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罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
序 最悪な誕生日
4/70

0-4 俺は悪くない

 自分は今、人間を殺した。その相手がナムゥであろうがヒトであろうが、他人の命を奪ったことに変わりはない。

 ミシュアルはふらつく足で、壁にもたれて蹲る。


 こんな事が世間に露見し、教会にバレたら? ミシュアルの頭の中は、今後の嫌な想像ばかりしてしまう。捕まったのであれば、裁判をすっ飛ばして、その場で殺処分になるのだろうか。それとも、聖罰の中で虐殺されるのだろうか。

 とにかく、先は暗いことに変わりはない。人権のないナムゥは、聖罰以外で裁かれる権利すらないのだから。


 ガタガタ震え出すミシュアルに、「おい」と青年から声がかけられる。


(どんな罵倒が飛んでくるのか、それとも、最低な野郎だと暴力を振るわれるのか……)


 口からは言葉にもならない声が、かすかに漏れ始める。ミシュアルの返事がなかったのを、聞こえなかったのだ、と勘違いした青年は溜息をつきながら、ミシュアルにそっと近づいた。


「おい、聞いてるのか」

「はっ!? はい!」

「お前はこれから、どうするつもりなんだ?」

「へ? どうするって、何が」


 屈んでこちらを見下ろす青年の問いの意図がわからず、ミシュアルはぽかんと間抜けた顔を晒す。その様子が気に食わない、と口をへの字に曲げた青年は、ミシュアルの腕を掴んで立たせ……中年の男の死体の前へと突き飛ばした。ふらついたミシュアルの足が、ペシャ、と音を立てて血溜まりを踏み付ける。


「決まってんだろ? こいつらの処理(・・)をするのかしないのか、そしてなにより、警察に出頭するのかしないのか。どうするんだ?」


 澄ました態度の青年の目が、すっと細まる。傍から見れば、穏やかな笑顔なのだろう。だが、ミシュアルはそれに安心できない。


「処理……警察……」

「ちなみにヤラナン地区では、ナムゥがヒトに危害を加えたら、その場で銃殺だ。『経緯はどうあれ、人を殺したから償う』ってなら、早めに行った方がいい、すぐ望み通りの結果になるからな」


 胸をトントン、と指で叩く仕草に、過剰なほどミシュアルは怯えた。叩いた位置は丁度、心臓のあるあたり。今この場にいるのは青年だと言うのに、銃を向ける警官の幻覚が、ミシュアルの目を支配していた。


「嫌、嫌だ。死にたくない!」

「なら、警察に行くのはナシだな……って、おい、落ち付け。服を掴むな。密告したりしねえよ」


 そう言いながらも、青年はミシュアルの手を振り払ったりはしない。それどころかその手を握りこんで、宥めるように、優しい声色で青年は話し出した。

 優しかった頃の父親を彷彿とさせる、そんな声で。


「結果がこうなっちまっただけで、お前の行いは正しいものだ。『正当防衛』って知っているか? 急に知らねえ奴に乱暴されて、抵抗した。自分の身を守るため、やむを得ず強硬手段に出る。それは生き物としての防衛本能だ。罪にはならねえ」

「罪じゃ、ない?」

「ああ。動物として当然の抵抗だ」

「俺は悪くない?」

「悪くねえよ」


 大きな手がより一層、手を温かく握り込む。そして、ほんの少しだけ緊張のほぐれたミシュアルの手を、服からそっと剥がした。途端に剥がされた手のひらを、冷たい空気がすっぽりと覆う。寒さと不安から逃れるかのように、ミシュアルは青年の瞳をじっと見据えた。


 互いの瞳から迸る光だけが、静かに交錯する。そうして一分近く、互いは黙ったままだった。


(この人も、人を殺したことがあるんだろうか)


 自分と歳も変わらないような男性が、世の中を半ば諦めたように、陰鬱に微笑む……なんて酷い絵面だろうか。そして、そんな顔をする青年が、殺人を正当化するのだ。生きるために仕方が無いのだと。殺らなければ、この奴隷商人達によって搾取さ(やら)れていたのだと。人間でありながら、獣のような理論を振りかざすのだ。


 ミシュアルは愕然とした。人殺しは悪い事だ、と己を罰する良心の呵責よりも、青年に仕方がないと許された安堵が、嫌でも勝ってしまっている。その事実に目を背けたくても、背けた先にあるのは『人殺し』の罪悪感だ。逃避を続けて行き着いた、青年からもたらされた安心感は、まるで麻薬のようにミシュアルの心に染み込んでいく。


「……落ち着いたか?」

「す、少しは」

「じゃあ次だ、この死体の処理をするぞ」

「死体の……」


 ミシュアルは改めて、地面に転がる死体へと目をやる。先程までは恐怖と罪悪感に駆られていたが、今は不思議と心が凪いでいた。「どうするんですか?」と聞くミシュアルの目からは、恐慌状態にも似た不安の表情は消えている。


「処理と言っても埋めるとかはしねえ。具体的には、証拠の偽造をする」

「証拠って、それは」

「今このまま放っておけば、ほぼ確実に事故かナムゥ、つまりお前が疑われるぞ。裏路地のより奥へこいつらを捨てて、鼠への馳走にしてやっても良いんだが、それだと時間が掛かりすぎる」

「じゃあ、どうやって」


 そう聞くよりも早く、彼はその辺に落ちていた、比較的綺麗な布を手に取る。何をするのかと見守る中、青年がゴミだめから、一本の酒瓶を取り出した。ガシャガシャとガラスの擦れる音が、裏路地に反響する。彼はやがて、布で口の部分を巻いたものを、呆然とするミシュアルにぽんと手渡した。


「これで奴らの頭をぶん殴れ。傷と同じ所に叩きつけるんだぞ」

「あの、俺がですか」

「お前以外に誰がやるんだ? まあ、ちゃんと狙いやすいように、死体は転がしておいてやるよ」


 そう言うや否や、青年の瞳から迸る光は、より光量を増した。強炭酸の水が入ったグラスを、ストローで勢いよくかき混ぜた時の泡のように、細かな光がシュワッ! と目元で弾ける。魔術(シーガ)を発動しようとしているのだ。


 間もなく、パチン! と青年が指を弾いた。すると二つの死体の下にある、路地のタイルがモコモコと持ち上がり、器用にも二人をころんと転がす。上体を反り上がらせ、血まみれの箇所をミシュアルに差し出すかの如く、魔術は男たちの後頭部を露わにする。その様子に、ミシュアルの背にぞくりと寒気が走った。


「さあ、どうぞ? 出来れば手早く済ませてくれよ。この状態を保つの、結構きついんだ」


 青年は死体の傍に誘導するかのように、芝居がかった仕草で腕を伸ばす。彼の手が指す方へ導かれるように、ミシュアルは伸びた死体の足を跨いだ。


 ――酒瓶を強く握る。ホームレスの衣服から剥ぎ取ったのだろう、悪臭の染み付いた布の破片が、ほろりと解れて落ちていった。


 赤みが消えてきた爪に、己の荒い息が吹きかかる。

 その様を、青年はただ見つめていた。やがて、ミシュアルの口から、布の繊維のような細かな言葉が、ボロボロと溢れ出す。


「俺は悪くない。悪いのは、こいつらだ。俺を売ろうとした、お前たちだ!」

「そうだ、全部こいつらのせいだ。お前は何も悪くない」

「俺は抵抗したんだ、俺はおかしくなんかない!」

「そうそう、こいつらが先にちょっかい出したのが悪い。その結果死んだんだから、当然の報いだろう?」


 飴色の酒瓶が、勢いよく振りかぶられ、そして。



「俺は、悪くないんだ……ッ!!」



 ガシャン! と派手に飛び散る瓶の破片が、ミシュアルの泣きそうな顔と青年のしたり顔を、その飴色に映していた。

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