3-8 忙しない拠点
地図上に記されたヒルバーの名前を追っていくと、そこは地下十階。昇降機の扉を出れば、目の前いっぱいに鎮座しているのは、重たそうな鉄の扉であった。
『この先 戦闘訓練場。入る場合は武器や銃器、魔術の流れ弾に細心の注意を払うこと』
扉の上の壁に彫られた文字を読み終えたカルーフは、恐る恐る扉に近付き、耳をそばだてた。扉越しでも微かに伝わる振動と怒声が、中のピリついた空気感を想像させる。カルーフはその迫力に一瞬怯むが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。覚悟を決めて、扉をゆっくりと押し開けた。
途端、カルーフを出迎えたのは、熱風と罵声。床には模擬戦用の人形が吹っ飛ばされて転がっており、あちこちにできたクレーターから蒸気が上がっている。
「おいコラァ! 射出が甘ぇぞ! これが弾け飛ぶくらいの勢いでぶち込めって言っただろうが!」
「すみません!」
「次!」
「はい!」
「返事だけ良くても意味ねぇんだよ! 殺る気でやってみやがれ!」
「はいっ!」
訓練場のど真ん中に陣取り、大声で屈強な男達へ檄を飛ばしているのは、丸々と肥えた女性だった。丸太のような腕を高らかに振り上げ、次々と攻撃指示を出している。乱暴な立ち振る舞いに加えて、彼女の着ているショッキングピンクのトレーニングウェアが、威圧感を振りまいていた。
(ち、近寄りたく無さすぎる! でも、彼女の傍を通らないと、ヒルバーさんのいるらしい『個人訓練室』には行けないし。そうだ、脇を通り過ぎる? でも不審者扱いされたら嫌だな。もう、仕方ない!)
意を決して、カルーフは女性へとそっと近付く。無意識下で背後に回ろうとしたが、流石は戦闘員。回り込む間もなく彼女はギロリと振り返り、その形相に思わずカルーフは身を強張らせた。恐ろしい形相に逃げ出したくなるが、ここで退く訳にはいかない。
「なんだいアンタ、どこの部隊のヤツだい?」
「お忙しいところ申し訳ありません。この度新しく組織に加入しました、カルーフといいます。ヒルバーさんのいる『個人訓練室』に行きたいのですが!」
「ああ、それなら案内してやるよ。よろしくな新人、アタイはワヒドカル。ここの副統括をしている」
(えっ、案内してくれるのか!?)
てっきり怒鳴られると思っていたカルーフは、思わぬ展開に目を丸くした。ワヒドカルと名乗った女性は、くるりと踵を返し、ずんずんと歩いて行く。
「しかしまあ、この時期に新人たぁね。アンタ、まだ部隊配属されてないんだろ? 希望はあるのかい?」
「部隊、配属……ですか? すみません、説明も何も聞いて――」
「何も聞いてないだって!? 全く、首領もサーラブも何やってんだか!」
ワヒドカルは勢いよく振り返ると、カルーフの方へ大きな溜息を降らせる。彼女に(影で)責められているのはバシャルとサーラブなのに、なんとも居心地の悪い気分になるのは何故だろう。
「仕方ねえなあ。簡単に話してやるよ」
「ありがとうございます……?」
ワヒドカルは、呆れ半分といった表情のまま話し始めた。
彼女曰く、ヴァーサ・オーリを構成するのは、七つの部隊。部隊は大きく『外政四部隊』と『内政三部隊』の二つに分けられ、戦闘部隊、商品売買部隊、医療部隊は外政四部隊。内政三部隊に分類されるのは魔術研究開発部隊、技術研究開発部隊、内政・人材管理部隊、情報収集部隊である。
各部隊は互いに連携を取りながら、ヴァーサ・オーリをより大きく、強固に発展させている。そして、それぞれの部隊が一人ないし二人の統括を抱え、各部隊ごとに更に幾つかの班に分かれることで、組織はより機能的になり、また効率的に活動できるのだ。
裏稼業は勿論、表社会で運営しているダミー会社の経営にも、彼らは部隊を超えて協力し合う。マフィアに多いピラミッド型の組織図ではなく、フラットな関係を築いている珍しい形態だからこそ、ヴァーサ・オーリの結束力は固く、行動も素早いのである。
「ここまではわかるかい?」
「ええ、大雑把にですけど。縁のない言葉ばかり出てきて困惑してる、というのが正直なところですね」
「だろうなあ。でもまあ、今のうちから覚悟しておけよ? 新人は『適性を見る』目的で、あっちこっちの仕事に駆り出されるんだ。恐らく今やってる仕事も――っと、着いたぜ」
ワヒドカルが立ち止まった部屋は、先程のだだっ広い訓練場からだいぶ離れた、人気の無い一角にあった。壁は白く、扉は重厚な造りをしている。それが何十と連なっている様は、まるで牢屋か監獄のようだ。
ワヒドカルが扉を押し開ければ、その先は通路になっていた。照明が眩しいくらいに足元を照らす中、ワヒドカルは構わずに進んでいく。慌ててその後を追うと、前方の突き当たりに、新たな扉が見えた。
「ヒルバー! お前に用事だとよ!」
ワヒドカルがノックもせずに扉を開けると、そこには筋トレ器具に囲まれたヒルバーの姿があった。彼はこちらをチラリと見遣り、例の胡散臭い笑顔を浮かべて見せる。ねっとりとした声の「こんにちはァ」なんて声に、思わずワヒドカルに助けを求めようと振り返るが……彼女の姿はとっくに無い。見た目によらず相当機敏なようだ。
「本当に脚、治ってるんですね……」
「ええ、お陰様で。小生、治癒力には自信があるのですよ。ところで、何故アナタが指示書を?」
「バシャルさんから預かりました。ご確認の上、署名をお願いします!」
ヒルバーは椅子に腰掛けると、カルーフが差し出した書類を受け取り、さっと目を通す。他所の部屋からの音すら聞こえない空気に、カルーフは緊張した面持ちで見守る中、ヒルバーは静かに口を開いた。
「はい、確かに。それではこちら、お返ししますね」
ヒルバーは書類を差し出し、ニッコリと微笑む。
(やはりこの人の笑顔は苦手だなぁ。なんか、食べられそうな気がして怖いんだもの)
カルーフは内心で冷や汗をかき、ワヒドカルを他所に部屋を出ようとする。任務は達成されたのだから、後は他の組員をあたるだけだ。
「それじゃあ俺はこれで――」
「オット、少々お待ちを。先程の書類ですが、他にもまだ幹部の名前がありましたよね? この本拠点へ迎えられたばかりでしょう。彼らの場所は分かりますか?」
「いや、それはメロミスに聞いてみようかと思って」
「それはよした方がいいでしょう。精度が高い代わりに電力を大量に消費するのでね。一先ずこの名前の彼女なら、どこにいるか分かります。着いてきてください」
立ち上がったヒルバーは、カルーフを連れて部屋の外へと歩き出す。案内されたのは、個人訓練場の向かい側にある建物だった。やたら傷だらけなのが気になるが、ヒルバーは構わず扉へ手をかける。
「気をつけて。直ぐに魔術が出せるようにしてくださいね。この中は、より実践的な訓練場です」
「といいますと」
「的確に敵を殺傷するための訓練場、ということですよ」
さらりと物騒なことを言われて体がすくみ上がるが、思えばこの組織は物騒の塊。裏社会の闇組織ではないか。カルーフはなるべく平静を保つように務める。もう何が来てもビビるものか、と意気込んだカルーフの目の前で扉が開いた。
その瞬間、飛んできたのは氷の礫。咄嵯に首を傾ければ、礫の当たった背後の壁は、瞬く間に凍りついていく。ぐんぐん下がっていく場の冷気に、震え上がるカルーフの眼前、扉の向こうから現れたのは……
「にゃー、あ? ひるばー?」
(ちっちゃい……女の子?)
白く煙った空気で顔はよく見えないが、どう聞いても声は子どもである。カルーフは唖然としながら、眼前の少女を見つめた。




