3-11 フタをするもの
「それじゃあ皆、明日に向けて休みましょうね〜」
「ん。ねんねー」
「カルーフも早く寝るのですよ、では」
「首領、失礼いたします」
カルーフの決断を聞き届けるや否や、四人は早々に部屋から立ち去っていく。残るカルーフは、改めて欠伸を零すバシャルへと向き直った。
「……で? お前だけわざわざ残ったのは、どういう事だ」
「はい。先日のナムゥの女性についてなんですけど、シエノさんが拾ったじゃないですか。その後はどうなったのかなって」
カルーフが言うのは、フッサム拠点支部でライカと一戦交えた、あの女性のことである。
窓から吹っ飛ばした彼女は、ジグリス拠点支部の一室へ運ばれていた。荷台から降ろしても、あれだけ一夜を騒がしくしても、彼女はカルーフの前に姿を見せることは無かったのである。結局、刻印の儀の為に出立するまで、彼女は意識を取り戻さなかった。
だからこそ気になって仕方がないのだ。瞼こそ開いてはいるものの、他人どころか自分自身ですらも、拒むような瞳をしていた彼女のことが。
そんな彼の真ん前で、バシャルはすいすいと自身のタンマツに指を滑らせていた。傍から見れば無関心にも見える態度ではあるが、話を聞いていないわけではない。彼は探していたのだ、タンマツの画像の中から、彼女の写真を。
――カルーフと同い年くらいの女性と共に写る、穏やかな笑顔の彼女の写真を。
何故二人揃って同じ髪型にしているんだとか、『自己申告制天然ボケ』と書かれた謎のTシャツを、赤と青の色違いで着ているんだとか、ツッコミどころは多々あるが……そこは敢えて触れずにおくとしよう。
それよりも何よりも、彼女が元気そうなことに安堵したカルーフは、ほうっと胸を撫で下ろした。赤いTシャツのせいかもしれないが、少しだけ血色もよく見える。
「良かった……目が覚めたんですね」
「ああ。お前が刻印を打ったあの夜にな。内臓の損傷も、あと少しで治るそうだ。感情らしい感情は確認できてねえがな」
「そうですか……って、内臓の損傷? やっぱり窓から叩き落としたから!?」
「それもあるだろうが、それだけじゃねぇよ。オセロットが言ってたぜ、『こんな怪我はまず日常生活では起こりえない。彼女は激しい戦闘を繰り返す戦場で暮らしていたのか』ってな」
「それって、緋色の比翼の構成員が、元傭兵や殺し屋が殆どだって事と関係が?」
「無関係じゃあないだろうな。だがそれにしては傷跡が多い。しかも古いもんばかりだ。恐らくは……いや、よしておこう」
だがそれはカルーフの思考を止めるに及ばない。切られた言葉の続きは察しようとせずとも分かってしまう。
彼女達はきっと、緋色の比翼の組員から、日常的に暴行を受けていたのだろう。でなければ、あんな手練が全身ボロボロになるはずが無い。ぎゅっと瞑った目の、網膜の裏で、カルーフは迂闊にその光景を思い浮かべ、唇を噛む。
(こんな奴らばっかりなのか、裏社会のヒトってのは!)
知らず握り締めた拳の中で、爪が掌にくい込む痛みだけが妙に強く感じられた。
「カルーフ、過去よりも今に目を向けろ。今、この身共がすべきことはなんだ?」
「……明日の任務の、準備です」
「分かってんじゃねえか。ならとっとと休め」
「はい。ありがとうございます……おやすみなさい」
「おう、また明日な」
部屋を出て、もう歩き慣れた廊下をただ進む。天井の空を切りとったようなライトは、きらびやかな星空が映り込んでいた。人工の空とはいえ、心が洗われるような美しさに、カルーフは無意識に口角を上げていた。
(そうだ。俺が今あれこれ悩んだって、あの人には届かない。明日の準備を整えて、緋色の比翼を潰して……潰してから、考えよう。あの人もヴァーサ・オーリに来てくれないかなあ)
自室に入り、寝る支度を整えるカルーフの脳裏に浮かぶのは、本拠点の皆の事。闇組織の組員とその関係者とは思えないほど、暖かく迎えてくれた彼らの事である。
(仕事はおっかないけど、彼女もここに来た方がいいに決まってる。理不尽な暴力もないし、変に笑われたりしない。ここはそういう場所だもの)
そんなことを思いながらベッドに転がれば、疲労感と睡魔はすぐにやってきた。明日はいよいよ、フッサム拠点支部の敵討ちの日だ。
その緊張と興奮が眠りを早めるのは当然のこと。カルーフはそのまま心地良い微睡みに身をゆだねた。
「カルーフ、カルーフ」
名前を呼ばれて、意識は瞬く間に覚醒する。現実ではない、夢の中でだが、カルーフの感覚は冴えていた。自分の手を握り込む感覚も、どこか鼻を突く大地の匂いも、しっかりと感じ取れる。ただ、視界だけが朧気だ。視界に広がる一面の白の中で、名を呼ぶ声の主を探すことすら出来ないのだから。
(そういえば、昨日……もう一昨日かな。三日月が出てきた時も、夢の中だったな)
声も似ていることだし、またあの三日月でも出てくるのだろうか。数歩進んで振り返った先にいたのは、浮世離れした見た目の、見知らぬ女性だった。
ゆったりとした白いワンピースを纏う彼女から、カルーフは目が離せない。まるで作り込まれた人形のような顔、ふわりと花開くように微笑んだ。
「今日一日、刻印を通して見ていたよ。君、優しいんだね」
「は、はぁ、そうでしょうか……」
「そうだよ。だって自分を殺そうとした人間にすら同情して、助けようとまで思っているんだもの」
「同情……と言えばそうですけど。だって彼女、俺より酷い目に遭ってたんですよ?」
「だからといって、許すのかい? 彼女、君諸共仲間を殺そうとしたけど」
カルーフは少しだけ考えてから、ゆっくりと首を横に振った。彼女の言う通り、確かにあの日の事を許すことは出来ないだろう。仲間を毒で穢し、暴力を振りかざしてきたのだから。
けれども殺すほどの恨みは無い。巡り合わせが悪かっただけなのだ。運が悪いだけの彼女に、これ以上鞭打つような真似はできない。それがカルーフの本心だった。
「許さない事と助けない選択は別物です」
「ふむ、どうやら嘘では無いらしい。不思議だねえ、人間というのはもっと、利己的な生き物なのかと思っていたけど」
葉が擦れるような笑い声をこぼして、チョコレート色の彼女がカルーフに歩み寄る。地面に着くほど長い、淡い金髪を引き摺りながら、カナリアの羽のような色の瞳に薄らと弧を描きながら。
カルーフの額に、汗が滲む。緊張からではない、彼を取り巻く空気が、結構な速度で熱されているのだ。人肌のそれとはかけ離れた、灼熱とも言える温度が迫る。
やがて目の前に立った彼女の背丈は、カルーフよりも少し小さい。だというのに、カルーフはその存在感に気圧されていた。
――彼は本能的に悟ったのだ。このヒトは、人間ではない。もしかしたら生き物ですらない、と。ぼたぼたと顎から汗を流しながらも、カルーフはその場から動いたりはしなかった。
(一体なんなんだ? いや、そもそも……これは夢なのか?)
「ここまで寄っても逃げないんだ。これもまた、興味深いね」
「敵意のない人から、逃げたりはしませんよ……」
「それは嬉しいな。さて、そんな危なっかしい君に、一ついい事を教えてあげよう」
そっと、壊れ物に触るように頬に触れてくる手は、やはり熱い。その温もりが、ますますカルーフの思考を混乱させるのだが、それを知ってか知らずか、彼女は言葉を続ける。
「死にたくないなら、『可哀想』という感情には蓋をしなさい」
どういう意味だと聞き返したいが、喉はすっかり乾いて、口蓋に張り付いてしまっている。何とか舌の底から捻り出した唾を飲み込むよりも早く、視界は再び白く染まっていくと共に、あの浮遊感と眠気が襲ってきた。
――『可哀想』に、蓋をする。
それが何を意味するのか、カルーフにはまだ分からない。だがしかし、この言葉だけは忘れてはならないという、理由不明の確信だけは得ていたのである。




