3-10 再始動
フォーネと回る本拠点は、どこもかしこもカルーフの興味をくすぐるものだらけであった。
談話室ではお茶を飲みながら談笑する組員が。被服室では男女関係なく布へと向かい合い、熱心に針を動かしている。書庫や資料室、会議室などの業務上必須となる施設は勿論のこと、娯楽部屋や仮眠室、ハマムや洗濯所なども案内された。中には機械設備の開発をしている技術室や、魔術の研究室など、外観を見るだけで入れなかった部屋もあるが、それでもカルーフの冒険心は満たされていく。
なんと言っても嬉しかったのは、鳥獣管理室と名付けられた部屋の一区画に、ナルジスがいたことだろうか。いつの間にかコブに付けられた刻印に、どこか物悲しい気持ちになりながらも、カルーフは再会を堪能していた。
まさか元気だったかと聞くよりも早く、世話にやってきた組員を盛大に蹴り飛ばすとは思わなかったが。殺処分の字が彼の頭をチラつく中、蹴られた組員の女性……アクラブがいい笑顔で「いつものことです!」とフォローを入れたが、それでも嫌な胸の高鳴りは当分消えずにいた。
「それにしても、結構人数がいるんですね。バシャルさんから小規模って聞いてたのに……百人以上いませんか?」
「まあそれくらいはいるわよ〜、ここに居るのは組員だけじゃない、その家族だって暮らしているからね」
唇に弧を描くフォーネだったが、視線だねははどこか遠くへと向いて、物言いたげな雰囲気を漂わせている。先程まで楽しそうに団員のことを語っていた彼女だったが、拠点内の現状に、色々思うところはあるのかもしれない。しかし彼女はすぐに元の調子に戻ったかと思えば、カルーフへと向きなおった。
「さて、こうして玄関口まで来たけど……どうだったかしら。説明、下手じゃなかった? ここもっと知りたいな〜とか、あるかしら?」
「いえ全然! とても分かりやすかったです」
「まあ、良かったわ〜! さ、そろそろ首領の所へ行きましょうか」
分かりやすかったという感想に嘘偽りはない。あれだけ監視に怯えていたにもかかわらず、カルーフはいつの間にか、この本拠点がすっかり気に入っていた。火山の外で物騒な物ばかり見ていた反動か、ここで過ごす穏やかな時間は、ひどく心地良いものに感じられる。
(不思議だな。俺が前まで住んでたヤラナンの方が、今じゃあすごく怖い所に思えるよ)
そう思い至ってしまう原因は分かっていた。
ここにはヒトによるナムゥの差別がない。何なら、明らかに見た目が人外であろうが、組員達は心から存在を受け入れてる。そして、素性も分からぬ新人である自分のことも。
そんな組員達の態度が、冷えきった心に火を差し入れてくれるのだ。真の信頼とは、容認とはこの事だろうか。他人の温かさに触れると共に、自分がいかに今までヒリついた世界にいたかを、まざまざと実感させられる。
(よくよく考えれば、ここでの監視よりもヤラナンの人達の方が怖いな。何をしてくるか分からなくてさ)
ふと、カルーフの脳裏に、あの日の情景が蘇る。昨日まで笑いかけてくれた、優しくしてくれた人々が、一瞬にして態度を変える様。恐怖と蔑みと、その他諸々の感情が入り混じった視線。あの感覚を、あの目を、向けられる暴力の痛みを、カルーフは早々忘れることは出来ないだろう。
でも、ここならば。ここならば、そんな目には遭わずに住むのだ。痛みと罪の先に手に入れた、心から安心できる居場所に、カルーフの目尻に涙が溜まる。
「……ルちゃん、カルーフちゃん? 大丈夫? 気分でも悪いの〜?」
「あ、いえ、すみません。少し考え事を!」
「そう? ならいいんだけど。そろそろ首領のお部屋だから、しっかりね?」
フォーネの言葉で、カルーフはやっと現実へと引き戻された。慌てて周囲を見回すも、誰もいない。それどころか、もう最上階のバシャルの執務室前まで着いていた。
「きっと皆はもう揃ってるでしょうね。じゃあ、開けるわよ〜」
フォーネが重厚な扉を押し開くと、そこには予想通り、午前中に声をかけた三人が勢揃いしていた。相変わらず視線の鋭いバシャルの放つ空気感に、あれだけのほほんとしていたフォーネも気を引きしめる。
「お疲れ様です、首領」
「おう、来たか。どうだカルーフ、拠点の中の地図は叩き込んだか?」
「あらあら首領ったら、これだけ広い拠点をすぐに全部覚えろだなんて、無理ではありませんか? もう少し時間を――」
「それなら心配ないです。執務区限定ではありますけど、よく行くだろう部屋は頭に叩き込みましたので」
「ほぇ。ほんとー?」
「本当だよ。まあ、流石に全部屋となると厳しいかもしれないけど」
「それでも十分すぎるくらいよ〜、随分と物覚えがいいのねえ」
感心したように呟くフォーネだが、言葉にしないだけでその場にいる全員が同じ感想を抱いていた。
(地図を覚えるのが得意、と自称していたが……まさかここまでとはな。あの言いぶり、態度から嘘はついてねえだろうし。成程、どの組織もこいつを欲しがるわけだ)
バシャルは内心舌を巻く。
彼の言う通り、本拠点の図面は全て頭に入っているようだ。これは暗記力云々の問題ではない。図解された地形や施設、部屋の位置を正確に記憶できるということは、即ち、それら全てを覚えられる『空間把握能力』が優れているということだ。
つまり彼は、ナムゥの魔術に匹敵する、ずば抜けた才覚を持っているということ。そしてその能力を、組織の為に使おうとしている。バシャルにはそれだけで『今の所は』十分だった。
「さてカルーフ、今日最後の任務だ」
「はい!」
「その書類の中身をよく読んでおけ」
「へ? だってこれ、俺は開けちゃダメだって言ってませんでした?」
「確かに言ったな。だが、それはこの時までの話だ。今なら問題ない」
「ああ! そういうことでしたか。では失礼して」
紙束を抱え直し、改めてページを捲るカルーフの手は、早速一枚捲くった所で止まった。書き殴ったような字で記されていたのは、簡潔な文章と地図、そして、どこか聞き覚えのある組織の名前。それは……
「『緋色の比翼』の本拠点をルグル町内に確認。該当組織の殲滅作戦を決行する。ここに記名された者達は、九月二十日午後五時に、首領であるユスリーを討ち取れ。午後七時の月が登る前までに、任務を完遂せよ」
読み進めていくにつれ、カルーフの顔色が変わっていく。
「引き返すなら今のうちだ」
そう言われているような気がして、思わず生唾を飲み込む。
本拠点の中には、非戦闘員も多くいた。手の内の任務を今、この場で断れば、あの中に加われるに違いない。人よりもちょっと、社会の暗部を知ってしまっただけの、普通の少年に戻ることができるはず。
だが引き返すにはあまりにも、カルーフの経験は死臭を漂わせていた。
他ならぬ自分なのだ、ナムゥになった初日に二人を殺し、フッサム拠点支部で二人に大怪我を負わせたのは。あの日、襲撃してきた際に吹っ飛ばした一人は知らないが……巨大な盾に轢かれたのだから、無事ではないだろう。
(それに……)
ここで逃げたら、ずっと臆病者のままで一生を終えることになるに違いない。挽回のチャンスもなく、この偽りの空が広がる火山の中で、一生を終える。……そうなっては、あの日、自分を拾ってくれたバシャルに顔向けができない。
(俺がやらなきゃいけないんだ。バシャルさんのためにも、自分のためにも!)
殺意と呼ぶには爽やかな意思が、書類を持つ手に力を入れる。
「この任務、引き受けます」
そう答えたカルーフの声は、バシャルへと澱みなく真っ直ぐに届いた。




