4-4 悪巧みはあちらにも
ワリフィリンを待つ間、何回壁掛け時計の秒針の音を聞いただろうか。フォーネの話が一段落ついたのを見計らったかのように、部屋の扉が三度叩かれた。
「戻った」
「無事で何よりだわ〜。で、館内の様子はどうだったのかしら」
「……見ればわかる」
手渡された彼のタンマツの画面には、現在地を示す館内図が表示されていた。いくつかある書き込みは、恐らく彼がその場で書いた、構成員のいる位置だろう。
「まさか、この赤い点って敵ですか?」
「そうみたい。見る限りあの大部屋に集まっているのね。でもこれを見た限り、三階の廊下には四人いる……見張りかしら?」
「……だろうね。あとは階段に二人と、玄関の辺りに二人で、警備らしいのは合計八人。用事があるのは二階から上だから、階段のを始末すればいい」
「やった、六人で済む」
両の手に力を込めるドールに、カルーフはゾッとした。人を殺すって言うのに、『良かった』とは何なのだろうか。思わずドールを見つめるカルーフへと、彼女はぱちぱちと目を瞬かせた。
この少女にはもう、人間を殺すことへの忌避感はないのだろうか。それとも、殺人という行為そのものに慣れてしまったのだろうか。自分の肩までしかない小さな少女の姿から、彼は確かに得体の知れない恐怖を感じ取る。
背に冷や汗が伝うより早く、目をむいたまま固まったカルーフの鼓膜を、フォーネの空咳が打った。
「じゃあ、静かに階段まで行きましょうね。ワリフィリンちゃん、ドールちゃん、階段の二人をお願い」
「あいっ」
「……了解」
「カルーフちゃんは私と、後方の警戒を。いいわね?」
「は、はい!」
カルーフは我に返り、慌てて屋敷の内へ続く扉を開く。キッチンルームから廊下へと足を踏み出す彼らの手には、屋敷の間取り図が表示されたタンマツの画面があった。
一行は足音すら立てずに廊下の角を曲がり、すぐに視界に階段の側面を捉える。ドールとワリフィリンが姿勢を屈ませ、走り出そうとした、その時。
「ちくしょおお〜、俺だってやれる、やれるんだよぉ」
「まあまあ落ち着けって、お声がかからなかったのだって、お前の腕が悪いわけじゃないんだから。運がなかっただけさぁ」
「まだ吐くなよ、まだだからな」
男三人の声が、微かに彼らの後方から聞こえてきたのだ。カルーフは背筋が凍るような感覚に、ぐっと自身の右拳を硬く握り込む。
ふと間取り図を見れば、この廊下は中庭を囲む部屋を一周するつくりになっていた。つまりこの曲がり角で、構成員と鉢合わせてしまう可能性が高いのである。
危機感を募らせる一行とは裏腹に、男達に緊張感はない。千鳥足になりながらも、なんとか廊下を歩いている男を宥めつつ、二人がその両脇を抱えている。両脇の男も中々臭うが、一番なのはやはり真ん中の男だ。護身用の銃をブラブラと無防備に下げて、なんと泣きじゃくっていた。
「――しかし、ホントにやるたぁな。弱小組織の拠点襲撃とかよぉ」
「ああ、しかも三点一気にだぜ? そこにいるのが丸腰のヒトだっていっても、人数が少なすぎやしねえか?」
「それ。マジであのヒト、最近おかしいよな」
「うぇえええっ、だったらよお、だったら尚のこと! 俺を呼んでくれなかったんだよ、うえっ」
「おいおい泣くなって! 気持ちは分かるけどな。でもよ、この機会を逃す手はないぜ?」
「ああそうだぜ、兄弟。俺たちみたいな下っ端は使い捨てなんだ。もし今回の任務で、出払った幹部に何かあったら――」
「そう、幹部になれるかもしんねェ! だから寧ろ作戦が失敗するように、トゥラーゾ様に祈ってろって!」
徐々に迫る、蒸留酒の臭いと、男達の話し声。カルーフは緊張で乾いていた唇を舐め、肩を強ばらせた。
仲間が戦いに行っているってのに、失敗してくれと祈る彼らが恐ろしい。今後ろにいるのは、本当に人間なのだろうか? 敵ならまだしも、味方の失敗、死を願える心境など、カルーフには到底考えられない。
やがて男達は笑いながら、しかしゆっくりとした歩調で、カルーフ達が先程までいたキッチンルームへと消えていった。男達がこちらへと向かって来なかった幸運を喜びつつ、改めて前方へと視線を向ける。
「……前方、階段に二人。他はなし……たったこれだけだ、行くよ」
「カルーフちゃん、行くわよ。あんな共食いする虫みたいな奴ら、気にしちゃダメ」
「は、はい」
ワリフィリンとドールは素早く玄関ホールへ飛び出し、階段の方へと向かう。その後に続いたカルーフは、背後の扉がバタン! と閉まるのを聞き届けてから、慌ててその後を追った。
(屋敷の中はあんな大惨事なのに、ここだけ綺麗なんだな)
ホールは廃れていても尚、作られた当初の荘厳な佇まいを、忘れてはいない。侵入者たる彼らを出迎えるのは、黄色っぽい光を放つランプの群れ。伝統的なガラス細工から零れる光が、ぼんやりとした影を作り出し、その場にある姿を朧げにする。ホールの奥の暗がりには、上階へと続く階段があり、くすんだ色のカーペットが敷かれていた。
贅沢ながら、どこか陰鬱な雰囲気を漂わせる玄関ホールの階段の前には、警備役の構成員が二人並んでいる。重たそうな拳銃を手にした彼らは、先程の酔っ払っていた構成員達とは、同じ組織の人間とすら思えない。
「……向きからして、僕のでは無い」
「み。じゃあ、あそこの、やっつけるね」
どう突破したものかとカルーフが悩んでいるうちに、足元をひとつの影が駆け抜ける。先手を打つべく、ドールが駆け出したのだ。
たんっ、と軽い足音が絨毯に吸い込まれるのと同時に、彼女の深海色の瞳が輝き始めた。寒空の下のダイヤモンドダストのような光が、ドールの目元でチカチカと吹雪いては消えていく。光を散らしながら走る彼女は、絵本の中で見た雪山の妖精という名の幻想種に似ていた。
だがしかし、彼女はナムゥ、妖精のような儚い存在ではない。ドールの背後には、二本の鋭く細い氷柱が二本生成され、彼女の周りを浮遊していた。寒気を纏ったそれが、ひゅっと前へ向けられる腕の動きに合わせて、まるで弾丸のように飛んでいく。
「ナム――」
「侵――」
ドールに気付いた男達が口を開けるが、意味のある言葉を紡ぐ間もなく、氷柱が彼らの首に突き刺さる。喉仏ごと声帯を貫かれた男達は、目を剥きながら床へどさりと倒れ込んだ。ぷしゅ、ぷしゅとかすかに噴き上がるどす黒い血に、カルーフは思わず足を止める。だがその強ばる肩を、ぽんと叩く手があった。
「ほらほらカルーフちゃん、行くわよ〜。ドールちゃんはおかたづけ、よろしくね」
「はぁい! きれいきれい、すゆ!」
呼びかけに応えたドールの声は、妙に明るく弾んでいた。まるで地面に落ちた蝶の羽を毟る子どものように、無邪気な残酷さを滲ませている。やがて聞こえ始めたミシミシ、パキパキと何かが軋むような音に、カルーフはひくりと顔をひきつらせた。今頃自分の後ろでは、男達が氷漬けになっているのだろう。その後は――
「……どうした、ボサっとするな」
「はいっ、すみません!」
段差を飛ばし飛ばしに駆けながら、カルーフは背後の惨状を想像しないよう、がむしゃらに足を動かす。目指す先はユスリーの私室。目的地はすぐそこだ。
一方その頃、肝心のユスリーは部屋の中でシーシャを嗜んでいた。
まさかこの屋敷の中に、既に彼の命を狙う者が侵入しているなど、夢にも思っていない彼は、黄ばんだベッドの上で寝転んでいる。その様子はいつもと何も変わりなく、これから起こる悲劇の予兆など、微塵も感じてはいないようだ。
「ふふ、ふっふっふ……」
気味悪く笑うユスリーだったが、彼の心は現実世界にはない。
――彼の脳裏には、見たこともない男が、足元に這いつくばっている姿が浮かんでいる。身なりのいいこの男は、ユスリーが妄想で作り出した、敵組織の『首領』だった。崩れた廃ビルは数多の死体が積み上がり、勝者たるユスリーの元には、自分に縋り付くあのナムゥの女――
(あはあ、最高だ。俺の『緋色の比翼』の実力をもってすれば、こんなのは簡単なこと! 俺が考えねえといけねえのは、をどうしてやるかだ)
男は確信を持って、再び煙を吐き出した。
あともう少しで、これが現実になると思うと、口角が自然と上がっていく。その後はどうしてやろうか、とまたしても妄想に入り込むユスリーの顔は、血色がいいを通り越して、ドスの効いた赤黒い色に変わってしまっていた。
(俺の縄張りで好き勝手しやがったんだ。そのツケは払ってもらうからな。まずは俺のものを返してもらおうか、なあ、ヴァーサ・オーリの野郎共!)
そう考え出したら、もう憎しみは止まらない。薬物混じりのシーシャの煙が、開いた窓の向こうへと消えていった。




