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罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
五 理想との境界
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5-8 暗部への手招き

 どうしたものかと悩む心を誤魔化すように、文字通り、コーヒーに『口をつけ』て、シールゥは前方を無感情に見つめる。なおも言葉を紡ぐコフィの、よく回る口を。


(首領が言っていた通りね。イルヴァーシュの人間の多くは、学習力も思考力も身につかないまま、体だけが成長する。目的もあやふやのまま、ろくな手段も講じない……だからこそ、自分の感情に素直なまま、自分勝手に誰かを利用しようとする)


 シールゥは待つ。彼が孤独である他にも、抱えているだろう、解決策の見つけやすい悩みを零す、その時を。

 彼が自分を利用しようと、手を出てきた瞬間を狙って、自分がコフィを利用してしまえばいい。ヴァーサ・オーリに拾われてから数週間、バシャル達幹部からの教育を受けてきたシールゥは、すっかり人を利用するための悪知恵を有していた。


「俺、ずっと友達らしい友達がいなかったんだよねぇ。昨日までずっとヤジドの取り巻きの一人、ってだけで」


 苦しそうに眉を寄せ、カーペットに立膝を着いたコフィが続ける。彼の口から次々と出てくるのは、自分自身を取り巻く環境への不満と、それを解消する為に必要なシールゥの力に対する渇望だ。シールゥは相槌すら打とうとせず、いいから情報を出せと言わんばかりに、彼の目を見据える。


「昨日は無理やり『俺が次の統括になる』ように、その場の流れを作ったけどさ……あいつらがいつ、俺の座を奪おうとするかわからないじゃん。絶対的に信用出来る、イルヴァーシュの誰にも染まっていない仲間が欲しい。そんな時に現れたのが君だよ!」


 コフィはシールゥの両肩を掴むと、そのままカーペットの上に押し倒した。手付かずのコーヒーは倒れ、カーペットに染みを作る。


「……何を」

「俺のそばにいてよぉ!」


 シールゥは、自分の顔に影を落とす青年の、真剣な眼差しにほんの一瞬だけ気圧された。


 ――おそらく、彼が心の底から安心できると言えるのは、イルヴァーシュから脱退した時だろう。だが彼は、最も簡単なそれに思い至らない。これは学がないからと言うよりも、単純にこれまでの人生を半グレとして生きてきたために、他の生き方を知らないためだろう。また、他者から利用され続けた故の弊害でもある。彼の過去など、シールゥは知る由もないが、彼の態度から大体の予想は着いていた。


(自分に似てる。だからこそ、寄り添える)


 これまでの彼を支配していたヤジドは、シールゥを支配していたザカリーと同じで、暴力と暴言での支配が主なのだろう。

 ならば、とシールゥは両手を広げて、尚も床に自分自身を縫い付ける彼の首へと腕を伸ばす。


「シールゥ……」

「わかりました」

「えっ?」

「私が、いや、私達が貴方を支えます。そうすれば私達はきっと、寂しくなくなる」


 彼女の細い腕が、コフィの頭を平坦な胸へと抱え込む。突然の抱擁に、特別な意味は無い。以前の支配者が自分にしていた、慰めたフリの真似。腕という格子戸に相手を閉じ込めれば、否応なしに自分の声しか聞かなくなるだろうという、ただそれだけの理由で。


「寂しい……? 俺が?」

「はい。貴方のその口振りは、寂しい人がよくするものだから」


 骨ばった体の抱擁を、コフィは拒まない。というよりも、出来なかったのだ。彼はシールゥの胸に顔をうずめ、今までの人生で感じたことの無い安堵感を得ていたのだから。


(あったかい)


 シールゥの心臓の音を聞きながら、コフィは意識を手放した。安らかな寝顔にはうっすらとした隈、両手の爪全てには噛み跡があり、今まで受けたストレスの大きさを物語っている。


「こんなになるまで……」


 のしかかるコフィを脚で退かし、カーペットの上に転がして、シールゥはその寝顔を見下ろす。眉を並行にして、まるで氷水でも溜め込んだかのような、冷たい視線を頬に刺すように。


「くだらない男。この裏社会では、誰かに助けを乞うこと自体が間違い。誰も彼も利用してでも、自分一人で生き抜く強さが無ければ、あとは死ぬしかないのよ」


 シールゥはコフィに背を向けると、倉庫の外へと一人で向かう。薄く安っぽいトタン外壁から離れて、彼女が取りだしたのはバシャルから渡された通信機だ。


「こちらシールゥ。情報収集部隊(クルキ)のブームさんですか」

『ああ。聞こえてるよシールゥ。こんな時間に連絡を寄越したってことは、なにかあったね?』


 部隊の統括官である老婆の声が、シールゥの耳元に響く。相変わらず厳しげな口調ではあるが、その声色に微かな喜色が混じっているのは、彼女の気のせいではないだろう。


「私の所属した地区の新たな統括、コフィと名乗る男と接触しました。彼を利用して、仕事場への潜入を試みます」

『そうかい。で、この後はどうするんだい?』

「彼の昇進を手伝う振りをして、仕事場に私も同行させるように誘導します。彼が信じている味方は恐らく、私だけのようですので、現場に入り込む事自体は容易かと思いますが……その後、どうしたらいいのかが思いつかず……」


 途端に尻すぼみになるシールゥの声を、老婆の耳は聞き逃さない。受話器越しに聞こえる小さな溜息は、出来の悪い娘を労う、親がするようなものに似ていた。


『簡単だよ。あいつの言うことをなんでも、まずは肯定的に受け止めておやり。それに同調した振りをして、自分の意見で丸め込んでしまえ』

「でも、それだけで大丈夫でしょうか。私達のこと、信じてくれるでしょうか」

『信じる信じないじゃないよ、信じさせるんだ。肯定は過剰摂取すればいい麻薬になる、いい塩梅に調整してやんなさい』

「そんなの……!」

『それと、お前はあいつを操るんじゃなくて、寄り添うやり方を考えな。それが出来るのは、あいつと同じ目に遭い続けてきた、あんただけだよ』


 ふつり、と電話が切れる。受けた指示を反芻して、暫くその場に立ちつくすシールゥだったが、やがて意を決して倉庫へと踵を返した。その足取りは軽く、まるでこれからデートにでも行くかのようだ。


(このおばあちゃんは、いつでもそうだ)


 組織にいる誰も彼もが逆らえない威厳を有していながら、その裏では、優しく包み込んでくれるような優しさを持っている。シールゥからすれば理想の上司でもあり、記憶の中で掻き消えかかっている、自分の祖母のようでもあった。

 そんな彼女からの激励は、まだ幼いままのシールゥの心に、鮮烈な一筋の光(じしん)与えたのは、間違いない。


 倉庫の中では変わらず、コフィが床の上で眠りこけている。かさついた右手を彼の頬に当てると、コフィは無意識のうちに彼女の手にすり寄ってきた。シールゥは彼の頭を優しく撫でて、その白い耳に囁く。


「最後まで、味方でいてあげますから」


 思い通りに動いているうちは、とは勿論口に出すことなく、シールゥはコフィの隣に座る。そしてそうっと手を伸ばしたのは、ズボンのポケットの膨らみであった。お目当ては、彼の持つ一台の通信機。なんの偶然かは知らないが、シールゥの持っている通信機と全く同じ機種である。電源を入れると、すぐにホーム画面が出てきたあたり、ロック画面はないらしい。


 不用心ね、と内心独りごちながら、通知バッジの件数が百を超えている電子文書の送受信画面を開く。


(差出人は皆同じね。ハンデ……? この辺りではよくある女の名前だけど、幹部かしら)


 もし中を開いたとしても、未読に変更出来る機能がある事を確認して、シールゥはそっとコフィの顔を覗き込む。未だ穏やかな寝顔を晒す彼に、シールゥはほっと胸をなで下ろした。

 これほど深い眠りならば、文書を見てもバレないだろう。シールゥは恐る恐るボタンを押し、一番上に表示されている文章を開く。


『【お知らせ】昨日の午後十一時、ハンブワナ出身のヤジドが死んだ。十三番街担当の皆の意見を聞いた結果、ハンブワナ出身のコフィを十三番街の統括にするから、よろ』


 自分の目の前で起きた事から書き出された、昨夜の報告を読み飛ばし、シールゥの指は下へ進むボタンを押し続ける。やがて、ある程度スクロールしたところで、彼女はぴたりと指を止めた。


『【! マジやばい事! 】オヤジから聞いたんだけど、アズラクエーレの奴らに仲間が増えたらしい。人数は分からないけど、五人より多くないだろうって。あと、あっちに寝返ったと思われる二人を、今日の午前中に消した。皆も怪しいヤツや新入りに気をつけて』


 文面を何度も読み返して、シールゥの背に冷や汗が伝う。


(ヴァーサ・オーリ以外にも、彼らを内部から好きにしようとしている誰かがいる、ということ?)


 存在を早く見つけることが出来て良かった、という安堵よりも、シールゥの心を占拠していたのは、底知れぬ不安と不信感であった。

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