2-19 怪奇な迎合
ベルナルデッタと戦ったあの道を通る最中、幹部達の手元やポケットの中から、ブーッとバイブレーションの音がする。タンマツが、誰かの電子メールを受信したのだ。
「この振動は……親方からだ」
嬉しそうなネスルの呟きとは裏腹に、ミシュアルの表情は強ばった。
サーラブは任務内容を勝手に変えた(変えざるを得なかった)事を笑い飛ばしたが、バシャルはどうだろう。命令違反を犯したミシュアルを、許してくれるだろうか。思考の中では早速、「初任務で勝手なことをしやがって」とギラついた目でミシュアルを睨む、バシャルの姿があった。
どうか追い出されたりしませんように、とミシュアルは不安を胸に抱きながらも、夢中で黙読を進める組員の前で体を縮こませる。
「おい、ミシュアル!」
いきなり呼びかけられて、ミシュアルは思わず声をあげそうになる。その拍子に足を滑らせ、危うく荷台を転がるところだったのを耐えて、ライカの方へと体を向けた。
「にしても、良かったな! オマエ、親方サマから気に入られてんじゃねーか!」
「へ?」
「オレ達への一斉送信文書に、オマエへの言葉も着いているんだ! ここからじゃ見にくいだろうから、タンマツごと貸してやる。だからちゃんと読めよな!」
予想外の言葉に、ミシュアルは思わず目を丸くする。
ミシュアルはてっきり、叱られるものだとばかり思っていたのだ。それなのに、気に入られている? 意味がわからないながら覗いた、ライカのタンマツには、電子メールの画面が開かれている。そこには、まるでこの場で喋っているかのような、相変わらずつっけんどんな態度の文字が並んでいた。
『ミシュアルへ 初任務ご苦労だった。まず、生きて帰ってきた事に安堵している。よくやった。報告は明日でかまわないから、今日はもう休め。以上』
バシャルからの短いメッセージを一通り読み終えると、ミシュアルは小さくため息をつく。叱られなかった事への安心感もあるが、なによりもこちらの疲労を察してくれているのが嬉しい。
ミシュアルが胸を撫で下ろす間にも、ほかの幹部達は自分宛のメッセージを見て、各々喜色ばんでいた。ライカはにやけ顔を隠そうともせず、画面の文字を何度も読み返している。
ネスルに至っては、雰囲気が柔らかいを通して緩くなっており、タンマツに頬ずりまでしている始末だ。目が見えない分、とりわけ聴覚が鋭いネスルにとって、タンマツの読み上げ機能は非常に有用なのである。ヘッドホンがズレてもなお、ネスルは嬉しそうにタンマツに顔を押し付けていた。
(すごい、文章ひとつで皆が明るくなった。これが組織の長の実力、ってやつなのかな)
改めてミシュアルはバシャルの凄さを思い知る。このメンバーでさえ曲者揃いなのに、更に大人数を束ねる組織の長というだけあって、並大抵ではないのだろう。相手の心を揺さぶり、意のままに動かす言葉を見つけ出すその洞察力は、ミシュアルにはないものだ。
感心する間もなくして、ラクダ達の足が止まった。ジグリスの入口へと着いたのだ。
こっちは疲れているんだから、リヤドの前まで運んでくれても良いのに――と言えないのは、ミシュアルが一番わかっている。ジグリスの道は、どこも狭く入り組んでいるため、ラクダでは大きすぎて入れないのだ。
思わず狭い道でも歩けるロバを、ミシュアルは荷台の乗降口から探す。それほどまでに、彼の足は疲れて浮腫んでいた。
「おーい、何かあったか? 後ろがつっかえてるから、早めに出てやってくれ」
「すみませんサーラブさん! 皆さんも! それと御者さん、ここまでありがとうございました!」
しぶしぶ荷台から降りたミシュアルは、御者へ簡単に礼を述べ、功労者であるラクダ達の背中を撫でてやった。
「お構いなく。サーラブ様、また何かありましたら、ご連絡ください」
「おうよ。お前さんらも、とっとと帰んな」
ラクダ達は満足げに鳴いて、再び人気のない道を引き返していく。その後ろ姿を見送ったサーラブは、改めてミシュアルと幹部達へと向き直った。
「さあて、これで今日の任務はお終えだ。お疲れさん! あとは飯食って寝……いや、流石に今日は風呂入った方がいいな! ってことで、先に部屋行ってろ!」
サーラブから雑に放られた鍵を、ライカが捕まえる。そのまま鍵に大きく彫られた『102』の字を見て、彼の喜びの声が上がった。
「よっしゃ! 一番上等の部屋じゃねーか! ってことは、そういうことだよな!? メシも当然――」
「メニューの中で、一番高くて量があるやつ」
「マジかっ! サーラブ、ありがとうな!」
それを聞くなり、ライカはいよいよ嬉しさのあまり、その場を飛び跳ねはじめた。あれだけ戦闘を重ねてきたと言うのに、元気なものである。
「ちなみにこれはあっしが頼んだわけじゃねえ。拠点支部奪還の報告を聞いた住民達が、金を出し合って頼んでくれたものだ。後でお礼は言っておけよ?」
「はい!」
サーラブの言葉に、ミシュアルは勢いよく返事をする。自分がただ命じられた仕事をこなしただけではなく、拠点支部の人々の助けになれた事が、何よりも嬉しいのだ。
その気持ちが溢れんばかりに顔に出ていたのか、サーラブはミシュアルの顔を見て、ニヤリと笑う。
「嬉しいよな? 分かるぜ。迷って悩んで掴み取ったもんで、仲間が喜んでくれてんだから、なあ」
「もちろんです、とても嬉しいです!」
「よぉし! じゃ、その善意をありがたく頂こうじゃないか!」
その言葉に、他の面々も笑みを浮かべる。
(そうだ。仲間と協力すれば、俺達は聖罰で拷問の末に死ぬ、なんてこともない。言葉とやり方を間違えなければ、敵対した人でも、殺さなくて済む!)
ミシュアルは心の奥底で感じていた不安が消えていくのを感じた。自分は間違っていない。そう信じさせてくれるものを手に入れたのだ。いつの間にか人型になったジョンの方へ、ミシュアルはさりげなく視線を向ける。その背には女がぐったりともたれ掛かり、静かに息を立てていた。
一歩一歩、リヤドへと向かう度、ミシュアルの心には確かな自信が生まれつつあった。
死が付きまとう裏社会で、不殺を尊び動くことが、どんな結果を生むかは分からない。けれど、少なくとも、この選択は間違いじゃないと胸を張って言える。
いつの間にか、ミシュアルの顔には『いつも通り』の笑顔が戻っていた。憑き物が落ちたかのように爽やかで、年相応に柔らかなものだ。
「嬉しいよなあ、そうだよなあ。これで正式に、あっしらヴァーサ・オーリの仲間入りって話だ!」
サーラブに背中を強く叩かれ、一瞬呼吸が出来なくなるミシュアルだったが、すぐに痛みとは別の嬉しさに包まれた表情を浮かべる。
ミシュアルの視線の先には、彼が片手に持つタンマツの画面。そこにはバシャルからのメールの文章が、最後だけ映し出されていた。
『任務の遂行能力は、大いにあるものと判断した。これを以て、ミシュアル・ラティーフを、我等ヴァーサ・オーリの正式な仲間とする』




