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罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
二 暗黒へと踏み出す一歩
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2-20 静かな決意

 細い三日月の光だけが差し込む部屋の中、ミシュアルはそこで一人、物思いに耽っていた。


 祝宴の用意をするから待つようにと、整えられたジグリス拠点支部の自室へと通され、奪還祝いをするから待てと言われて早十分。部屋へと戻ってきたのはいいものの、荷台の上で得た達成感はすっかり褪せていた。ミシュアルはベッドの上に身を投げ出し、盛大に独り言をこぼす。


「なんか、どっと疲れたな……」


 体が疲れているのは事実だが、それ以上に精神的な疲労が大きい。深呼吸を続けても尚、突然吹き出した大量の汗は、体にじっとりと張り付いてしまっていた。特に手のひらだ、握りこぶしを作ると、指先がぬるりと滑るのが気持ち悪い。


 そんな自分の右手へと、何気なく視線を向ける。散々魔術を行使し、『敵』として同じナムゥを拒絶したばかりか、殺そうとまでした自分の手を。明確な敵意をもって、相手に魔術を振るった事実は消えやしないのだ。


 裏社会に自ら飛び込んでおきながら、今更善人でいたいなどと虫の良いことを言うつもりはない。それでもやはり、心のうちには嫌なものが残る。

 何より重苦しく自分を責め立てるのは、相対した自分以外の……否、ヴァーサ・オーリ以外の組織に所属するナムゥの眼だ。何かを恐れ、何かを蔑む瞳。

 道中で遭遇した『巨大化』の固有能力を持つ少年も、拠点支部を罠にしてしまったあの女性も、そんな目をしていた。絶え間ない迫害に疲れ果てて、自分を呪うことすら億劫になって、何もかもを諦めきってしまったような。


(特にあの女の人は、人を人とも思わないような事を……『誰かを道連れにしろ』って命令を、躊躇いもなく受け入れて……)


 思い出すだけで吐き気が込み上げてくる。かつて彼女を軽蔑する側の人間だった自分に、そして何より彼女に非常な命令を出した『緋色の比翼』の構成員に怒りを覚える。


 ――今日の『社会科見学』で、ミシュアルが直面したのは、何も裏社会で生きるために、誰かの命を奪わなければならない現実だけではない。自分と同じ『ナムゥ』が、裏社会でどう扱われるか、その現実をまざまざと見せつけられたのだ。


 今まで自分がヒトとして当たり前のように享受してきた日常の中で、どれだけの人々が絶え間ない差別と迫害に悩み、苦しみ、葛藤し、傷つき、絶望しているのか。それを目の当たりにして初めて、自分は何不自由なく平和な暮らしを送ってこられたのだということを実感した。


 この世界は、こんなにも醜くて、汚くて、残酷なのだと知ってしまった。


 自分はその片鱗に触れたに過ぎないが、彼らの抱える痛みの一端に触れられた気がする。ミシュアルはその事実に愕然とし、打ちひしがれていた。


「ナムゥだって人間なのに」


 呟いてから自嘲気味に笑う。ついさっき敵対する組織のナムゥを傷つけたばかりだというのに、もう彼女と仲良くしたいなんて考え始めている。


「明かりも付けねえで、何やってんだ?」


 突然背後からかけられた声に驚いて振り返ると、そこにはすっかり見慣れた顔があった。


「バシャルさん!?」

「たまたまここを通ったからな、少し顔を見に来た。初めての任務は疲れただろ」


 彼もまた、ミシュアルの座るベッドに腰掛けた。どっかりと座った衝撃で、ベッドは僅かに軋みを上げる。


「えっと、疲れてるのは確かですけど、でも大丈夫です!」


 笑顔を作って見せるが、漂う疲労感は消えてくれない。むしろ彼の前で気丈に振る舞おうとすればするほど、強張っていくように感じる。

 そんなミシュアルの様子を一瞥して、彼はふぅん、と小さく鼻を鳴らした。足を組み、何か考える素振りを見せた彼は、おもむろに口を開く。


「どうだった、他の組織の『同族』と交戦してみて」

「どうって……正直、あんまり良い気分じゃなかったです。皆、途方もない覚悟で毎日を生きていたんだなって、思い知らされました」

「そうか」

「はい。俺なんかとは全然違う、強い人達ばかりです」


 ミシュアルが零した『なんか』という自虐に、バシャルはひくりと眉を動かす。だが自己卑下を咎めることはせず、ただ静かに相槌を打った。


「『魔術が使える人間は悪魔と同じ』って教えを、馬鹿正直に信じていた、過去の自分が恥ずかしいです。彼らは魔術が使えても、ちゃんとした人間なのに。悪魔と同じだって言ったって、生き物であることには変わりないでしょう。していい事と悪い事の区別はつくはずなのに、見なかった事にしていたんだ、かつての俺は!」


 これでは教本にあった悪魔の所業と同じだ。いや、それ以上に愚かしい。ナムゥにだって理性はある。言葉を話し、意思疎通ができる。それならばナムゥとヒトの違いは何か? 答えは明白、魔術を使えるか否か、それしかない。ヒトとナムゥを区別するものは、結局それしか無いのだ。


 いよいよ、自分の情けなさで泣きが入りだしたミシュアルを見て、バシャルはいつかした彼の背を撫でながら語りかける。


「これで分かっただろ? 裏社会でナムゥとして生きるには、誰かを殺してでも生きる覚悟が必要だってことが」

「はい」


 涙を拭いながら、ミシュアルは小さく返事をした。


 ――そうだ、これが世界なのだ。目を逸らしていても仕方がない。自分はこれからも、理不尽に屈した、もしくは抗うナムゥと相対することになるだろう。そんなナムゥの背後に立つ、悪魔(ヒト)と戦うだろう。その度に、彼らを殺さなければならない時が来る。そんな苦しい現実の有様を、ミシュアルはようやく飲み込んだ。


「お前はこの身と出会ったあの夜、『死にたくない』と言ったな?」

「はい」


 それは紛れもなくミシュアルの本心であり、ナムゥになった今でも変わらない上に、今更否定するつもりはない。


「ならこれからは『死にたくない』じゃなくて『生きたい』と言え」

「『生きたい』ですか?」

「そうだ」


 何かの言葉遊びだろうか。意図を汲み取れず首を傾げるミシュアルだったが、バシャルは更に続けた。


「どんなに辛くても、苦しくても、ナムゥは裏社会じゃねえと生きられねえ。それでも表社会のトゥラーゾ教に則った秩序よりは、裏社会の実力主義みてえな規律の方が、まだ過ごしやすいってだけだ。どちらにせよ、世界はこの身共を殺しに来るぞ。何がなんでも、どんなに理不尽だと分かっていてもな」

「はい」

「だから、『死にたくない』なんて受け身の考えはやめろ。生きるために殺せ。それが嫌なら、さっさと死ね」


 淡々と紡がれるその言葉は、じわじわとミシュアルの心に絡みつく。


 ――死ぬのは怖い。だが、このまま何もできずに殺されるのはもっと恐ろしい。


 そう思った瞬間、ミシュアルの中で何かが弾けた。


 バシャルの言う通り、この世界の何処にも安息の地などない。この先どれだけの困難が立ち塞がろうと、自分が生き残るためには戦わなければならないのだ。それこそ、目の前の男のように。今日、隣合って地を駆けた、彼らのように。


「……俺は死にません。皆さんと一緒に生きます。俺の事を助けてくれたバシャルさんの為にも、何かと良くしてくれたフッサムの拠点支部の皆さんの恩返しの為にも。それに」

「それに?」

「ちょっとした仕返しがしたいんです。俺を捨てた家族や、仲間達への。悪魔だなんだと罵ってきた奴らに、誰よりも『人間らしく』生きてやるんです」


 泥水をすすりながらも、美味いものを食べて。綺麗なものを観て喜び、汚いものを乗り越えて。誰かを憎み愛して、そして泣き笑いして死んでいく。悪魔とこちらを罵った彼らのほうが、より悪魔らしく見えるように、華々しく血腥い人生を謳歌してやるのだ。誰それがナムゥかもしれない、と疑心暗鬼に生きる彼ら(ヒト)よりも、ずっと。


「そのためにはまず、この世界で生き延びなきゃいけない。だからバシャルさんの言う通り、今は『生きたい』です」


 ミシュアルは笑った。先程までの弱々しい泣き顔はもうない。それは決意に満ちた、心からの笑顔だった。

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