4-7 静かで冷たい圧
「おいどうすんだよテメェ!! 俺の城だぞ!? この落とし前、どうやってつけるつもりだ!!」
「すみません、すみません」
辺りを見回したカルーフの目はやがて、倒れたパキラの木の根元に立つ、ユスリーとシャムアを捉える。遠巻きに見る限り、どちらも服が溶けているくらいで、目立った傷は見当たらない。ただひとつ、ユスリーの自尊心を除いて。
あの大きな屋敷は、彼のプライドそのものだった。築き上げてきた富と権力の象徴であり、荒くれだらけの組織を纏めあげていた己の腕前の具現。例え中がゴミだらけであろうとも、悪臭がしようとも、彼があの場所を特別視していた事実は変わらない。それを泡で溶かされたとあっては、ユスリーの怒りも最もだろう。
「ったく、沈めるのはアイツらだけでいいんだよ」
シャムアの前髪を強く掴みあげるユスリーが、ふとカルーフ達の方へと顔を向ける。その濁った目と視線が合った瞬間、彼の顔に赤みが差した。まるで何か珍しいものを見つけたかのように、ユスリーの口は端が吊り上がり、笑みを作る。
「なんだぁ? まだくたばってなかったのか――っ!?」
だが、自分だけが無事だと、油断していたのが運の尽き。口角を上げる僅かな時間の内に、戦闘員であるドールとワリフィリンが走り出す。ドールは鋭利な氷の針を六本生成し、勢いよく放つ。直線的な針の軌道の隙間を縫って走る、ワリフィリンの手には、カルーフの腰にあったナイフが握られていた。
「おっ、おおぉぉぉ!?」
突如として始まった猛攻に、情けない声を上げるユスリーだが、彼は腐っても元軍人。雄叫びとも悲鳴とも分からない声を上げながらも、ドールの氷の針を、最低限の動きで全て躱してみせる。それどころか、ワリフィリンのナイフを、刃の溶け落ちたナイフの柄で受け止め振り払う。流石に体格差だけはどうしようもならなかったのか、ワリフィリンは勢いよく地面に倒れ込んだ。
「オラァ!!」
「クソ、馬鹿力め」
「なら任せて!」
追撃のため、すかさずドールが氷の針を再度生成し、投擲する。先程のものとは違う、氷柱のような太いそれが何十本も宙に浮いている光景は、明確な殺意を醸し出している。そればかりか、針の後ろにはさらに別の氷の針が、空中で出番を待っていた。確実に、ユスリーをここで殺す。そう言いたげなドールとその氷の矛先だが、彼を絶命へ導けずに終わる事になる。
「お前もちったぁ役に立ちやがれ!」
「え?」
ワリフィリンを振り払ったユスリーが、勢いのまま鷲掴みにしたのは、ボロボロのシャムアの服。丸太のような腕が彼女を捉えたと思えば、彼女は地面から引き剥がされ、ユスリーの眼前へと晒された。直後、襲い来る冷気の中で真っ赤な血飛沫が上がる。盾にされた彼女の唖然とした顔は、体は、氷の猛攻よって次々と抉れていった。
「う、あぁ゛、オッ……オ゛」
「きゃっ!!」
「あちゃあ」
彼女を取り囲む氷が、ようやく止まった時。全員の目の前には血と肉の塊が一つ転がっていた。四肢こそ原型を留めているが、どこもかしこもズタズタに裂かれ、泡が作り出した地面のように、穴が空いている。シャムアの断片が辺りに飛び散る中、動いた者が一人……カルーフだ。
「お姉さん! 良かった、まだ息がある。手当したら助かるかもしれま――」
フォーネの方へ振り返ったカルーフの背後で、ゴボ、と音がした。慌てて音の発生源へ視線を向ければ、倒れている彼女の体から、赤く変色した泡の塊が生成されている。それも、先程見たオリーブ色の泡よりも、生成速度が段違いかつ大きいものが。泡は彼女の体を伝い、みるみる地面へ零れ落ち、周囲のもの全てを飲み込もうとするかのように広がり続けていく。
「皆、走って! 外壁の方へ向かいなさい!」
「うん!」
シャムアをどうにかしたいとは思うものの、今のカルーフにそんな余裕などない。必死に足を動かしている間に、屋敷に落ちていたゴミも草木も、石造りの柱や噴水すら、ドロドロに溶けていく。やがてシャムアと泡は、律儀にもユスリーだけを残して、泡の中に消えてしまった。
先程と同じように、魔術防壁で安全地帯を作れば大丈夫。そんなカルーフの慢心を嘲笑うように、泡は頼りの防壁すらもじわじわと溶かしていく。所々が消えつつあるオレンジ色の向こうには、赤いシャボン玉のような光を放つシャムアが浮かんでいた。このままここで手を拱いている間にも、泡は庭のものを溶かし続けていくだろう。
「まずい、この泡。さっきまでと勝手が違いすぎる!」
「そうね。見るからに魔力狂乱が起きてる。これは早く方をつけないと」
「イダ、ブ?」
「うん。あれねー、いっぺんに魔力を使うと起こるの。魔術をね、止めたくても、止まらなくなっちゃうの」
「だから瀕死なのに、魔術を……」
「で、結局どうする。これ」
今まで聞いた中でも、一際はっきりとしたワリフィリンの声に、カルーフの意識は動揺から無理やり引き戻される。
――そうだ、哀れむ暇など無い。彼女が失血死するのが先か、自分達が魔力を全て奪われ、地中深くまで沈んでしまうのが先か。今はこの瀬戸際にいるのだ。徐々に沈んでいく体に比例して、カルーフの心にも暗雲が立ちこめる。
「使っている本人も、この魔術を止められない。それはもう確定なんですよね」
「ええ」
「なら、俺達で止めます」
それはつまり、シャムアを殺し、強制的に魔術を解かせるということ。フッサムででは徹底的に回避したその選択肢を、カルーフは今、ここで選ぼうとしていた。過去の名を捨てた今こそ、可哀想と思う心に蓋をする。
「わかった。ならこれがいい……ドール」
一体何故彼女を、と小首を傾げるカルーフの前で、ドールの瞳は夜の山の吹雪のように、激しく青く瞬き始めた。明確な指示は無いものの、彼女は何を求められているのか、理解しているらしい。
「ドールちゃんの魔術って、氷ですよね。それで何を?」
「……二つ目の固有魔術を使う」
「えっ? 二つ目?」
「ナムゥによっては、固有魔術が複数あるのよ。それよりもどう? 出来そうかしら?」
「うーん、大丈夫かな。上手くできるかな」
幼いドールが保有している固有魔術。それは何も氷の生成と放出だけではなかった。『局所的な重力操作』――それが彼女の有する、第二の固有魔術である。この力を使えば、シャムアの命など容易く潰せるだろう。
と言っても、この力は七歳の子供が持つには危険すぎた。出力の調整は出来ず、対象となる物を天高く吹き飛ばすか、地面へ押しつぶすかのどちらかになる。もしも魔術を行使する場を間違えたならば、最悪全員死ぬに違いない。
「潰しちゃわないかなぁ、皆のこと」
「だぁいじょうぶよぉ、ドールちゃん。あれだけ練習して、ちゃんと場所を決められるようになったじゃない?」
「それに、やらないと……皆死ぬ」
「なら、わたし、頑張る!」
ドールは勢いよく頷くと、両手を前に突き出す。すると彼女の前方の空間が、やおら上下に振動を始めた。その振動が落ち着き始めると同時に、一同の頭の上に微かな圧がかかる。思わず身を屈めるカルーフに、ドールは大人びた声で「大丈夫」と口を開いた。
「潰れてね、お姉さん」
ぽつりと呟いた、無感情に響く少女の声。か細いそれが泡の中に掻き消えた直後、シャムアのいる辺の泡が凹の字に歪んだ。赤い泡は爆発するように弾け、泡の中で溶けかけていた木々は、平たくなったかと思えば、あっという間に見えなくなった。これならば、シャムアも――
「ぅ、あ」
「えっ」
「ああああああああ!!」
しかし、彼女も命が懸かっているのだ。そうあっさりと死んではくれない。彼女の頭上では、煮え立つ鍋の中身のように泡立つ赤い泡が、加圧に負けまいと抵抗を始めた。二倍速でも掛けられたかのように吹き上がる泡は、ドールの平常心を容易く崩していく。
「ど、どうしよう! 潰れないよぉ! こんなこと、今まで無かったのに!」
助けを求めて縋り付くような視線に、まず動いたのはフォーネである。彼女はドールの肩に両手を置き、魔力の供給に入ったが、それでも今の出力が限界である以上、状況の打開は出来ていない。
(つまり……叩き潰せれば、いいんだよな?)
カルーフは瞬きを忘れた目を見開き、両手に全意識を集中させる。今、彼の脳裏に思い描かれている魔術の完成系は、これまで一度も挑戦したことがないもの。失敗する確率の方が高いだろう。しかし、成功率の低さは、やらない理由にはならない。
「ドールちゃん」
「ん? なぁに?」
「重力の魔術の範囲なんだけど、俺の魔術の上に集中させることって、出来るかな」




