3-5 ティスキウ火山
「よう、生きてるか」
「……なんとか」
バシャルが儀式の間へ現れたのは、カルーフの苦しみが消えてから三十分後のことだった。
その間に汗まみれだった全身は冷たく乾き、口呼吸のおかげで喉はカラカラ。だが、バシャルと会話ができるくらいには回復していた。
「まずは生還おめでとう、とでも言ってやろう……そんな顔するなよ、儀式は別に、お前をいじめる為にやってんじゃねえんだぜ?」
バシャル曰く、この刻印の儀は刻印を入れる他に、もうひとつ意図があるとの事。それが、過激とも言える痛みを経て、カルーフがまともな状態を保てるか、と言うものであった。
社会科見学を経て目の当たりにする、血腥い裏社会の一端は、組員候補に大なり小なりショックをもたらすもの。その心の痛みが癒えぬうちに、肉体的にも痛みを与えることで、今後過酷な任務に耐えられるかの土台を確かめられるのである。
そして、カルーフはその試練を乗りきったのだ。達成感と同時に湧き上がる生の実感に、この上ない幸福を感じていた。
「これで晴れてクソみてえな裏社会の、この身共の仲間入りって訳だ。さ、グズグズしてる暇はねえぞ。とっとと立て。本拠点へ向かう」
「えっ、今から行くんですか?」
「当たり前だろうが」
(まだ刻印に体が慣れていないのに、もう行くのか)
戸惑いながらも立ち上がろうと、床に着いた右手がズキリと痛む。今だってこんななのだ、もしも上手く順応していなくて、火山で焼け死んだら……と、嫌な予感がカルーフの脳裏を過ぎった。だが、こうして悶えている間にも、刻印の色は濃紺から青へと変わっていく。
歯を食いしばって、生まれたばかりの子鹿のような足取りで、カルーフはバシャルの後を追いかける。もつれた足で外に出た途端、彼の口が無意識でぽかんと開いた。
視界に飛び込んできたのは、儀式の時と変わらない夜空。唯一違うのは、ナルジスを繋いでいた辺りの砂地に、黒光りする車が停まっている点だけである。
「本当に、丸一日経ってるんだ……」
「正確には丸一日と三十分だ。いいから早く行ってやれ」
バシャルに急かされ、カルーフは渋々ながら車へと乗り込んだ。瞬間、車内に満ちていた独特の臭いが鼻をつく。思わず顔をしかめるカルーフの肩を、運転席のサーラブは嬉しそうに小突いた。
「お〜! 生存おめでとう! ささ、ミ、違う……カルーフ君は車に乗ったこたァあるかい? ねえってなら、ちゃあんと教えてやっからな。まずは――」
矢継ぎ早に話すサーラブに戸惑いつつも、カルーフは彼の隣に腰掛けて、シートベルトを締める。その間に、バシャルが雑に扉を開け、ドカッと後部座席に座り込んだ。荒々しい座り方とは違い、扉を閉める手つきは穏やかである。
暫しの後、車は静かに発進した。あれよあれよという間に車窓の砂景色は流れていき、その速さにカルーフは目を剥く。駄獣の中で一番足の早いナルジスを上回る、その速さに。
「あっと、寝ないでおくれよカルーフ君。刻印を入れたばっかできついだろうが、耐えてくれや」
「は、はい。分かりました。それにしても、こんな機械を運転出来るってすごいですね」
「ははは! そう褒めんでくれ。そんじゃま、目的地に着くまで楽しいお話と洒落こもうじゃあねえの」
サーラブは気前よくカルーフに語りかけるが、この環境下で雑談とは。それでも眠気覚ましには良いだろう、とカルーフは話に応じることにした。先日の社会科見学の事に始まり、組員の第一印象などなど……直近の話題が尽きれば、次に始まったのはカルーフの身の上話だ。話始めこそ戸惑っていたものの、カルーフは不思議と饒舌になっていった。
「――しっかし、カルーフ君は仲間思いだな。ナムゥになった初日に向かったのが、屠殺まで幾許もない相棒のラクダのもとだってんだから! 街中を堂々と突っ切ってよ、自分が殺されるたぁ思わなかったのかい?」
「ええ、思いましたよ。でも、食肉加工されたナルジスの姿を想像したら、居ても立ってもいられなくて。自分が知らないうちに、ナルジスを食べていた……なんて事になったら、それこそ悲しくて死んでしまいそうです」
恥ずかしげもなく答えるカルーフに、サーラブはへえ、と面白そうな声色の返事をした。お人好しなビビり、とカルーフの為人決めつけていたサーラブだったが、どうやらそうではないらしい。目を細めたサーラブの隣で、思い出したかのように、カルーフはキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「ところで、ナルジスはどこに? 昨日の夜、塔に繋いでいたはずですよね?」
「ああ、あの子なら君と同じように刻印を入れて、先に本拠点の家畜小屋にいるぜ……っと、そんな顔するなって。めちゃくちゃに暴れたもんだから、強力な麻酔をかけて、丸一日起きないようにしたからな。お前さんと同じように苦しんではないさ」
「そ、そうなんですか……良かった。って! 麻酔があるなら俺にも入れてくれたって良かったじゃないですか!」
「そらぁダメだ。組員の場合は裏切り防止も兼ねてるんだからな」
サーラブがさらりと放った言葉に、カルーフはギクッと肩を震わせた。徹底して裏切り者を出さない仕組みに、思わずため息をつく。ここまで神経質にならないといけないのか、と考えると、息苦しさを感じて仕方がない。
(でもこの人達は、俺と同じ痛みを乗り越えてきたんだ。だからこそ、俺を仲間と認めてくれた。なら、俺はこの人達の期待を裏切らないようにしないと)
とはいえ、自分は彼らに追いつけるだろうか。並び立つとしても、途方もない努力が必要になるのは言うまでもない。何しろ自分は、裏社会という非日常の世界へと足を踏み入れたのだから。
「早く助けられた分の恩を返さないと」
カルーフの口から、心の内がぽろっと零れた。それは無意識の言葉であったが、バシャルがピクリと反応を示す。バックミラー越しに映るその目は、カルーフを捉えて、鋭く細められていた。一方のサーラブはニヤリと白い歯を見せながら、ミシュアルの腕を肘でつつく。
「おうおう、そう言ってくれるのは嬉しいけどよ。まだちぃ〜っと早いんじゃねえのかい? お前さんはまず、体を強くすることから始めねえとな」
「は、はい!」
「覚悟しとけよ? ゴタゴタが片付いたら、今度は魔術の鍛錬と勉強漬けになるからな。忙しくなるぜ〜?」
ニタニタ笑うサーラブの向こうに広がる景色は、気がつけば様変わりし始めていた。砂地には岩が混じり始め、ごぶ、と泡立つ毒の温泉が所々口を開けている。そんな危険地帯を、車は颯爽と進んでいく。
カルーフの視界を巨大な岩山が覆い尽くした頃、サーラブは静かにブレーキを踏んだ。車内に少年とも女性ともつかぬ高い声が響いたのは、車が完全に停車したのと同時である。
「本拠点付近に到着しました。これより自動運転に切りかえます」
「いっ!? 今の声、どこから――」
「親方ァー! そろそろ降りる支度してくだせぇ!」
「わーったよ。おいカルーフ、まだベルトは締めておけ」
どういう事ですか、とカルーフが聞くよりも早く、ガゴン! と音を立て、岩石の一部がズルズルと動き出した。まるで東洋の引き戸のように、岩石の一部が山の中へと引き込まれていく。唖然とするカルーフの耳に、またしても例の出処不明の声がした。
「刻印認証中……完了しました。首領・バシャル様、首領補佐・サーラブ様、おかえりなさいませ。そして新規組員・カルーフさん、本拠点へようこそ!」




