2-15 不穏なる空気
少ない文字ながらも、彼等にもたらす絶望感は大きいもの。ネスルは首を横に振り、ライカはギリギリと歯噛みするが、ミシュアルはただぽかんとするだけ。タンマツに触れたことなどほぼ無いに等しいが故に、こんな反応になっているのだが……それでも、絶望的な状況であることは、二人の表情から大雑把に理解していた。
「その圏外、って相当まずいんですか」
「うん、最悪だよ。僕達はここから、出られない。この中に居るだろうナムゥを、どうにかしないとね」
「結局戦うことになるんじゃねーか……オマエら、腹くくれよ」
ミシュアル達の目的は、あくまでも偵察任務。こんな事態に陥ることは、全くの想定外であった。
予想外の嵐も大概にしてくれ、と言わんばかりにため息をついて、ミシュアルは改めて扉を見やる。よくよく見れば、扉全体が空色に光っているようにも見えるのは、気のせいではないだろう。
「でも、そのまま進むの、良くない。また体が変になるかも。僕も鼻血、出ちゃったら、嫌だな」
「じゃあどうすんだよ?」
「二人とも。あのさ、『やらないよりマシ』程度になっちゃうけど、思いついたことがあるんだ」
ミシュアルの目から飛び散るオレンジ色の光に、二人は思わず顔を見合せた。彼が使える魔術など、あの光の壁しかないはずなのに、一体何をするのだろう。
その答えは、ミシュアルが両手を前に出したことで明らかになった。結局の所それか、と呆れる二人だったが、彼の手から現れた壁に、思わず目を剥く。
バチィッ! 音を立てて現れた光の壁は、これまで以上に巨大だ。それが廊下を直進し、二人を避け、遠くの行き止まりにまで届く。オレンジの光をぼんやりと放つ巨大な壁は、ビルの内壁をコーティングするかのように広がっていった。
「オマエ、これって……」
「はっきり言うけど、この壁が異常を防いでくれるかは、正直言えば分からない。でも、あの空気を吸っていた時よりはマシだと思うんだ」
「確かに。予防、大事」
「ま、やってみる価値はあるか! それじゃあオマエの魔力が尽きねー内に、敵を見つけて倒さねーとな! ネスル、オマエが先導して魔力を探知してくれ!」
「分かった」
三度目となる拠点支部の奥への調査に向かう足取りは、ついさっきとは比べ物にならないほどスムーズだ。状態異常があったことを忘れさせるほど、軽快な駆け足で廊下を進んでいく。
どうやら効果があるかどうかも、よく分からないまま張った光の壁は、思いの外有効らしい。その証拠に、今までと打って変わって、ミシュアル達の体は調子が良いのだ。
(俺の魔術、毒も弾けるんだな……自分の事なのに、全然知らなかったや)
廊下を魔術でコーティングしながら、順調に上階へと向かっていく。
だが、状態異常がいつ襲ってくるかは分からないため、油断はできない。ミシュアルは歩を進める事に、魔力がじわじわと減っていくのを感じていた。貧血のような症状が襲う体に鞭打って、ミシュアルはなおも進む。
(薬に頼りたいけど、まだ四時間経ってないよな、絶対。俺の魔力、あとどれくらい保つんだろう)
不安と疲労感を抱えながら進むミシュアルの手前で、ネスルが次第に減速していく。五階の廊下の最西端で、彼の足はいよいよ止まった。
どうしたのかと前方を見れば、そこには廃ビルの中にあるとは思えないほど、しっかりとした石製の扉があった。扉の面に耳を当てれば、ゴウンゴウンと機械らしきものの稼働音まで聞こえてくる。
「ここが、一番強い。この中にいる」
「空調管理室か。厄介なところに逃げ込みやがって」
「うわっ、鍵までかけられてる!」
「壊したくはないよね……あ、こうしよう」
ネスルがそっと人差し指を立てれば、先端にぼんやりとした黄緑の光が灯る。光ってはいるものの、隣にいるミシュアルですら冷気を感じる指先を、ネスルはそっと扉の鍵穴に押し当てた。
「あとは水を入れて……できた」
ネスルが指を離せば、その先端には凍りついた小さな氷柱。冷気と水を流し込むことで、ネスルは鍵穴から型を取ったのである。
(成程。使い終わったらその辺に放っておけば、溶けて証拠隠滅出来るって訳か)
ネスルの指先がまたしても鍵穴へと入り、カチャッ、と解錠の音を立てる。微かに開いた扉の前で、ネスルは得意そうに微笑んでいた。
「すごい、ネスルさんって器用ですね!」
「前に、親方がやってた」
(確かにあの人だったら、魔術で鍵開けくらい出来そうだよな……)
「ミシュアル、オレに合わせて壁を進めてくれ。突入するぞ!」
ネスルが開けた扉の隙間から、光の壁ごとライカが先に部屋に入る。ミシュアルもライカに続き、中へと突入する。最後にネスルが体を隙間に滑り込ませ、重たい扉を静かに閉めた。
ごうごうと唸る機械音が鳴り響く中、三人は空調管理室の中を見渡す。コードと硬そうな箱が並ぶ部屋の奥に、二メートル程の大きな黒い物体が影を作っている。部屋の最奥にある、窓からの日光を遮っているせいか、機械特有の無機質な不気味さに拍車がかかっていた。
これが、拠点支部の空気を一括管理している空調管理装置だ。天井に取り付けられた機械には、幾つもの管やコードが壁へと繋がっている。
巨大な蜘蛛の巣のように張り巡らされたそれらを眺めながら、ミシュアルはごくりと唾を飲み込んだ。蜘蛛……糸と、迂闊にベルナルデッタとの戦闘を連想したミシュアルの背に、冷や汗が伝う。
彼から落ち着きを奪っているのは、その機械の存在だけではない。唸りをあげる機械の真下に、ねずみ色のぼろ布を、一枚巻いただけの女が佇んでいる。
ミルキーブロンドの艶のない短髪を、機械から吹き出る風が揺らしたが、彼女はただ、風に打たれるばかり。動かないのも相まって、目鼻立ちは整っているものの、どこか人形のような印象を受ける。
そんな彼女が生者だと分かるのは、見るからに薄幸そうな、生気のない空色の瞳。グリッターのような輝きを放ち、こぼれる光は、ナムゥ特有の魔力の残滓に違いない。
(あの人か、扉に封をしているのは! あれさえ解除できればいいんだけど、どうしよう。話を聞いてくれる人なら、すごく有難いんだけど)
次の一手を思案しているうちに、女の口がボソリと動く。耳を傾けたミシュアル達へと、機械音に負けそうな細い声で、女は問いかけた。
「ここに来たのは、貴方達だけ?」
彼女の質問に対し、ミシュアルが答えるよりも先に、ライカがどこか得意そうに鼻を鳴らした。
「そりゃあ勿論! オレらだけで充分だってーの!」
「ちょっと、ライカ」
「お前みたいなひょろっひょろなんざ、オレ達の、いや! オレの相手になんねーよ」
「そう……貴方達だけなの。残念」
残念、などと彼女は思ってすらいないだろう。感情の読めない女の態度に、ライカは眉根をぎゅっと寄せる。そんな二人のやりとりに、ミシュアルは不安になる――ライカの迂闊さにも、彼女の発言にも。
(それにしても、残念? どういう意味だ?)
ミシュアルの疑問は、次の瞬間には解消された。悔しいというよりも、悲痛が溢れ出す顔から、ぽつりと言葉が溢れる。
「本当に残念。『多く道連れにしろ』って命令なのに」




