3-2 リズベルの地下深く
ナルジスと共に歩くこと数時間。日が落ちても尚、ミシュアル達は塔へと向かって黙々と進んでいた。
途中途中でオアシスに立ち寄り、意図せずして運送会社のツケで水と食料を確保していたが、目的地への道のりは厳しい。砂漠の夜の冷え込みに、ミシュアルはぶるぶると体を震わせながらも、塔に向かって一直線に進んでいく。
どこを見ても同じ景色に、ミシュアルですら、本当に塔はあるのかと不安になり始めた時だった。
橙色の、小さな明かりが見えたのは。
最後の休憩地点から離れた、小高い砂丘の上。そこには立派な佇まいの、塔の影があった。微かな明かりはそこから零れており、まるで誰かを誘うように、星空の中にぼんやりと浮かんでいる。
砂漠と星空、そして塔。第三者が見れば、さぞ神秘的で美しい光景だろう。しかし当のミシュアルは、全貌に見とれるどころか、得体の知れない不安感に苛まれていた。その間も尚、ナルジスは臆することなく、塔へとゆっくり進んでいく。
「おっ、やっと来たな。ミシュアルくんやい、こっちこっち!」
サーラブの声がしたのは、ミシュアルの視界いっぱいに、塔の全貌が広がったところであった。聞きなれない声にナルジスは足を止め、ミシュアルは声の主を探すために、周囲を見渡す。
「どこ見てんだい、上だよ上!」
言われた通りに塔を見上げると、そこに声の主であるサーラブが、大きく手を振っていた。
「今迎えに行くからよ、適当なところにラクダを繋いで待ってな!」
そう言い残して、サーラブは塔の中へと吸い込まれて行くように姿を消す。言われるがままに、ミシュアルは塔の入り口にナルジスを座らせ、手綱を塔の装飾に巻き付けた。
「ナルジス、ここでいい子で待つんだよ」
「モー」
「大丈夫。きっとサーラブさんが何とかしてくれる」
「ぷふー」
こうして、ナルジスの腹を擦りながら二分程待っただろうか。小走りでやってきたサーラブは、息切れひとつせずにミシュアルの所へ駆け寄ると、軽い調子で右手を上げた。
「よっ! ラクダで来たにしちゃあ、随分早かったじゃねぇか。優秀なんだなあ、そいつ」
「ええ、俺の自慢の相棒なんです」
「そうかいそうかい。じゃあ早速入りな、お前さんを皆が待ってんだ」
サーラブに促されるまま、ミシュアルは塔の内部へと入る。
中に一歩進んだ瞬間、ほの温かな風が、ミシュアルを包んだ。見れば装飾の施された壁には溝があり、そこから線のように炎が揺らいでいる。床には色褪せたクリーム色と薄茶色のタイルが疎らに敷き詰められ、それが部屋の中央の螺旋階段へ続いている。
全体的に砂埃を被っていながらも、荘厳な雰囲気を作り出している部屋の奥へ、二人は静かに進んでいく。
「もしかして、この最上階まで登るんですか?」
「いいや? 屋上は使わねえさ。あっしらの用事はこっち」
「えっ、そこ、ただの壁ですよ?」
ミシュアルの視界の端で、サーラブは若葉色に薄ぼんやりと光る左手を、ヒラリと振った。途端に彼の足元から風が吹き上げ、周囲の塵を巻き上げては、外へと吹き抜けていく。思わず目を腕で覆ったミシュアルが瞼を開くと、そこには壁の一部がぽっかりと空洞を晒していた。
「隠し通路……?」
「おうとも。この下に部屋がある。お前さんを本物の組員にする『刻印の儀』のな」
その言葉と共に、ミシュアルは手を引かれ、空洞の暗闇へと連れ出される。微かな灯りに照らされた階段は、これまた螺旋状になって下へと伸びていた。
(ただの鳥葬用の台じゃないんだ。知らなかった、地下室があったなんて)
無言のまま二人は暗い階段を歩む。数分もしないうちに辿り着いた地下には、真っ直ぐ続く廊下があった。その先には、角が丸く削られた石扉が鎮座している。上階とは異なり、扉の前で停滞している冷たい空気に、ミシュアルはぶるりと体を震わせた。
「なんでい、全っ然暖房効いてねえじゃねえか」
「この地下って、電気通ってるんですね……」
ミシュアルが石扉を押せば、ギィイ、という重い音を立てて、新たな部屋が姿を現す。中に入れば、そこは何も無いだだっ広い空間があるだけ……のように見えたが、よくよく見れば奥には三つの部屋へと続く扉がある。本格的に儀式の重苦しい雰囲気を醸し出してきた塔の部屋に、ミシュアルの鼓動は大きく打ち鳴らされた。
「さて、これからの説明をするぞ。よく聞いてくんな」
「はい」
「刻印の儀ってのは、あっしらヴァーサ・オーリの組員である証を、その体に刻む為の儀式さ。今のうちに、どこに入れるか決めとくれ。言っとくが、後からやっぱりここ! ってのは受け付けられねえからな」
その説明を聞きながら、ミシュアルは自分の体を見下ろした。
どんなデザインのものかは分からないが、まず背中は除外した。自分の目では見えにくいところに、よく分からない刻印が入っているなど、違和感でストレスを抱えそうだ。だからと言って首だと痛そうだし、腹や脚は触られるのすら嫌な所。
結局、悩みに悩んでミシュアルが出したのは、右の掌だった。
「へぇ、そこかい。まぁ悪くはないかもな」
「ところで刻印って――」
「それは見りゃ分かる、今は時間がねえんだわ。さ、お前さん、一番左の扉に向かってくれや。準備があるからな」
「準備って、何をするんですか?」
「指示の紙が箱の中に入ってるから、それを見とくれよ。じゃ、また後でな」
あまりにも雑な対応に戸惑いながらも、ミシュアルは指示通りに、一番左の部屋の中に入る。
扉を開けた先は、何とも質素な石室であった。左手の壁側には棚があり、磁器製の白い水瓶が置かれている。その下には小さな木箱があり、部屋の奥には鏡面の磨かれた、黒い木枠の姿見が鎮座している。ミシュアルは緊張しながらも、まずは木箱の蓋に手を伸ばした。
蓋の表には、ビニール製のテープで『直ちに開けろ』と貼り紙がある。書かれたとおりに蓋を開ければ、その裏にも紙があった
『服を全て脱いで、瓶の中の液体を全身に塗れ』
こんな寒いのに、正気か? と文句を内心で言いながらも、指示通りに着ていた衣服を全て脱ぐ。次いで部屋の中にあった水瓶にあった、怪しげな緑色の液体を頭から被った。
ひんやりと冷たい感触が全身を襲うが、それも一瞬。次第にぽかぽかと温まる体に、ミシュアルはほっと一息をつく。その間にたっぷり被ったはずの液体は乾き、ミシュアルの乾燥した肌に、潤いを与えるばかりか留めていた。
(あの毒みたいなやつ、保湿剤だったのかな。それにしてはやたら早く乾いたけど、今は指示通りにしなきゃ。で、次が……『これに着替えろ』? ただの布じゃないか。留め具があるのがまだ救いだけど、これを巻けばいいのか?)
紺色の布を広げて見つめても、布はタネも仕掛けもないただの布。夜空のように深い青は、バシャルが纏う民族衣装とターバンの色と同じであった。
ミシュアルは不慣れな手つきで布を体に巻き、留め具を嵌める。そうして姿見に映る自分の姿は、さながら風呂上がりの女性のようであった。
確実に巻き方を間違えた、と思うよりも早く、ミシュアルの手から布が宙へと飛び出した。くるりと舞ったそれは、しゅるりとひとりでにミシュアルの体を包み込む。さながら異国の民族衣装、トーガを思わせる様相に変化した布を見て、ミシュアルは驚きの声をあげ――
「これが出来るなら最初からやってくれればいいのに」
と、か細い声で文句をつけた。
着替えを終えたミシュアルは、他に何か無いかと、箱の底を覗き込む。箱の底面には次の指示が書かれた紙が、いつの間にやら入っていた。
『中央の間へ』
たったそれだけの文字が、ミシュアルの肩に重たい両手を乗せてくる。こうなったらもう、進むしかない。
恐る恐る部屋を出て、ミシュアルは扉をそっと閉める。自分一人しないない広間から逃げるように、ミシュアルは早歩きで中央の部屋へと向かった。




