらえたのかしら」
「どうだろうね」
「ねえ、犬の話にしない?」
「だめ。今日はこれだよ」
「ん、もう。まずバレンタインってなに?」
由来:バレンタインの由来は三世紀までさかのぼります。当時の皇帝クラウディウス2世は「残虐皇帝」という異名を持つほど戦争を繰り返していました。そして、強兵策のひとつとして兵士たちの結婚を禁止していました。しかし、皇帝の命令にバレンタイン司祭は強く反対し、多くの兵士たちを秘密裏に結婚させてしまいます。
「簡潔に説明して」
「このバレンタイン司祭の行為に怒った皇帝がバレンタイン司祭を殺す。その日が二月十四日だったため彼を敬して、贈り物を贈る日となったらしい。贈り物を贈るのは古代ローマのルペルカーリア祭、エリザベス王朝時代のイングランドの風習ともいわれており諸説あるとのこと。この文章の舞台は日本という国で女性が恋している男性に菓子を贈る風習があるとのこと。主な菓子はチョコレート。日本の菓子企業が大きく打ち出し日本で流行ったことから、冒頭のセリフが出ているのだろう」
「なるほどねえ……」
「ところで君は恋したことがあるかい?」
「ないわ。だから恋愛ものは難しいのよ。なんでこんな女が可愛いと思うのよ?」
「いわゆるツンデレというものではないだろうか。素直な態度が取れずに強がってしまう姿とか不器用な感じの不完全さが可愛いに繋がるのではと思うよ」
「確かにそれは一面としてありそうね。この間のあざと可愛いとはまた別ベクトルの可愛いね」
「そうだね」
「ねえニコにはバレンタインの体験はあるの?」
「ないよ。これを読んで知ったくらいなんだから」
「当時のバレンタイン再現してみない?」
「え?」
「物語にはリアリティが必要よ。日本のバレンタインは女性が恋している男性に菓子をあげるのよね。私がニコにあげてみれば何かつかめるかも」
「それは一理あるね」
「私、バレンタインを勉強するわ。一週間後また会いましょう」
バレンタイン再現日がやってきた。一時間外に出ていてと言われて数か月ぶりに外を散歩した。きっかり一時間後帰るとレシが出迎えた。見たことのない柔らかなワンピースに身を包み、長い髪は結ってある。
「お帰り。ご飯は用意してあるよ」
机の上にはデジタルの世界でしか見たことのない料理が並んでいる。
「これはオムライス、これはサラダ。あ、今日の主役のケーキも控えているよ。さ、食べて」
レシに見つめられるままに食べる。分かっていたが味は特にない。
「どうかな?」
「別に……」
「違うでしょ。ニコは私が好き。私はニコが好き。答えはおのずと変わってくるでしょ」
ぼくがレシを好き。レシがぼくを好き。そういわれると妙に意識してしまい、見つめられているのが恥ずかしくなり目をそらす。
「あー、目逸らした。こっち見てよー」
悪戯っぽく言ってじっと見つめてくる。
「見ません」
「けちー」
口をとがらせながらキッチンへと消えていった。見慣れているはずなのに好きと思うと可愛いと感じる気がする。体の知らない部分が高鳴る。
「ニコ、主役の登場ですよ」
お盆にチョコレートケーキ。くるりとまわりスカートを翻し机の上にお盆をおいた。
「お見事だね」
「練習したからね。ね、食べてみて!」
一口食べると甘さが口いっぱいに広がった。衝撃で手が止まる。今の時代、ダイレクトに口に広がる味などめったにない。
「驚いた? ケーキは主役だからね、ちゃんと調べて一から作ったんだよ。これ大変だったんだから」
「すごく美味しい。ありがとう」
相当苦労してこのケーキはできているのだろう。レシが頑張ったのが伝わってくる。じっと目を見て言うとレシは机とどんとたたいた。
「わ、これなんだろう。嬉しいけどそわそわする感じ。ね、これって恋なのかな?」
「そうだね、今日のレシはぼくのことが好きだからね」
「私、今恋愛もの文章にできる気がする」
「それじゃあ取り掛かろうか」
人間が生まれて数億年。物語と共に生きてきたはずなのに人々はだんだんと文字の物語を疎かにしていきました。紙に書かれた物語は徐々に肩身が狭くなり、本屋は次々と潰れ日常からその姿を消していきました。電子の本は生き残っていましたが目新しく分かりやすいコンテンツに人々は流れていき、実用的ではない物語を文字で読むという負荷のかかる行為に時間を割くものは減っていきました。需要が減れば供給が減る、自然の摂理で文字による物語は急速に廃れていきました。
文字による物語に誰も見向きもしなくなりました。動画、バーチャル体験が家でできるのにじっと文字を追い頭の中で物語を展開させるなんて手間でしかありません。
世界はくるくる進んでいきます。大きなデジタル改革があり、大きな戦争があり、常識は変わっていきます。
その頃には人は人間としての器がなくても生きていけるようになりました。寿命だって生きようと思えは永遠を感じる程生きられます。最低限の生活は保障され、手が届く場所に様々なアイテムが溢れ自由がありました。でも見慣れたものばかりで目新しさはありませんでした。
ある時一人の男が何の実用性もなにもない文章を見つけました。ただの文字の羅列なのに何故かその文字の人々が頭に浮かびます。男にとって初めての体験でした。紙にして一枚。男は何度も読み返しました。読み返す度風景が変わります。狂ったように続きを探しましたが見つかりませんでした。ほかのものも読みたい、その思いを胸に男は物語のしっぽを探し求めました。しっぽはちらほらを姿を現します。でもすべての正体は見えないのです。忘れ去ったものへの物語の反逆でしょうか。
男は思いました。正体が見えないのなら新たな姿を与えようと。でも自分では思いつきません。クリエイターに尋ねても文字の物語なんて何が面白いのと相手にしてもらえません。無理やりお願いしても変な光が飛び出したりと文字だけの良さがありません。装飾をなくすとのっぺりして面白さなどかけらもありません。文字の面白さを説いても伝わらないのです。
「旧時代のものなのだから、旧時代のアンドロイドなら書けるのでは」と自棄のような発想が浮かびました。人間を模そうと最も張り切っていた時代のアンドロイドで現代では実用的ではないと切り捨てられているアンドロイドです。肉体と感情を持たせようとしたが故、反発をくらい製造中止になりました。コレクターに大枚を支払い若い女性の姿を模したアンドロイドを購入し、物語のしっぽをたくさん読ませました。
「続きを書けるかい?」
「やってみるわ」
数日後、男の元に文章が送られてきました。それは読みたくて読みたくて堪らなかった物語のしっぽの続きでしたが、男が期待した面白さはありませんでした。
男は彼女に様々な物語を見せ、物語のしっぽの解釈を話しました。彼女はどんどん吸収し、男と対等に話せるようになりました。
「ねえ、あなた小説書けるんじゃない?」
あるとき彼女は男に言いました。
「そんなわけないじゃないか」
男にとって文字の物語は神聖なものです。そう簡単にできるわけがないのです。
「あなたはとても誠実に向き合っているわ。書けなくても思い描けるはず。きっとたくさんの物語は誰か一人の力でできたものじゃあないのよ。あなたと私、二人で創った方が面白いものができると思うわ。だって私たちには永遠にも似た時間があるのだから」
男はその言葉にハッとしました。彼女は微笑んで言葉を続けました。
「それにね、一緒に作った方が楽しいと思うわ」
文字の海で二人は冒険をして、恋をして、泣いて、笑うのでしょう。語り部のお仕事はここでおしまい。続きは二人が紡ぐことでしょう。




