4-2 「汚ねぇにも程がある」
今正に外壁を突破して出てきたところは、丁度石塀の中心点かつ、屋敷の庭に面した場所であった。視界の両脇には、パキラにも似た背の高い木々が、敷地を囲む塀に沿って植えられている。
そのまま直進すれば、正面には三階建ての建物が二棟、真横に並んでいた。オレンジ色の夕日を受けて、左右対称に一行を待ち構える豪邸は、どこか威圧感すら覚える。
「……フォーネ。敵の頭は三階の自室で合ってる?」
「そうみたい。情報収集部隊の子達によると、今頃の時間は自室だそうよ? あと、構成員が住んでいるのは、私達から見て右側みたいね。左側は倉庫代わりだとか」
「左様ですか。では小生、これよりお役目を果たしてまいります」
離れていったヒルバーが向かうのは、左側。武器庫を抑えに行ったのだ。
緋色の比翼は、元々傭兵だった者から現役の殺し屋まで、幅広く戦闘経験のある人材で構成されている。正面突破を選べば、勝ち目はないだろう。もし隠密行動がバレて騒ぎになった時、数多の銃火器やナイフを相手に五人……ナムゥ四人に暗殺者のヒト一人で、数の暴力に立ち向かう羽目になるのだ。
ならばこそ、ユスリー殺害に向けてやることの一つは決まっている……武器装備の無力化だ。
(彼らの元々の所属は、傭兵や軍人の割合が高い。つまり彼らは、表の社会に属せる特徴を持つ『ヒト』であると想像つきます。どちらも所属期間中にナムゥかどうか、徹底的に調べあげられますからね。殺人鬼の方は……まぁ、フッサムで会敵した彼女の扱いを見れば、ナムゥである可能性は低いでしょう)
ヒルバーと同じ考えに至っているのは、ワリフィリンも、フォーネも同じ。去っていく彼の背中に、含みを持たせた手練の視線が向けられる。
人気のない外廊下を難なく通り抜け、ヒルバーを除く四人は、右手側の建物へと足を踏み入れた。足音もなく正面玄関を抜け、扉が半開きになっている大部屋へと駆け込めば、砂漠地帯にいるとは思えない、ベタベタと粘着質な足音が嫌でも鳴る。入る部屋を間違えた、とワリフィリンは嫌悪感を顕にした。
「うわっきったねぇ」
「正直ねカルーフちゃん……私も、ちょっと無理かも」
そんな反応をしてしまうのも、生理的に仕方がないと言えよう。床はどこもかしこも砂埃と泥で汚れ、敷かれた絨毯も所々に穴が開き、起毛の表面は黒ずんでいた。ツンと鼻をつく酸っぱい臭いは部屋の奥の隅から溢れ、ビニール袋すら溶けている有様だ。
床の惨状も中々だが、壁や家具もまるで嵐が過ぎ去った後のように荒れていた。窓は割れ、カーテンは破れ、家具は所々倒れている。その惨状を一望できるソファは腐っているのか、半分ほど中身が見え、バネが飛び出ている。
天井からは蜘蛛の巣がぶら下がり、所々こびり付いたカビなどは、今すぐにでも胞子を吐き出しそうな勢いだ。そして極めつけが、ヒビだらけの机の上に置かれた薬包紙と注射器が一式。どこを見渡しても見苦しい有様に、カルーフの喉から生臭い息がせり上がってくる。
(酷い、人間の住む家なんかじゃない。緋色の比翼の組員は虫なのか? それとも、今までゴミ捨て場で暮らしていた人間なのか?)
思わずそんな疑問を抱いてしまう光景を前に、カルーフもまた眉をひそめた。この中で生活するなど、まともな精神状態では不可能だろう。遅かれ早かれ、誰かしらが発狂するに違いない。
これでは新しい住まいを獲得するために、ヴァーサ・オーリのフッサム拠点支部を狙ったと言っても、妙に納得出来てしまう。
(いや、そんなこと考えている暇なんかない。今は――)
自分の頬を叩いたカルーフの思考は、そこで中断された。自分達の入ってきた入口から見て左から、男が飛び込んできたのだ。しかもその手に小銃を持ち、こちらへとその口を向けている。
「誰だ!」
――ダァン!! と盛大に発砲した弾丸は、カルーフの横を掠め、部屋奥の割れた窓ガラスへと消えて行った。
突然の轟音に固まったカルーフと対照的に、ワリフィリンが動いた。いつの間にか、彼の手に収まっていた小銃が、パン! と軽い音を放つ。男が二発目の引き金を引くよりも早く、放たれた弾丸は彼のターバンを貫き、額に撃ち込まれた。
「うぐぁっ」
「……まだ完全に死んでないようだけど、まあいいか」
「ええ、それ取るのぉ」
「……仕方ないだろ、これしかないんだから」
(バシャルさんといい、この人といい、やたら手慣れてるよな。何かを引き剥がすの)
――ヴァーサ・オーリには、倒した相手の服を剥ぎ取れ、なんて規則があるのだろうか。男はすっかり、ターバンとハジュルタを脱がされて、あれよあれよという間にパンツ一丁にされてしまった。シャツワンピースのようなそれをワリフィリンは躊躇無く被り、自分の服の上から袖を通す。多少着膨れしてはいるが、背格好だけを見れば、あの男に見えなくもない。
「これ、ちょっと大きいな……まあいいか。死体、どうにかしないと」
「だったらあそこに置けばいいんじゃないかしら」
フォーネが指さした先にあるのは、この部屋の悪臭の根源とも言える、隅に積み上げられたゴミの山。敵とはいえ、人間の死体をゴミとして捨てるのか、とカルーフは思わずフォーネの方へと視線を向ける。しかし彼女はさも当然のように頷くのみ。思わず周りを見回すカルーフだが、誰もフォーネの意見を否定しようとはしない。いとも容易く行われるえげつない行いに、カルーフの背に冷たい汗が流れた。
「うわ、酷いな……でも、隠せるだけまだマシか」
「くっちゃ、くしゃい」
「今晩まで、ユスリーを殺すまでの間、隠せていればいいわ」
ぽかんとするカルーフの眼前で、男は雑にゴミ袋の山に投げ込まれ、生ゴミを全身に被せられる。明らかに質量の増えたゴミ山を前に、ワリフィリンは細く息を吐いた。
「……じゃ、先にぐるっと見てくるから、適当にしてて」
「はぁ〜い」
ワリフィリンはフォーネの肩をポンッと叩くと、大部屋からさっさと出て行ってしまった。
そう、出ていってしまったのだ。
(今俺の近くにいるのは、フォーネさんとドールちゃん……って、これ中々まずいんじゃないか!?)
カルーフは慌てて周りを見回すも、部屋に立つ人間は、どう見ても自分とフォーネ、ドールだけだ。さあっと顔を青ざめさせたカルーフは、改めて二人の方へと向き直る。戦えるとわかっているものの、幼い姿のドールと、戦えるかも分からないフォーネの方へ。
「フォーネさん、ドールちゃん。ワリフィリンさん……でしたっけ? あの人が帰ってくる間に、別の部屋を探して避難しませんか?」
「なんで? わたし、臭いの我慢できるよ?」
「ちがうちがう、臭いからじゃないんだ。人がいつ入ってくるか分からないから、移動したいなって思ってるんだよ。さっき入って来た奴の他にも、まだ居るかもしれないだろ?」
「にゅーん」
自分の右肩に耳が着きそうなほど、ドールは首を傾げる。カルーフの言う事が理解できないのか、それとも理解する気がないのか……その答えは、フォーネの口から返された。
「でもねえ、多分もう遅いわよ〜」
「えっ」
「あそこ見て。もう来てるよ」
ドールが口を開くのとほぼ同時に、大広間の入口から、ドヤドヤと賑やかな足音が迫る。音からして、確実に五人以上はいるだろう。もうバレた、お終いだ。顔面を蒼白とさせるカルーフの首に、冷たいものが迫ったのは、まさにその時であった。




