2-16 不遇な女
「は?」
「道連れ……って、まさか」
それから女は、ぎゅっと口を噤んだ。もう喋る気も話す事もない、といった様子である。だが次の瞬間、彼女は纏う布の合わせ目に、静かに手を入れた。ぬるり、とそこから現れたものを、ライカはよく知っている。
――拳銃だ。
黒光りするこれは、砂漠大陸で最も普及している『スナッフル』と呼ばれる、命中精度の高さに定評のある代物。素早く向けられたその銃口の先は、ライカの右脚を狙っていた。
「後方に飛べ!」
その言葉とほぼ同時に、ミシュアルとネスルが後方へ飛び退いた瞬間。ドンッ! と銃声が響く。大きく後ろへと飛び退いたライカの足元に、弾丸が突き刺さったと思えば、ブシュッ! と音を立てて、毒々しい紫色の煙が立ちのぼった。
ライカはミシュアルの防壁の内に、逃げ込めたために無事だったが、女は違う。ゲホ、と咳き込み始めた女は、明らかに呼吸が浅くなりつつあった。『道連れ』にする覚悟は、どうやら本当にあるらしい。
毒と銃弾という攻撃の二段構えに、ミシュアルとネスルは一瞬戸惑うが、ライカの指示を忘れた訳では無い。直ぐに扉の近くへ退避し、ミシュアルがドアノブを掴む。
(俺の魔術を使って、廊下の窓とこの部屋を繋ぐ通り道を作る! 毒の入った空気を逃がしてしまえれば……!)
だが、事はそう上手くは行かないものだ。
ガキンッ!! と耳障りな金属音が響き渡る。扉は既に玄関口と同じく魔術の封がされ、空色の輝きを放ち始めてしまった。これでは扉を破壊する事もできない。封の魔術とは対照的に、ミシュアルの張っている光の壁は、輝きが褪せはじめ……ふっ、と消えてしまった。
三人の表情は凍りつく。体が毒に蝕まれるのが先か、それとも女の持つ拳銃の弾が尽き、彼女が自滅するのが先か。
いよいよ魔力も体力も尽きたミシュアルは、ぐらりと体勢を崩し、盛大に尻もちをついた。
次にこの部屋から出る時には、全員揃って死体になっているかもしれない。徐々に死が迫り来る気配が、この場にいる全員の肺を汚染する。気がつけばミシュアルはネスルに上体を抱えられ、眼前にはライカが立ちはだかっていた。
敵意をむき出しにするライカとは対照的に、女は相変わらず無表情を貫き通している。
「話もできそうにねえ、魔術も解いてくれそうにねえ。なら、アイツぶっ倒して、とっとと出た方が早ぇな」
「それって」
「心配すんなって、アイツは親玉に繋がる鍵だ。殺したりはしねー。ただちょっと、拳銃を捨ててもらうだけだ」
「ライカ、飛び道具は危険。機械に当たったら、親方、すごくぷんぷん」
「わかってるって!」
ライカは颯爽と、女に向かって走り出す。ミシュアルはそれに返事をする余裕もなく、ネスルに抱きかかえられるような格好で、彼の背中を見つめる事しかできなかった。
そんなライカは女との距離を詰めるや否や、勢いよく彼女の上体へ向けて蹴りを入れる。軸足のぶれていない、力強く素早いそれを、女は上体を逸らして回避して見せた。ライカの踵が、かすかに女の服を引っ掛ける。
ライカが足を引っこめるその間も、女は素早く身を翻しながら、銃弾を放つ。静かに狙いを定め、ドンドンドン! と引き金を引く動作には無駄がなく、洗練されているようにさえ見えた。
だがライカも負けてはいない。跳ね飛んで、時には床をころがって……さながら軽業師のような身のこなしで、銃口から放たれた弾丸を全て避けてみせる。毒ガスをものともせず床を転がった彼は、やがて女の懐に入り込み、銃を持つ腕を掴みあげる。そして晒された女の鳩尾に、ライカは強烈な拳を食らわせた。地面へ倒れ込む彼女の手から、拳銃がこぼれ落ちる。
仰向けに倒れた女は銃へと手を伸ばすものの、ライカの人差し指から放たれた高圧の水鉄砲に弾かれてしまう。
「やった! 流石ライカ!」
「これで壊せてねーのかよっ、ちくしょう! オレ、こう言う発射系は苦手――っ!」
これで攻撃手段は完全に無くなった……と思われたが、女は以外にも、その骨と皮しかないような脚をしならせ、思いっきりライカを蹴り飛ばした。
「イッテェー! マジか!」
「銃だけが、武器じゃない。貴方もそうでしょ」
「まあそうだけどよ!?」
ライカが素っ頓狂な声を上げるも、女は律儀に返答する。しかし、そんな呑気なやり取りをしている間にも、毒が体を侵食していた。お互いに時間の無駄だと気付いたのか、両者とも乾咳を一つして、互いのもとへと駆け出していく。
一進一退の攻防を繰り広げる、二人の鮮やかな手際に感心している暇はない。ミシュアルは眼球だけをぐりぐりと動かして、この部屋からの脱出口を探していた。
「ミシュアル、不調、無い?」
「はい」
「無理、してない?」
「大丈夫です……この程度でへばってたら、俺はいつまで経っても半人前のままだ」
じわりじわりと広がる熱は、魔力なのだろう。それが体に馴染むのを待つ間、ミシュアルは目を閉じ、大きく息を吐いた。
(あと少し、五分もしたら、きっとまた防壁が出せるようになるはず。それまで……ん?)
ぐしぐしもミシュアルの予想通りである。垂れていたのは、先程ライカが出した鼻血と同じ色の血であった。それが今度は、ネスルから流れているのだ。
「ネスルさん! 鼻血!」
「あー……垂れちゃった。ごめんね? お鼻、ちり紙、つめつめする」
「揃いも揃って危機感がな――ッ、ゲホッ、ゴホッ!!」
ネスルの不調に続き、ミシュアルも咳き込み始めるが、異変はそれだけでは終わらない。よくよく自分を観察していれば、指先が赤く腫れてきているではないか。
まずい、と焦り出すミシュアルの眼前では、相変わらず戦闘が繰り広げられている。両者共に血を流しながら、苦しげに発する喘鳴が、機械音に飲み込まれて消えていった。
その一方で、戦う二人もまた、黒く毒された血液で顔を汚していた。ライカの顎からは鼻血が滴り落ち、女の方も切った唇と口の端から、どくどくと黒い体液を流している。だが、二人の動きは衰えることは無かった。
その様を、ミシュアルはただ見つめることしかできない。魔力が溜まるまで、あと少し。だがその少しがもどかしいのである。
(それに、魔力が回復したからって、不用意に魔術は使えない。あの機械も、ライカも巻き込むかもしれない)
そうこうしている間も、ライカと女の戦いは続く。
ライカは女の腕を掴んだまま、ぐるりと体を捻って女を投げ飛ばす。だが女は空中で体勢を立て直すと、そのまま着地した。魔術で自分の体を弄ったのだろう。彼女の周りに空色の光が散る。まるで木の葉が地面に落ちるかのように、軽やかな着地を見せる彼女だが、目から迸る光に勢いがないのは、気のせいではないだろう。
「ねえ、ミシュアル」
「何ですか……っ!?」
「しー。これ、使って」
ネスルが触れた所から、ほの温かな感覚がやってくる。今日で二度目となる、魔力の供給を受けたのだと、ミシュアルは急速に冴えていく頭の中で理解した。
「一体どうして?」
「僕じゃ、力不足だから。あの封を解く魔術を考えてたけど、僕じゃ分からなかった。それに僕の固有魔術は気配を消すこと……」
「だから、俺に魔力を? 俺の魔術で、どうにか出来るものなんですか?」
「うん。封は破れなくても、ナムゥは出来る」
ネスルの言わんとしていることを、ミシュアルはすぐさま飲み込んだ。魔術の壁を使って、彼女を外に押し出せ。そう、言っているのだ。
(でも……確実に彼女は、無事じゃ済まない)
そう言いつつも、彼の掌は既に、光の壁の準備を整えつつあった。伝う鼻血に集中を乱されながらも、手は熱を帯びていく。
ふと気になって、ちらりと隣のネスルを見れば、首がぐらぐらと据わっていない。ネスルも限界なのだ。
ミシュアルは最奥の窓をじっと睨みつける。その向こうは、既に西日でオレンジ色に染まっていた。砂粒にしか見えない建物が、改めて五階という高さを認識させる。だが、迷っている暇はない。
「ミシュアル、壁、出せる?」
「……はい」
ミシュアルはこくりと小さく肯くと、胸の前で両手を突き出した。




