2-13 一時休憩、そして
地図上で止まったネスルの点の後を追い、ミシュアルが辿り着いたのは、小さな箱のような建物だった。
周囲が瓦礫で崩れている中、ここだけは損壊もない状態を保っている。奇跡と言ってもいいほど綺麗なこの建物は、他と比べて質素――というよりも、無機質な存在感を放っていた。
窓はなく、代わりに換気口が一つ、取り付けられている。傷もなく綺麗な入り口には、金属製の数字盤が取り付けられ、来るものを拒むかのように煌めいていた。
「こんなところに、何かあるのか?」
「ありそうな気配はするよね。他の建物なんて崩れちゃってるのに、ここだけ損傷が少ないもの」
訳知り顔のミシュアルをちらりと見ながら、シエノは興味なさげに鼻を鳴らした。建物付近の小石や軽そうな岩をわざわざ退かして、ミシュアルは数字盤に近づく。
「ここまでくれば一安心ですよ。シエノさん、これをお返しします、ありがとうございました」
ミシュアルは大事に握りこんでいたタンマツをシエノに返し、ライカ達の方へと振り返った。すっかり自信に満ちた顔には、ここまで安全に到着した安堵からか、ほのかな朱が指している。
「ここは表通りの商店街が使っている、地下貯蔵庫への入口なんです。いやあ、最近建て直しただけあって頑丈だな……今鍵を開けますね」
「地下、繋がってるんだ。人目を気にしなくていいの、助かるね」
感心したように息をつくネスルに、ミシュアルは微笑む。慣れた手つきで数字盤のボタンを操作して、鉄扉のノブに手をかける。すると、扉は錆びついた金属音を立てて、ゆっくりと開いた。
「こちらです、どうぞ」
「……マジか。階段しかねーぞ」
先程ミシュアルが『地下貯蔵庫への入口』と言っただけあり、この部屋には階段だけが、床の上で口を開けている。覗き込んだ先は薄暗く、明るい外からでは中が見えない。だが、ミシュアルは先頭に立って、地下に続く暗闇の中に入っていく。
「オイ! 誰か、明かり!」
「でもこれくらいなら、タンマツの電灯機能で、どうにかなりそうじゃない?」
「その心配は無いですよ、今から電気、付けますから」
ミシュアルの先導に従い、一行は電灯に照らされても尚、薄暗い空間に足を踏み入れる。天井が高いので窮屈さは感じないが、それでもやはり圧迫感はある。階段の電灯に加えて、所々に設置されたランプが無ければ、本当に真っ暗だ。地下へ向かうごとに冷える空気に、敏感なネスルはぶるりと体を震わせた。
「てか、よくこんな所知ってたよなー。鍵もスルスルっと開けちゃうしさ!」
「ここはよく荷物の搬入をしていたからね。鍵の番号を変えてない、なんて思ってもなかったけど」
「でも、危機感がなくてよかったね。助かったね」
ネスルは嬉しそうに、しかしどこか呆れたような様子で、ふうっと大きく息を吐いた。
住民達の明日を握る地下の貯蔵庫を、悪魔が知っているのだ。責任感が少しでもある管理人なら、その日の内に番号を変えるだろう。そう思っているのはネスルだけではなく、他の面々もだった。
「俺がナムゥとして覚醒したってのに、不思議ですよね。でもまあ、物の管理にいい加減なおっさんが、ここの管理人だからなぁ……」
「そっかぁ。でも良かったじゃん! そのお陰で、私達が助かったんだし! それよりも、前見て。ようやく倉庫の階層みたいよ」
階段を降りた先に、鉄製の頑丈そうな扉が現れたのは、階段を降り始めてしばらく経った頃。
ミシュアルはドアノブに手をかけると、扉へ体当たりするように、勢いよく押し開く。そこにはミシュアルにとっては久々の、幹部達には目新しいだろう光景が広がっていた。
壁沿いに並ぶ、小さな箱のような棚には、保存食や缶詰がずらりと並んでいた。床には木箱が積み重ねられており、中には何が入っているのか一見すれば分からない。
だがミシュアルは懐かしそうに、その箱を人差し指の腹で撫でていた。ここは、ヒトとして生活していた時の、思い出の場所だ。かつての忙しないながらも、穏やかな生活を思い返している、彼の目元は緩んでいた。
「オイ! こんなとこでボーッとするな! ここからどこに行きゃあいいんだ!?」
「あ、ごめん。この倉庫の端にある『四番出口』から脱出しようかなって思ってはいるよ」
「そっか! ちゃんと考えてたんだな!」
「てか、えっ、もうお昼の時間じゃん!? ねー皆、少し休憩しない?」
へらりと笑うシエノにつられて、ミシュアルもふっと頬を緩めた。彼らをと行動を共にしてから、まだ一日も経っていない。なのに、ミシュアルは目の前の彼らが、すっかり家族のように思えて仕方がないのだ。
「確かに、ずっと気を張りつめてばかりだったもんな。ミシュアル!」
「じゃあ、ここで休みましょうか。この区画は今日、使う人はいないはずですから」
とは言うものの、隊が自分達を見つけるその前に、ここを脱出しなければ。だと言うのに、幹部達はデーツとオートミールの入った携帯食と、水筒を取り出す。どちらもライカが拠点から持ってきて、嵩張らないように魔術で圧縮したらしいが、それにしても呑気である。
こうして座り込むこと十分少々。倉庫から出ようと立ち上がった一行は、どこか和やかな空気を纏っていた。
「驚きましたよ、まさかお昼まで持ってきてるなんて。いざとなったら、ここの食糧を……その、盗むつもりでいたのに」
「へっへっへ、これな、フォーネが作ってくれたんだぜ! 拠点帰ったらお礼言わねーとな!」
「それよりも今は任務、任務! 早く行きましょ!」
「ねえ。その出口、近い?」
「うーん、近いか遠いかで言えば『遠い』ですね」
しょんぼりとするネスルに、ミシュアルは苦笑しながらも、静かに頷いた。
この地下貯蔵庫は、まるで迷路だ。それも、ただ入り組んでいるだけではない。壁や床、天井までもが石材質かつ、樹脂でコーティングされている。更に継ぎ目なく続いているのは棚も同じ。慣れていない者にとっては、まさに迷宮そのものだろう。
だが、ミシュアルにとっては、勝手知ったる庭のようなもの。
指さし確認をしながら、彼はさくさくと歩を進める。方向感覚が狂いそうになるこの空間を、こうも迷わず進む事が出来るのは、一重にミシュアルの経験の賜物と言っていいだろう。何せここに一番多くの物を運び入れたのは、ミシュアルの勤務していた運送会社であり、ミシュアル自身でもあるからだ。
「確か、あともう少しで……ほら、見えてきた」
小麦色の指が指し示すとおり、通路の先には、ぼんやりと光が漏れ出ていた。その光に導かれるように進んで行くと、またしても重々しい鉄扉へと辿り着く。
だが、向こう側に広がっていたのは、外の風景ではなく、薄暗い倉庫の中。ホコリの匂いを嗅ぎ取ったのか、ネスルがミシュアルの服の裾をついついと引く。
「ここ、お喉、いがいがする」
「気になりますよね、やっぱり。でもここが一番、フッサムの拠点支部に近くて、包囲網から最も遠い出口なんです。すみません」
出口の鍵をかけるミシュアルの隣に立ち、ライカが外を見回す。そこは建物の損壊がない、古びた建物に囲まれた区画であった。
「おい」
「ん」
ネスルがまたしても気配を消し、表通りに通じる道をさくさくと進んでいく。騒ぎから逃げてきた人々の間を縫って、速やかに。そればかりか、彼は人混みの遥か先にいる警官隊と愛育の師の存在を、正確に捉えていた。
この距離ならば、もしもこちらに気付いたとしても、こちらには手出しが出来ないだろう。ネスルはそれを確信しながら、ミシュアル達の潜む廃倉庫へと引き返した。
「今戻った。あいつら、こっちに気づいてもないよ。大丈夫そう」
「じゃあ、やっと、本来の目的を果たす時ですね」
ネスルが示した方向に、ミシュアルも視線を送る。そこにはあの時と変わらないフッサムの拠点支部が、堂々と鎮座していた。
ミシュアルは思わず生唾を飲み込む。ここに来るまでに、既に偵察任務から逸脱してしまったような気はするが、それはそれ。これはこれ。むしろこれからが本番なのだから、今から頑張りさえすればいい。
「よし、行きましょう!」
ミシュアルは逸る気持ちを胸に、全員を引き連れて駆け出した。




