表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
一 決意
8/70

1-2 溺れて掴んだ藁は

「あまり信じられない、です。奴隷商人が俺を狙うのは、何となくわかるんですよ。ナムゥや魔術(シーガ)が使える生き物を集める、信仰心のない物好きがいるって聞くから。でも、裏社会の全組織が? 俺を狙ってるって? いくらなんでも大袈裟なんじゃ――」


 震える声で紡いだ言葉は、無機質な床へと落ちていく。青年の黒い靴が視界に入って間もなく、ミシュアルは自身が俯いている事に気がついた。


「大袈裟じゃねえよ」


 重々しく聞こえる声に、項垂れたままのミシュアルからは「ああ」とも「うう」とも取れない声が返ってくる。打ちのめされた様子のミシュアルにため息をつきながら、青年は目の前にあるジンジャー・ブラウンの頭頂部を、何気なく見つめていた。


「確かに俺、ナムゥになって? ナムゥだと分かって? しまいましたけど。そこまで狙われる程、俺に価値があるとは思えないんですが」

「価値ならあるさ。今のお前は、今の裏社会じゃどこの組織も欲しがる『道具』だ」

「は? 道具?」

「ああ。裏社会の天下取りの道具さ」


 そう言葉を紡ぐ声は、ここにいない誰かを見下したような、不自然に明るい声色だ。発せられた雰囲気の、あまりの変わりように、ミシュアルはぶるりと体を震わせる。


「ナムゥってのは、元から裏社会じゃあ歓迎されてきた存在なのさ。使う魔術は警察共の捜査に引っかからねえし、もし悪事が露見しても、ナムゥに罪を全部被せちまえばいい。そうすりゃ、闇組織は安心して、悪事を重ねられるって訳だ」

「なっ、んだよそれ。道具って、そういう……!」

「おいおい、見た事がねえとは言わねえだろ? お前みたいに広範囲で働いていた配達員なら、尚更な。思い出してみろ、デカい家には一人くらい居ただろうよ」


 そう言われたミシュアルは、ある過去の記憶を引っ張り出す。

 フッサムではない、別の町での配達をしていた時だ。とある邸宅へ赴いた際、荷物の受け取りに現れたのは、一人の若い男性であった。服だけは清潔感があったものの、その出で立ちは邸宅の住民とは思えない程痩せこけていたのが、ミシュアルの記憶に違和感として残っていたのである。


「それがこの暗黒の世における、ナムゥの……お前やこの身の存在価値だ。それに、ナムゥの需要は年々高騰し続けている。想像は着くだろ? このまま迂闊に、一人で逃げ回ればどうなるか……」


 せせら笑うような言葉に、のしかかるようなプレッシャーが、ミシュアルの体を襲う。彼の脳裏に描かれるのは、記憶の男性のような身なりになった自分自身の姿。どことも分からない邸宅の中に立つ、骨と皮だけになった、老年に見える男性の姿であった。


「遠くない未来で、めでたくお前の知り合い(・・・・)の仲間入りだろうな。あっという間に、どこかの組織に捕まって、都合よく利用されて終わり。最悪バラされ……って、おい」


 青年の話が終わるや否や、いよいよ、ミシュアルの体は前へと崩れ落ちた。彼を支えようと、咄嗟に伸ばされた青年の腕に、ミシュアルはがっしりとしがみつく。歯の根が合わなくなり、ガチガチと震える体は力が篭もり、青年の左腕から離れない。

 込められる力に「痛え」と呻きながらも、青年はミシュアルを引き剥がそうとはしなかった。


「脅かしすぎたか? だがな、これが現実だ。お前を狙うものもそうだが、この世の中ってのは、そうなっちまってんのさ」

「そんな事分かってます! 分かってますけど、急にそんな、俺は今までそんなんじゃなかったのに!」

「あー……そうか。怖いもんは怖いよな」


 はっ、とミシュアルの吸い込んだ息が音を立てる。ミシュアルからすれば、強そうで怖いものなどなさそうな青年から、「怖い」という単語が出てきたのは衝撃的なことであった。


(この人も、怖いって思うんだ)


 それはそうだ、青年だって人間だ。自分とは違う世界の住民、生き物のように感じていたミシュアルは、己の価値観に恥ずかしさを覚えた。

 人間扱いされない現状を嘆いていながら、助けてくれた恩人を人間として見ていなかったなんて、昨日の街の住民達と同じではないか。内心で猛省するミシュアルの頭上で、青年の穏やかな声がする。


「お前の気持ちはよくわかる。この身もこうして組織を作る前は、お前と同じだったんだ。仲間もいねえ、周りは敵だらけ。誰だって怖いに決まっている。そんな中一人で、こうして生きのびたんだから……お前はよく頑張ったよ」


 しがみついた腕から伝わる体温に、ほんのりと安心感を覚えたミシュアルは、自らの腕の力を弛める。力の入りにくい体を、どうにか元の体勢へ戻そうとするも、恐怖に囚われて言うことを聞かない。


 そんなミシュアルの背を、青年は優しく撫でる。どこか冷たい態度と言葉が出てきた人間とは思えないほど、背に触れる手は温かい。


「そこでだ。なあ、ミシュアル」

「はい?」

「お前、この身の仲間にならないか?」


 背を撫でる手の押しつけが、ほんの少しだけ強くなる。それに反射的に背を反らせたミシュアルが、タンジェリンオレンジの瞳に映したのは、青年の柔く微笑んだ顔だった。

 しかし、凪いでいるのは青年の表情と心だけ。こんなことを急に言われては、当のミシュアルは混乱するばかりだ。


「なんで急に、そんな事を?」

「さっき言っただろ、闇組織はナムゥを欲しているって。それはお前だけじゃない。この身も、この身の仲間も絡んでくる話だ。一人よりも大勢で固まっていた方が、安心できると思わないか?」

「それは、そうですね」


 青年の言葉に間違いはない。投げかけられた声に、ミシュアルの背はきゅっと丸まった。青年が背を撫でる度、言葉が刷り込まれていくような心地悪さに、ミシュアルは力の入らない体をモゾモゾと動かす。


「でも、貴方達が何をやっているのか、よく分かっていない俺でも、力になれるんですか?」

「なるに決まってるさ、二人の男をぶっ飛ばすだけの魔術(シーガ)が発現できるんだからな」

「あ」

「そうだろう?」


 こくん、と頷いたミシュアルは、またしても悪くなった顔色を隠すように俯いた。


「今はこの身共が何をしているかよりも、大事なことがあるはずだぞ? 今置かれている現状打破のことを考えた方が、余程建設的だと思うがな」

「確かに……」


 ミシュアルがこうして肯定しか出来なくなるのも、彼の計算の内なのだろう。ミシュアルの体は、徐々に思考力を手放していく。


 穏やかな青年の態度から、安心の糸口が見えたと思えば、すぐにやってくる冷たい言葉に、少年の心は不安と恐怖に攫われる。そんな恐ろしい波の中、ミシュアルは尚も縋り付くように握りこんだ、青年の手を離せないままであった。


「それにお前は言ったじゃないか、『死にたくない』ってよ。昨日言ったことは……起こした事は、嘘じゃないよな?」

「それは嘘じゃないです!」

「ならどうすればいいか、分かるよな?」


 御為倒(おためごか)しの親切だったとしても、ミシュアルを助けたのは事実である。それを一番分かっているのは、ミシュアルの肉体であった。

 与えられた食事に布団、そして今、こうしてすがりついている腕の温かさが、ミシュアルの体の震えを宥めている。しかしその一方で、まるで蜘蛛の糸に絡め取られた羽虫のように、ミシュアルの精神を青年の『善意』が蝕んでいく。


 こうなってしまえば、もう逃げられない。


 乖離する心と体に吐き気を覚えた頃、ミシュアルはやっと意識的に口を動かした。


「はい。仲間になります。よろしく、お願いします……」

「ああ、よろしくな、ミシュアル。この身はバシャルと言う、闇組織『ヴァーサ・オーリ』の首領だ。まだナムゥの体にも、生活にも慣れないだろう? 落ち着くまで存分に頼ってくれ」


 撫でる手がようやく、ミシュアルの背から離れていく。動きを柔く封じていたバシャルの手が離れても、ミシュアルはじっと動けずにいた。


「お前も、お前以外のナムゥも、安心して暮らせる理想の社会を、この身は築く。その為には今の価値観を作っている闇組織の要人を、どうにかしてこちら(・・・)寄りの奴にすげ替えねえといけねえ……これにはお前の協力が必要なんだ。期待しているぞ」

「は、はい」


 視線を逸らした先の小窓には、無意識で見た時と同じ位置から、陽光が差し込んでいる。


(本当に良かったんだろうか……俺、ヒト殺しに加担させられたりするのかな)


 陽気な空模様とは裏腹に、ミシュアルの心には暗雲が立ち込めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ