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罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
一 決意
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1-1 朝を迎えて

『ミシュアル! お前、十五年間よくも騙してくれたわね!』

『母さんに近寄るな! 出ていけ、この悪魔!!』

『やめて、私の名前を呼ばないで、うわあああん!! お父さん、お父さあああん!!』

『今教会に連絡を……あっ! おい待て、どこへ行く!?』


 目を見開き、(おのの)く母。怒気に身を任せて殴り掛かってくる兄と、その後ろで泣きじゃくる妹。父は焦っているのか苦しんでいるのか、よく分からない顔で、ぬうっとミシュアルの肩に手を伸ばす。



 その刹那、ミシュアルは飛び上がって目を覚ました。


「うわあっ!!」

「おっ、起きた」


 辺りを緩く見回せば、昨日の青年が左脇の辺りにしゃがみこんでいた。

 紺色のターバンは相変わらず、右目を隠すように巻かれている。ややつり上がった、エメラルドグリーンの左目は、興味深そうにミシュアルを観察している。その瞳に、昨夜見た泡のような光は見られない。


(改めて見ると……この人、すっごい美人だな)


 夢から逃避したミシュアルの朧気な意識は、目の前にいる青年にぼんやりと向けられる。


 ターバンと同色の、質のいい民族衣装に身を包み、エキゾチックな雰囲気を醸し出す彼は、人目を引く美貌の持ち主だった。チョコレートのような肌色に、髪色は青みを帯びた銀色。瞳の色と相まって、何とも浮世離れした容姿であった。


「おい、いつまで放心してんだ。目が乾くぞ」

「……はっ! それにしても、なんで俺の部屋にいるんですか?」

「忘れたのか? 十時に部屋に行く、と言ったはずだが?」

「えっ」


 思わず壁に架かった時計を見れば、短針こそ十時を指しているとは言え、長針はとっくに真下を向いているではないか。悪夢に囚われていた時とは別の悪寒が、ミシュアルの背を冷や汗として伝う。


「まあ、あんなことがあってすぐだ。お前の負担を考えずに、予定を突っ込んだのは悪かった。しかしまあ、こんな時間までよく寝ていられるな。お前、長時間睡眠者だったりするのか?」

「いや〜違う、筈ですけど……」


 床に座っている青年の顔に、怒りの色は浮かんでいない。しかし、元から発せられている僅かな威圧感が、ミシュアルの口を意味もなく開閉させた。


(ばっっか、俺の馬鹿! いくら昨日はその……色々あったからって、約束をすっぽかすのはヤバい! 後暗い仕事をしているかも知れない人なんだぞ。機嫌を損ねたらどうなるか! いつもなら、朝日を浴びれば、勝手に目が覚めていたから……!)


 頭の中でつらつら並ぶ言い訳を、口に出すのをぐっと堪え、ミシュアルは慌てふためいた様子で、タオルケット諸々を適当に畳む。四角く見えなくもないそれらを部屋の隅に押し込んで、青年と同じく床に座る。


 ミシュアルはすうっと音を立てて息を吸い込む。昨日のような大声が来るのか、と身構える青年に向けられた声は、絞り出すようなか細いものだった。


「約束すっぽかして、本当にすみませんでしたっ!」

「いい、許す。次からでいい、お前が勤めていた運送会社の出社時刻と、同じくらいの時間には起きていてくれよ?」


 眉を下げて、どことなく小馬鹿にしたような笑顔のバシャルに、ミシュアルは再び「すみません」と謝り、はたと気がついた。


(俺、『運送会社に務めています』って、この人に言ったっけ)


 んん? と首を捻るミシュアルに、青年は意味深に微笑む。やがてチョコレート色の喉仏からは、くつくつと音が漏れ始めた。口角を上げ、目を細めて笑う青年に、ミシュアルは無意識に口を尖らせた。

 小馬鹿にしたような笑いを耳にして、何かおかしいことを言っただろうか、なんて疑問が浮かぶほど、ミシュアルは鈍感ではない。


「お兄さん」

「なんだ?」

「……俺の事、どうやって知ったんですか」


 ――昨夜接点ができたばかりの、他人から顔見知りになった程度の人間から、個人情報の一端を握られている。


 ただただ気味が悪い、という訳ではない。だが、気を緩めてもいられない。提供された住処と食事によって消えた警戒心が、またしてもピンと楽器の弦のように張り詰めていく。

 青年の目は、瞬きを忘れたミシュアルの、訝しげな瞳を映し……やがて、ぷっ、と吹き出した。


(何か、とても大変な事の中心に、自分がいる気がする)


 急に湧いてきた不安を飲み込みながら、ミシュアルは青年の反応を待つ。馬鹿にしている、と言うよりは、「いい顔になった」と喜んでいるようにすら見える微笑みを浮かべたまま、青年はゆったりと話し始める。


「それも含めて、これから話をする。昨日は時間が時間だったからな。今の緊張感のまま聞いておくといい」


 ヒリつき出した空気の中、まだ何も話し出していないうちから、ミシュアルの体は、型に嵌められたかのように固まってしまった。それを他所に、青年は形のいい口を開く。


「まず、お前の事を知っている経緯だが、好き好んで調べた訳じゃねえ、否が応でも耳に入ってきたんだよ。『ヤラナンで二年振りにナムゥが発生した』って、ある筋が盛大に騒いでいたからな」


 ある筋、と聞いて思い当たったのは、昨日遭遇したあの二人。確か彼らは奴隷商人と聞いたが……彼らのことだろうか。途端に彼らを殺した記憶が、水にインクを一滴、落としたかのように、脳裏に拡がっていく。


「ある筋って、昨夜の奴隷商人達の事ですか」

「まあ、そうだ。ナムゥに関する事ならば、奴らの耳の速さは情報屋以上だからな。昨日の朝から夜、裏路地に逃げ込むまでの間、ずっと表通りを出歩いていたんだろう? 目をつけられるわけだ」

「そんなことまでバレてるんですか!?」

「なんなら名前、住所、家族構成に仕事先……何から何まで裏社会で出回っているぞ?」

「えっ! やば、どうしよ、家族は無事――」

「今のところはな」

「そうですか、良かった。やっぱり、表通りに出たのはまずかったんですね」


 散々痛めつけられた腹を擦りながら、ミシュアルは目を伏せた。こちらにも事情があったんだ、といいだけな仕草であっても、青年の語調は変わらない。


「当然だ。地区が違えば死んでいたんだぞ? ヤラナンが、比較的穏やかな地区だったのが幸いしたな。だが、それを以てしても、目立ちすぎだ。奴隷商人以上に面倒な奴らが、血眼になって探している」


 その言葉に、ミシュアルははっと目を見開いた。

彼ら以上に厄介なものとは一体なんなのか、想像もつかない。

 恐る恐る彼の表情を伺えば、苦虫を噛み潰したかのような、渋い顔をしていた。しかも、気が落ち着いていないのか、時折目尻でパチン! とエメラルドグリーンの光が弾けている。


「お前、『自分が裏社会の全組織から狙われている』って言ったら、信じられるか?」

閲覧ありがとうございます。より良い作品制作のため、評価並びにご感想などいただけますと、とても嬉しいです。

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