4-9 報復絶倒
任務開始前の頼りない雰囲気から一変し、鋭い殺気を纏うカルーフに、思わずヒルバーは感嘆の息を漏らした。人間一人を視線だけで殺せそうな程の殺意が、バーミリオンカラーに変化した瞳から発せられる。
(これはこれは! 一体どんな心境の変化なのでしょう?)
前のめりになるヒルバーの視線の先で、はくはくと口を動かすだけのユスリーの真ん前で、カルーフは深呼吸を繰り返す。ここに立つまで切り捨てた物を、断片的に思い出しながら。
――任務のため、果ては自分が組織の中で生きる為に、誰かを殺す。フッサムでの初任務の時は口先だけに終わった、命のやり取りをする覚悟はもう、彼には充分できていた。
防壁にピッタリと付けられていた右手がするりと静かに離れていく。何が始まるのかと見守るワリフィリンの前で、カルーフは勝手に動いていく自分の体を、どこか他人ごとのように感じていた。
(不思議だ。誰に教えてもらった訳でもないのに、こうすればいいって分かる)
生まれながらにして体の動かし方がわかるように、どうすれば自分の力を望む形に出来るのか、彼は薄らと理解していた。
痛々しい光景に半開きだった瞼はしっかりと開かれ、充血気味の眼球を覗かせる。防壁の向こうへと向けさせる。赤が混じりはじめたその先では、眉を寄せるシャムアと泡が、浮き沈みを繰り返していた。その有様を隠すように、カルーフは防壁に着けたままの左手を、視界の真ん中に滑らせる。その上から右手を乗せて――
「はぁっ!」
気合いの入った声と共に、カルーフは両手に力を込めた。ぶわん、と防壁が撓んだかのように波打つ。安全地帯が脅かされるのではと息を飲む仲間達だが、その心配は杞憂に終わる。防壁はすぐに元の板状に戻り、シャムアの泡が侵食しようとする傍から、生成を繰り返していた。
「あっ! あそこ!」
そして、元に戻った防壁から見える景色には、真っ赤な板状のものが、シャムアの頭上に浮いている。カルーフの防壁だ。
「ドールちゃん! あれに力を集中させて!!」
名を呼ぶ声に勢いよく頷くと、ドールはカルーフの手に小さな手を重ねる。二人の魔力が混ざり、シャムアの頭上の板は、淡く白い光を放つ。
そして、板が一瞬だけチカッと強く瞬いたその時。瞬間移動でもしたかのような速度で、それはシャムアの体へと落下した。パチンと泡の潰れる音の中、ミシミシ、バキン! と音が鳴る。今まさに、盾の下にある彼女の骨が、内臓が、全てが潰れているのだ。その圧に耐えきれなかったのか、指の隙間から見えた彼女の手足は、既にちぎれて泡に溶かされていた。
「お姉さん……ごめんなさい」
防壁をさらに分厚くしながら、カルーフは祈るように独り言を紡ぐ。
「この命は、諦めてください」
今にも泣きそうな声が、防壁下で無惨な姿になっているであろう彼女に響いたかどうか、それは分からない。
間もなくして、ふっ、と手元に感じる反発が消え失せた。見れば泡はドロドロと緩やかに溶け落ち、シャムアと思わしき人型はどこにもない。あまりの加圧で、潰れて爆ぜたのだ。
残された泡の塊と大地からは、微塵も生命の気配を感じられなかった。自分の手で彼女を殺めたという事実が、重く心にのしかかる。
「自分を責めないで、カルーフちゃん。正しいことをしたのだから、もっと誇っていいのよ」
「そうだよ。敵だけど、苦しくないようにしてあげたんだよ!」
「……ですよね」
殺人の事実を、救済の言い訳でコーティングして、カルーフは俯く。
そんな彼もまた、長時間かつ強大な魔力の行使で、魔力狂乱になりつつあった。意識が薄れていくにも関わらず、魔術だけが勝手に出力を上げて発動している。その感覚は、体の端から皮と肉が剥げ、神経という神経が焼かれるかのよう。
(あのお姉さんは、ずっとこの感覚の中にいたのか)
なら、殺して正解だったのか。頭まで回らなくなったカルーフの体に、ヒヤリとした何かが入ってくる。ドールの魔力だ。
「えーと、ドールちゃん?」
「あっち! あのおじさん、逃げちゃうよ!」
ドールが指差す先には、足をもつれさせながらも走るユスリーと、それを楽しげに追うヒルバーの姿があった。
途端、カルーフの目は開かれる。先程までの失意はどこへやら……否、どこにも行くどころか、新たに湧き出した感情に上乗せされていた。
――その感情こそ、怒り。カルーフの目は、充血と魔力狂乱で赤く染まった瞳の色によって、全面が血色の殺意に染まっていた。
あいつさえ居なければ、お姉さんだってこうならずに済んだのではないだろうか。そればかりか、フッサム拠点支部にいた彼女も、自爆の命令を受け入れる程、心身共に負傷することも無かったはずだ。
溶けた銅を腹に流されたかのように、怒りはぐつぐつと煮えくり返る。あのヒトだけは、確実に自分がカタをつけたい。それだけは、分不相応だと言われても譲れない。音という音が遠のいた後、我に返った時にはもう遅かった。
気がつけば、覚えたての魔術の遠隔発動で、ユスリーの眼前に防壁を突き刺していた。彼が尻もちを着いたのを見下げると、先程作った防壁エレベーターを応用して、全員を土のある場所へと下ろす。
薄くなった床を飛び越えて、大地に強く足を踏み込んだ瞬間。無様にぶつかって転んだユスリーと、真っ赤なカルーフの視線が交わり……今に至るのだ。
「おま、お前が、お前が殺したのか!? あのクソナムゥを!」
「殺した? お前が盾にした彼女を楽にしただけだ。ヒトのお前より人道的だろ」
身勝手な怒号に対し、カルーフは冷淡に返す。それを面白がってか、ヒルバーは彼にナイフを無言で渡して、様子見と言わんばかりに下がってしまった。カルーフの怒りが見たい、と言うよりは、ユスリーの命乞いに興味があるのだろう。
その間にもユスリーは、尻を庭の土で汚しながら、じりじりと後退りを始めていた。
「い、いいのか……? 俺が死ねば、裏社会の均衡が崩れるぞ? 方々の組織に、武力提供をしていたのは俺達だ! そうなれば!」
「そんなの知るか。俺はお前をやっつけられれば、それで任務完了なんだよ」
「ひっ……! な、なあ、そこの女! お前が、部隊長なんだろう!?」
「そうよ?」
「なら分かるよな、俺が殺されたと知れば、他の組織も黙っちゃいねえって。特にサリニャックさんは報復だってするだろうよ! そうなれば、お前らは終わりだ!!」
「あら、あちらから来てくれるなら好都合だわぁ〜。特に貴方みたいな、ナムゥを使い潰すクズ組織の親玉ならね」
ひょっこりとカルーフの背後から顔を出したフォーネは、ユスリーの叫びに余裕綽々と答える。穏やかな笑顔に、どことなく嘲りが伺えるのは、その言葉のせいだろうか。しかし、ユスリーからすれば死刑宣告も同然。血の気が引いた彼は、どうにかして命乞いの言葉を紡ごうと口を動かす。
「そ、そうだ! なら俺を傘下に入れてくれよ! お前らもカルカテルラの後釜を狙ってるんだろ? 俺はあのアシュラフィブの一翼を担う、サリニャックさんと繋がりがある。俺の人脈を使えば、すぐに裏組織の上との接点ができるぞ! な? 得だろ!?」
「呆れた。貴方はその組織の下請けの下請けでしょう。私達はなにもアシュラフィブ……裏社会の最上層との接点なんて、特別欲しいものではないの。欲しいのは貴方達、緋色のたんこぶの命なのよね」
「せっかくの機会だぞ、正気かよ!? あのヒト達は、俺達に栄華をもたらせてくれる存在だぞ! 俺と――」
「――『裏社会全てに、ナムゥの理想郷を築く』」
フォーネの口から発せられた大声に、ユスリーはピタリと自らの声を止めた。彼女の隣に立つカルーフもまた、加入の際にバシャルから一度聞いたきりであるそれを耳にして、思わず目を見開いた。
「これがヴァーサ・オーリの信条にして最終目的なの。ナムゥを道具として使う、今の社会を作りあげたヒト達を滅ぼしこそすれ、追従するなんてありえないわ」
「ヒト様に劣るケダモノ風情が、一丁前に裏社会の征服でもするつもりか!? 神に恨まれた種族なんざ生きる価値もね」
だが、その続きをユスリーが口にする事はなかった。首に熱い感触が走ったかと思えば、視界はぐらりと右に傾ぐ。薄れていく意識の中でユスリーが見たのは、酷く冷たい目をしたカルーフと、彼が持つ血塗れたナイフであった。
「生きる価値もないから死ねと命令したのか。盾として命を使ったのか」
「えぇ……っ」
「なら、お前も死ぬべきだ。俺からすれば、お前なんて生きる価値もない。死んで、これまで使い潰したナムゥの皆に詫びろ」
怒りで視界にノイズが走る中、カルーフはナイフの柄を強く握りしめ、ユスリーの胸に突き刺した。




